Bench warmer《無言の声援》

でも、それ以上に気になるのはこのやや右下がりの角度です。これは仕事が雑すぎるなと思いきや、看板の下の方をよく見るとちゃんと座板にぴったり合わせて固定してある。おそらくベンチのフレームがもう歪んでいるのか背板と座板が平行じゃなかったと。世の中なかなかうまくいかないものです。

ちなみに、背板からはみ出したこのオーバーサイズな感じから察するに、この看板はもともとどこか別の場所に取り付けられていたに違いありません。看板が付け替えられて必要なくなったか、壁がなくなったのかわかりませんが、何らかの事情で取り外されて今はここで第二の人生を送っているのです。

ベンチにひっそりとあるその姿から補欠選手のことを英語で「ベンチ・ウォーマー」ということを思い出しました。試合に出られない選手を「ベンチ温め係」と遠回しにいう表現には皮肉もユーモアも自虐も愛情も込められているわけですが、どこか別の場所から脱落してここに移籍してきたこの看板も、無言ながらじっと世のなりゆきを見守っているかのようにも見えてきます。

It doesn't know when to quit《引き際知らず》

暗渠の緑道で強烈な脱落看板に出合いました。あえて斜めにした台座のデザインにそもそもの無理があったのか、それとも単に接着剤が弱かったのか、経年変化でプレートが脱落し無言板と化した金属製の物体です。

バリバリとはがれたあとの表情もなかなか個性的で味わい深いのですが、ここではむしろ落ちたプレートの方が気になります。外れてなお「ゴミはお持ちかえり下さい」と主張するお前こそが本当はすでにゴミなのではないか?

落下した看板が自分のことを棚に上げてまだゴミの話をしているのも、外れたあとに現れた無言板より落っこちた方がどうやら役者が一枚上なのもおかしな話です。

落ちたプレートが捨てられずにこうして置かれたまま本来の職務をまっとうし続けているのがなんとも健気ですが、これがいつまで経っても捨てられないのはきっとそこに「ゴミはお持ちかえり下さい」と書かれているからでしょう。「うるさい!」という怒鳴り声がどんなにうるさくても非難されないのと同様に何事も言った者勝ちのようですね。

でも、そんな落下看板もじつは無言の台座に今も支えられている。よくも悪くも腐れ縁という見えない関係性が物理モデルになっていることに感心しました。

Sunbathing nothings《無の甲羅干し》

よく晴れた日の午後、大量の無言板に遭遇しました。清掃で取り外された何かのボードが洗浄され(多分裏返しに)干されている──あまりにも壮観な光景に目を見張りました。

もしこれが本当に裏返しの状態なら、表には警告文や注意書きが書かれているはずなのですが、こうして並べられている限りは実に穏やかなものです。

ふと亀戸天神社の池で甲羅干しをしている亀の姿が思い浮かびました。ここは無言板のサンクチュアリか。無言の群れの前をただ風が静かに過ぎていきます。

写真・文=楠見 清

どこの町にもある街路地図の案内板だが、道や番地を記したはずの黒の塗料がほどよい加減に褪色し、ところどころに緑地を表わす黄緑色が淡く残っている。最初にこれを遠目に見つけたとき、周囲を覆う樹木の葉色と相まってなんだか描きかけの風景画のようにも見えた。
看板には文字と絵が描かれたものがいろいろありますが、経年変化によってそのどちらかが先に消えてしまうものが意外にたくさんあります。単色の文字とカラーの絵の部分に違う種類の塗料が使われていると、耐候性や耐光性の違いから寿命に差がでてしまうんですね。そのとき、絵が消えてしまっても「注意」とか「禁止」といった文字さえ残っていれば、たいていの場合その意味はじゅうぶん伝わるのですが、問題はその逆です。文字が消えて絵だけが残った場合、この看板が何を意味していたのか分からなくなることがあるばかりか、何やら逆の意味に見えてしまうこともある。今回はそんな無言の絵看板を見ていきましょう。