Dotted afterimage《点線の残像》
Dotted afterimage《点線の残像》

昔のマンガではさっきまであったはずのものがなくなってしまったことを表すのに輪郭を点線で描いたりしましたが、その見立ての通りまさに「消えた看板」です。

点線のようにほぼ均等に配置された糊跡はこれを取り付けた人の手技の痕跡そのものです。横長の長方形の看板を裏返しに寝かせて、四辺に沿ってコンクリート用接着剤のチューブの先から絞り出していったのでしょう。

向かって右側の辺の下のほうのドットがひとつ多いのはチューブの先に残ったダマをチョンチョンと擦り付けて切ったに違いないことまでDIY好きの人間なら想像できちゃいますよね。

点を均等に配置したのは作業や材料の無駄を省きながらも強度を保とうとする合理的精神の表れにほかなりません。

オセロゲームの盤面を攻略していくかのような戦略的な思考から画面の四隅や四辺に対する美意識までもがひしひしと感じられます。

ただ、想定外だったのはブロックにしっかりと張り付いたはずの接着剤が看板の素材との相性がいまひとつだったのか、肝心の看板のほうがはがれ落ちてしまったこと。

中央部にも接着剤を塗るべきでした……。

残された点々は「無言」というより「絶句」しているようにも見えてきます。

Street calligraphy《回にバツ》
Street calligraphy《回にバツ》

接着剤の跡からそれを取り付けた人の手癖や性格までもが読みとれることは大分わかってきました。では、こちらはどうでしょう。

線を引くように接着剤を塗るのは誰もがよくやることだと思いますが、四辺の内側にさらに四角形を書き、さらに2本の対角線で駄目押しとはかなり入念です。

しかも、残された痕跡はなかなか堂に入ってるじゃありませんか。もはや立派な筆跡、ストリート書道です。

ムラになるのも気にせず一気に書き上げたときの勢いが長い時を経て蘇ってきます。

Glue calligraphy on the wall《「図」を書けば地が際立つ》
Glue calligraphy on the wall《「図」を書けば地が際立つ》

糊跡のストリート書道には「口」や「回」や「田」など漢字の部首でいうと「くにがまえ」の字が多いのも特徴ですが、これはどうでしょう。

「図」に見えませんか。漢字の「図」です。

2本目の対角線を引こうとしたら接着剤が足りなくなったのかもしれません。絞り出すように点を2つ打ったところで何とも味のある字になりました。

「図」が書かれると「地」が際立つのもまた一興です。

Glue under nothing《無につける薬》
Glue under nothing《無につける薬》

これはもう前衛書道かアンフォルメル絵画かと思いました。

アンフォルメルとは「不定形」を意味するフランス語で、幾何学的抽象絵画への反動として生まれた荒々しく絵具のほとばしるアクションペインティングの仲間です。

それにしても一体どうしてこんな姿に?

よく見ると透明のシートの下に白い両面テープが貼られ、その隙間に塗られた白い接着剤が貼り付けたときの圧で何やら絆創膏の下に塗った軟膏薬のように滲みて広がっています。まさに無意識の絵画です。

透明のシートはおそらくパウチ加工した掲示物の表面と中身がはがれ落ちた残骸でしょう。

普段は見られない接着液のものすごい形相を透明シートが見せてくれました。

Just a say-nothing-door《無言の扉》
Just a say-nothing-door《無言の扉》

これは写真が傾いているのではなく被写体が傾いています。

それくらい年季の入った物置小屋の扉のガラス窓の部分をふさいでいた板がはがれたら、黒地に白い糊の跡が出現しました。

縦横に重なるように引かれた接着液のラインがまるで格子窓のように見えます。

でも、さらにじーっと見ていたらもっと驚くべきものが見えてきました。

そう、まさに「無」の一字です。

無はどうすれば見えるかという禅の公案のような扉を前に心を無にすることを悟ってしまいました。

文・写真=楠見 清