今大会会場は陸上自衛隊朝霞駐屯地内の朝霞演習場敷地内に仮設施設として建てられる。オリンピックは火薬で発射する競技用ライフル・ピストルや、空気圧で金属弾を発射するエアーライフルとエアーピストル、連射のラピッドファイヤー、クレー射撃などが競われ、男女混合チームも。それぞれ約50名の予選後に上位8名が競う決勝戦。観客席約3000席。
自衛隊駐屯地に取材に行くと、入り口の隊員たちがライフル銃を背負っていた。「射撃競技では自衛隊がライフル、警察はピストルが強い」と聞いたが納得だ。
しかしスポーツといえども、日本では選手にとって銃刀法の壁は厚い。装薬弾のピストルなんて全国で50人にしか所持を許可されず、銃の保管方法も厳しく定められている。
その代わりに日本では許可が不要なビームライフル・ピストルの開発が進んでいると、日本ライフル射撃協会の松丸喜一郎会長は語る。「実弾を使わないので子供も親しめ、競技者の裾野が広がります。高齢者施設で取り入れれば脳の活性化にも。また客観的な成績を瞬時に共有できるデジタルによる射撃は別会場でも同時開催可能で、将来有望です」。
私もデジタルピストルを体験した。銃口はピタリと止まることはないというが、頃合いを見計らって引き金を引くと命中! まぐれでも面白い。
ライフルやピストル選手たちもこの揺らぎの克服が課題だ。ライフル選手は皮革や分厚い布製コートで全身を包む。「体を固定するほかに、自分の脈拍を伝えない役目もあります」と、自衛隊体育学校射撃班の諏江コーチ。教え子の谷島緑選手に至っては「食事の塩分を控えます。ライフルを支える頬がむくむと姿勢に影響するので」。どこまでも繊細なのだ。
農村に大正3年(1914)東上鉄道が開通。昭和8年(1933)には東武鉄道社長の根津嘉一郎が根津公園を計画して最寄りの新倉駅も設置するが戦争で中止。陸軍予科士官学校を経て終戦後はGHQが利用、根津パークと呼ばれた。一帯はキャンプ・ドレイクと名づけられ、選手村候補だったが、代々木に決定。射撃場だけが造られ、土木工事は自衛隊特科部隊が担った。
標的の1㎝の黒丸めがけ、自分の集中力との戦い
射撃は案外静かなる競技だ。私たちが見学した10mエアーピストル競技も75分以内に60発。標的に1㎜単位で命中させる瞬間を選手たちはじっと見計う。精神力の勝負だ。
ところが同志社大学射撃部時代に前大会を手伝った平瀬紘一さんの回想ときたら……。「初日の朝9時の時報と同時に選手100人が一斉に撃ったので、銃声のあまりの轟音(ごうおん)に見学の子供たちが倒れてしまって。その上、地元・朝霞市が開催祝いの花火を打ち上げたものだから選手からも苦情殺到」と苦笑。大騒ぎだった。でも新記録続出の好会場だった。
もっとも2012年に谷島選手が出場を果たしたロンドンオリンピックも、「観客がたくさんいて気がたかぶりました」。この大会から射撃も「BGMありのテレビ映えする見せる要素」を求められるようになったのだ。選手は一層の精神力が求められそうだ。
とはいえ「射撃選手は真面目で冷静沈着な方が多い」と関係者。人格育成の場でもあるのだ。頼もしい。
取材・文=眞鍋じゅんこ 撮影=鴇田康則
『散歩の達人』2021年4月号より