アーケード街に突如現れる「鉄の扉」に吸い込まれる

「珈琲」の文字でカフェだと一目でわかる。自然についた錆びもいい。
「珈琲」の文字でカフェだと一目でわかる。自然についた錆びもいい。

吉祥寺駅の北口から徒歩1分ほどの場所にあるアーケード街『吉祥寺ダイヤ街』を歩いていると、趣のある鉄製の看板が目に入る。レトロな雰囲気の喫茶店を好む人なら、アンテナがビビッと働くような風合いのある看板だ。

表にメニューを書いてくれるのが初来店にはありがたい。
表にメニューを書いてくれるのが初来店にはありがたい。

看板の近くで店の入口を探してみると、すぐ後ろに、いかにも重たそうな鉄製の扉があった。この日はオープン前の時間に取材したので扉は閉じていたが、普段は開いている。

地下へと続く階段を下りていく。
地下へと続く階段を下りていく。

鉄の扉を抜けて、地下に続く木の階段を下った先にあるのが『COFFEE HALL くぐつ草』。先が見えないからか、少し冒険しているようなドキドキ感があった。

昭和の趣を感じられる店内。
昭和の趣を感じられる店内。

店内に入ると、まるで土を掘ってできた洞窟のような空間が広がっていた。街の喧騒から離れた空間は、ちょっぴり異世界に迷い込んだかのような気分にさせてくれる。

外の様子が見えない分、時間が止まっているような感覚に。
外の様子が見えない分、時間が止まっているような感覚に。

「この店は、旗揚げから380年以上続く江戸糸あやつり人形劇団『結城座』が始めたんです」と、店長の菅井さんが説明してくれた。当時、吉祥寺に稽古場があった『結城座』の劇団員が、公演の少ない時期に働く場所を確保する目的でカフェをオープンしたそう。

 

そのため、オープンから10~20年くらいの間は、若い劇団員たちが手の空いているときにスタッフとして働いていた。現在では、劇団の規模が拡大したため稽古場は小金井市に移り、カフェスタッフと劇団員は完全に分かれている。

昭和から大切に守られる唯一無二の空間

趣たっぷりの木のカウンターは、どことなく懐かしさを感じられる。
趣たっぷりの木のカウンターは、どことなく懐かしさを感じられる。

店内の設えは、創業した昭和54年当時から変わらない。年数を重ねたからこそにじみ出る風合いが、落とした照明と相まって居心地のよい雰囲気を作り出している。木をふんだんに使っているのは、当時の劇団の座長が、海外公演で見た木のぬくもりのある建物をイメージしたからだそう。

無数の凸凹はすべて手作業でつけられた。
無数の凸凹はすべて手作業でつけられた。

「土壁のぼこぼことした模様は、劇団員が瓶の底にタオルを巻きつけて押し付けたり、拳で跡をつけたりして作られたものなんですよ」という菅井さんの言葉にも驚いた。今でこそ店に劇団員の姿はないが、劇団員たちのカフェに対する想いは、しっかり形となって店に刻まれていた。

手作りデザートのパンプディングは外カリッ&中ジュワッの優しい味わい

デザートの中でも目を引く、くぐつ草パンプディングは700円。コーヒーか紅茶がつくセットは1200円。
デザートの中でも目を引く、くぐつ草パンプディングは700円。コーヒーか紅茶がつくセットは1200円。

『くぐつ草』のメニューは、ドリンクからフードまでほとんどが店内のキッチンで手づくりされている。デザートメニューは数えるほどだが、だからこそ気になるのがパンプディングだ。店で長年愛されてきた自家製レアチーズケーキに続く新たなデザートとして、2000年代に考案され、今ではすっかりおなじみに。デザートを食べたい人が、チーズケーキとパンプディングを一つずつ注文してシェアして食べることも多いのだとか。

トッピングはオレンジとラム、生クリームでさっぱり。
トッピングはオレンジとラム、生クリームでさっぱり。

パンプディングは、プリン液をパンにたっぷりと塗りこみ、オーブンでこんがりと焼いたもの。一口かじってみると、外はカリッ、中はジューシーで、パンから香る心地よいバターと、プリンの優しい甘さが生地からジュワッと染み出してきた。フレンチトーストに似ているが、それよりも少しモチッとした弾力がある。何度でも食べたくなるさりげない甘さなので、長く愛されるのも頷ける。小ぶりのサイズが食後にもうれしい。

くぐつ草カレーは1250円。ライスにのったレーズンもアクセントに。
くぐつ草カレーは1250円。ライスにのったレーズンもアクセントに。

また、ここに訪れたらくぐつ草カレーも忘れてはならない。店がオープンし5年ほど経ってから、お客さんの要望で作られた初めての食事メニューだ。当時、劇団員で試行錯誤して作り上げたオリジナルカレーだが、これが思いのほか好評で、カレー目当てに多くの人が訪れるように。今では『くぐつ草』をカレー屋だと思っている人がいるほど、店の顔といえるメニューとなった。

ごろっとした豚肉は、ホロホロと口の中で溶ける。
ごろっとした豚肉は、ホロホロと口の中で溶ける。

考案したときから変わらないレシピで作られるカレールーは、大量の玉ねぎを長時間じっくりと炒めて甘さを引き出している。麻袋に入れて1日がかりで煮込んだ約10種類のスパイスも、食べ進めるうちにじわじわと存在感を増す。まろやかだけれどスパイシーで奥行きがあって、カレー屋の本格カレーとも家庭のカレーともちがい、絶妙にクセになってしまう味わいだ。

寒くなってきたら、ココア870円を注文する常連が多い。
寒くなってきたら、ココア870円を注文する常連が多い。

寒くなる季節、常連の間では自家製のココアも定番。ココアパウダーを牛乳だけで練り上げ、隠し味にブレンドコーヒーを加えてコクを出したココアは、ホットチョコレートのように濃厚でとても甘い。スパイシーなカレーを食べたあとに飲むと、後味にちょうどいいバランスだった。毎年11~3月くらいには、これにラム酒を加えた限定メニューのラムココアも登場し、冷えた体をじんわりと温めてくれる。

昔から通っている大人たちはもちろん、近年では吉祥寺ブームもあってか、若いお客も増えているそう。訪れる人や街並みが変わっても、変わらずにゆったりと営み続ける老舗カフェ。吉祥寺に訪れたときは、少し足を止めて、地下の世界にひととき身をゆだねてみるのもいいかもしれない。

住所:東京都武蔵野市吉祥寺本町1-7-7 島田ビルB1F/営業時間:10:00~22:00 ※2021年9月現在は20:00まで/定休日:無/アクセス:JR中央線吉祥寺駅より徒歩2分

取材・撮影・文=稲垣恵美