店名に託したのは「えびの尾を張るように勢いよく」という想い

『尾張屋』は雷門通りに2店舗ある。こちらは本店。支店は地下鉄銀座線浅草駅3番出口付近にある。
『尾張屋』は雷門通りに2店舗ある。こちらは本店。支店は地下鉄銀座線浅草駅3番出口付近にある。

浅草・雷門通りで2店舗を展開する『尾張屋』は、1860年創業の老舗そば処。縁起のいい屋号は、初代が江戸の火消し屋から転職する際、火消しの元締にして浅草寺の門番も勤めた新門辰五郎が「えびの尾を張るように勢いよく」の想いを込め命名したという。

有名人も多く訪れる本店。左手には昭和を代表する横綱、大乃国、旭富士、千代の富士、北勝海の手形が。
有名人も多く訪れる本店。左手には昭和を代表する横綱、大乃国、旭富士、千代の富士、北勝海の手形が。

のちに関東大震災、東京大空襲で二度にわたって店を焼失したが、焼け野原からどんぶりを引っ張り出し操業資金にあてて店を再建。浅草を代表するそば処へと発展させた。

6代にわたり脈々と受け継がれてきた「毎日食べても飽きない味」

店内には、『尾張屋』を愛した文豪・永井荷風の写真も。
店内には、『尾張屋』を愛した文豪・永井荷風の写真も。

『尾張屋』がもっとも大切にしているのは、「飽きのこない味」だ。大量のかつお節を使い、強火で1時間半かけて旨味を濃縮させたつゆは、飲み干してもすぐまた恋しくなると評判の味。連日訪れたり、一日に二度来店する常連客もめずらしくないようで、明治生まれの文豪・永井荷風などは、毎日12時5分に暖簾をくぐっては同じ席で「かしわ南蛮」を食したというから驚きだ。

看板メニュー、天ぷらそばの魅力は、器からはみ出すえび天と汁のハーモニー

天ぷらそば1600円。えび天が器からはみ出しているが、どんぶりが小さいわけではない。
天ぷらそば1600円。えび天が器からはみ出しているが、どんぶりが小さいわけではない。

天ぷらそばが運ばれてくると、どんぶりからはみ出すえび天の迫力にまず驚く。ピンと張っ大ぶりのえびは、関節を折ることで長さや太さを整えているが、これには熟練の技が必要だ。

「えびが鮮度が命。この道30年の店長が、毎日数百本、多い日は千本以上、朝の仕込み時にものすごいスピードでやっつけます」。

と語るのは、6代目修業中の田中秀典さん。

長さや太さが均一になれば、一度に注文が入っても均等に揚げることができる。変わらぬ味の秘密だ。

えび天は別盛りも可能。えび天ならではのサクサク感も捨てがたい。
えび天は別盛りも可能。えび天ならではのサクサク感も捨てがたい。

えび天は別盛りも可能と聞いて、最初の一口はサクサク食感をたのしんだ。そして汁を一口。こちらは塩分控えめのさっぱり味だ。しかしここにえび天をのせると、ごま油とえびの旨味が汁全体にしみわたり、深いコクと豊かな風味が口いっぱいに広がる。うまい。 とにかく汁がうまい! えび天とそばを交互にほおばるうち、直径1.5cmほどの分厚い柚子皮と三つ葉を発見。ふくよかな味の秘密に近づいては、感動が押し寄せてくる。最後はカリッと揚がった尻尾までたいらげ、汁はすべて飲み干した。

「100歳のおばあちゃんも完食するんですよ」。

巨大なえび天を見たときは半信半疑だったが、いまは納得。飽きないどころか、毎日でも食べたくなる味だ。

最近始めたテイクアウトのメニューに込められた老舗の心意気

6代目修業中の田中秀典さん。『尾張屋』の味を次世代につなぐすべを模索しているという。
6代目修業中の田中秀典さん。『尾張屋』の味を次世代につなぐすべを模索しているという。

近年はテイクアウトも始めた。天ぷらそばは提供していないが、天せいろやそばとろ、もうひとつの人気メニュー天丼などは持ち帰りが可能だ。このテイクアウトのおしながきの中に、500円の特別サービス品として銀杏や玉子焼きなどのメニューが並んでいるが、実はこれ、店内で1000円で提供しているものとまったく同じものなのだ。

「持ち帰る間に多少なりとも味は落ちる。だから半額でいいんです。次は店内で、最高の状態で味わってほしいから」。

店で提供する味に絶対的な自信があるという田中さんの言葉に、老舗の心意気を感じた。

住所:東京都台東区浅草1-7-1 /営業時間:11:30〜20:00/定休日:金/アクセス:アクセス:地下鉄・私鉄浅草駅から徒歩5分、つくばエクスプレス浅草駅から徒歩5分

構成=フリート 取材・文・撮影=村岡真理子

浅草寺とその参道である仲見世商店街を中心として東西に広がる浅草。世界的にも有名な観光地であり、一時は日本人よりも海外旅行者の方が目立っていたが、コロナ以後は江戸情緒あふれる“娯楽の殿堂”の風情が復活している。いわゆる下町の代表的繁華街であって浅草寺、雷門、仲見世通り、浅草サンバカーニバルなどの観光地的なイメージや、ホッピー通り、初音小路のような昼間から飲める飲んべえの町としてとらえている人も多いだろう。また、和・洋問わず高級・庶民派ともに食の名店も集中するエリアだ。