ホッケー会場の奥に見えるのが、バレーボール試合会場の屋内球技場(日本ホッケー協会提供)。

まるでカーペットを敷き詰めたような美しさが強烈な印象でした」。オリンピックの思い出を聞くと、山岡敏彦さんはひと言。ホッケー日本代表選手として明治大学在学中から海外遠征や強化合宿に明け暮れ、世界各地のホッケー場を見た目でもなお、駒沢のホッケー場の素晴らしさには感動したという。

山岡敏彦さんと開会式の赤いブレザー。女子チームコーチ経験も。現在は東京神田の広島お好み焼き店『カープ』を経営。

この日のために整備された天然芝ピッチは、試合運びにも大きな成果をもたらした。「ボールの行く先を目で追わなくていいので、相手の動きに集中できたんです」と山岡さん。当時は手入れの行き届かない天然芝や土のピッチが普通で、ボールがどこへ飛ぶのか読み切れなかったのだ。

白いユニフォームの日本チームは第一試合で強豪パキスタン相手に善戦したが15カ国中7~8位に。当時選手交替がなかったので、これらの写真の中に山岡さんが(日本ホッケー協会提供)。

やがて1970年代に欧米の主張で、国際公式試合会場が人工芝に。さらに現在ではテレビ映りのよい青色で、試合前に水を大量に撒く「ウォーターピッチ」が義務付けられた。
実はこれらの流れでホッケー界には異変が起きていた。ホッケーは発祥地のイギリスを宗主国とするインドやパキスタンなどが盛んだった。ところが公式会場設置がままならない列強アジア諸国チームが衰え始めたのだ。かくいう日本もメキシコオリンピック以来、男子は出場権すら手に入れることができなかった。

真っ青なピッチに水しぶき カラフルな選手たちの躍動感

今年8月、大井ホッケー競技場で、女子日本代表「さくらジャパン」とインド代表の国際試合が行われた。
完成披露式典で日本ホッケー協会名誉総裁の高円宮妃殿下。

大井ホッケー場は、まさに念願の国際公式試合会場だった。現在国内の公認ホッケー場51カ所中、最高の競技場だ。常設のメイン観戦席はいい具合に日陰になり、潮風が心地よい。

メインスタンドのほか、オリンピック時には三方向に仮説席が。オリンピックやワールドカップなど最高峰レベルの国際試合が可能な国内初の競技場。

ではかつてのホッケー選手たちを魅了した駒沢総合運動場のホッケー場はというと、「あまりホッケーでは使われなくなっていました」と、東京ホッケー協会の方。東京都が運営する公共施設ゆえにサッカーなど他の競技にも使われ、芝生は荒れがち。いつしか土のグラウンドになった。
ところが2年前の大改修でここに人工芝が敷かれた。ただし水ではなく砂をまく「サンドベース」で国際試合はできない。それでも大学や企業のグラウンドを借りてしのぐ東京では、待望のホームグラウンドだ。

ここで世紀の決戦も。印パ戦争に揺れるインドvsパキスタン決勝戦直後の写真だ(日本ホッケー協会提供)。

大井ホッケー場も国際試合や日本代表チームのトレーニングなどにどんどん活用できれば、とホッケー関係者たちは期待する。大井と駒沢には小学生チームもできた。ホッケー場を有する地方にはあるが、東京では初めてだ。ホッケー人口が増えて層が厚くなるといい! ホッケーマンたちの夢は2020年の後にも広がる。

大井ホッケー競技場
~東京初のウォーターピッチで白熱!~
大井埠頭の南西部に1978年開園の大井ふ頭中央海浜公園がある。その一画に2019年8月17日、ホッケー場完成。転んでも摩擦で怪我をしないよう試合前に大量の水をまく「ウォーターピッチ」を採用した。オリンピックでは写真のメインピッチの四方を観戦席とするほか、サブピッチでも試合。ほかに2面の練習ピッチが用意される。
駒沢オリンピック公園 総合運動場第一球場
~選手たちが魅了された、天然芝の美~
農村からゴルフ場、そして戦争で幻となった昭和15年(1940)に東京オリンピック大会主会場が計画されたが、戦後に東京都が用地を買い戻し、駒沢総合運動場を造営。当初もホッケー場があったが、1964年大会のためにバレーボール試合会場の屋内球技場(正面)と一体型の野外ホッケー場を新設。現在は砂入り人工芝となっている。(写真は現在の第一球技場と屋内球技場)

取材・文=眞鍋じゅんこ 撮影=鴇田康則
『散歩の達人』2019年10月号より