店名に託したのは「えびの尾を張るように勢いよく」という想い
浅草・雷門通りで2店舗を展開する『尾張屋』は、1860年創業の老舗そば処。縁起のいい屋号は、初代が江戸の火消し屋から転職する際、火消しの元締にして浅草寺の門番も勤めた新門辰五郎が「えびの尾を張るように勢いよく」の想いを込め命名したという。
のちに関東大震災、東京大空襲で二度にわたって店を焼失したが、焼け野原からどんぶりを引っ張り出し操業資金にあてて店を再建。浅草を代表するそば処へと発展させた。
6代にわたり脈々と受け継がれてきた「毎日食べても飽きない味」
『尾張屋』がもっとも大切にしているのは、「飽きのこない味」だ。大量のかつお節を使い、強火で1時間半かけて旨味を濃縮させたつゆは、飲み干してもすぐまた恋しくなると評判の味。連日訪れたり、一日に二度来店する常連客もめずらしくないようで、明治生まれの文豪・永井荷風などは、毎日12時5分に暖簾をくぐっては同じ席で「かしわ南蛮」を食したというから驚きだ。
看板メニュー、天ぷらそばの魅力は、器からはみ出すえび天と汁のハーモニー
天ぷらそばが運ばれてくると、どんぶりからはみ出すえび天の迫力にまず驚く。ピンと張っ大ぶりのえびは、関節を折ることで長さや太さを整えているが、これには熟練の技が必要だ。
「えびが鮮度が命。この道30年の店長が、毎日数百本、多い日は千本以上、朝の仕込み時にものすごいスピードでやっつけます」。
と語るのは、6代目修業中の田中秀典さん。
長さや太さが均一になれば、一度に注文が入っても均等に揚げることができる。変わらぬ味の秘密だ。
えび天は別盛りも可能と聞いて、最初の一口はサクサク食感をたのしんだ。そして汁を一口。こちらは塩分控えめのさっぱり味だ。しかしここにえび天をのせると、ごま油とえびの旨味が汁全体にしみわたり、深いコクと豊かな風味が口いっぱいに広がる。うまい。 とにかく汁がうまい! えび天とそばを交互にほおばるうち、直径1.5cmほどの分厚い柚子皮と三つ葉を発見。ふくよかな味の秘密に近づいては、感動が押し寄せてくる。最後はカリッと揚がった尻尾までたいらげ、汁はすべて飲み干した。
「100歳のおばあちゃんも完食するんですよ」。
巨大なえび天を見たときは半信半疑だったが、いまは納得。飽きないどころか、毎日でも食べたくなる味だ。
最近始めたテイクアウトのメニューに込められた老舗の心意気
近年はテイクアウトも始めた。天ぷらそばは提供していないが、天せいろやそばとろ、もうひとつの人気メニュー天丼などは持ち帰りが可能だ。このテイクアウトのおしながきの中に、500円の特別サービス品として銀杏や玉子焼きなどのメニューが並んでいるが、実はこれ、店内で1000円で提供しているものとまったく同じものなのだ。
「持ち帰る間に多少なりとも味は落ちる。だから半額でいいんです。次は店内で、最高の状態で味わってほしいから」。
店で提供する味に絶対的な自信があるという田中さんの言葉に、老舗の心意気を感じた。
構成=フリート 取材・文・撮影=村岡真理子