2021年1月1日開催の東京陸上競技協会主催「第69回元旦競歩」。神宮外苑絵画館の周り1350mを周回。1・2位の選手は日本代表候補だ。

初めて競歩を観た。明治神宮外苑で毎年開催される 「元旦競歩」 。しかも日本陸上連盟の吉澤永一さんの解説付きだ。 「競歩はクネクネしてると言われるでしょ」 と独特な歩き方を指して吉澤さんは笑うが、それよりその速さに目を見張った。

女子日本代表・岡田久美子選手。競歩は腕を大きく振る勢いで骨盤ごと足を出し、着地した足は膝を曲げない。クネクネ見える独特の歩き方はそのため。上腕が鍛えられた体形も競歩選手の特徴だ。

何よりびっくりしたのは、長距離なのに同じコースをぐるぐる回り続けることだ。ここはまだ公園内の周回だが、例えば50㎞競歩は片道1〜2㎞の平坦な道路を何十往復もするのだ。その距離感を正月の「箱根駅伝」に例えるならば、神奈川県の戸塚第二中継所のさらに約5㎞先まで行けてしまう。飽きないの?

でも吉澤さんは「審判員6〜9名を配置するので。選手も地面が平坦だしペースも取りやすく、他の選手の動きもわかって歩きやすいです」。

フォームの乱れで審判員に反則を取られるわ、走っちゃいけないわと何だか禁欲的な競技だなあと思わずつぶやくと、吉澤さんは「競歩は真面目な選手が多いですよ。新型コロナウイルス対策にもきちんと取り組んでいます」と、さわやかに笑った。

「W」は両足が地面から離れた時、「<」は着地した足が地面に垂直になる前に膝を曲げてしまう反則を意味する。審判員が目視し、カード3枚で失格。
日本陸上競技連盟事業部長の吉澤永一さん。2002年アジア選手権金メダル、翌年パリ世界選手権日本代表など国内外で大活躍した。
2020年大会コース
~北海道創成期の直線道路を25往復~
明治2年(1869)に北海道開拓使が置かれた札幌は碁盤目状に整備され北の官庁街と南の住宅・商業街間に大規模な火防線を造った。これが札幌大通公園。競歩はここが発着点でメイン通りの札幌駅前通を周回。ちなみに変更前の都内コースは皇居外苑を貫く内堀通り。現在は審判員の目が届く1周1~2kmの平坦な周回コース往復が規則だ。

審判員は専用車で次々移動、裏方も激戦だった

もっともマラソン同様、競歩も長距離ロードレースだった時代があった。前大会も国立競技場を出発し、甲州街道の府中市が折り返し点だ。「だけど審判員はどうしたのだろう」と、疑問を覚えた吉澤さんは後日調べて教えてくれた。専用車に審判員たちを乗せては降ろしと、配置して回ったのだ。それも大変だわ。

府中市の50㎞競歩折り返し点にて。府中市はマラソン折り返し点も誘致したが国立競技場トラックも回るため数100m足りずに調布市に決定。この時の国際審判員・津田直彦氏は海外から競歩連続写真を取り寄せ研究した。(写真:フォート・キシモト)
上写真の折返点に現在「50㎞競歩折返点記念碑」が。 ここを歩いた日本人3名中、最速で 22位だった。
1964年大会コース
~秋雨の中、古代から栄えた街で折り返す~
府中は奈良・平安時代に武蔵国の国府が置かれ、江戸時代は甲州街道府中宿として繁栄。大正5年(1916)京王電気軌道府中駅開業。その北側に1955年に新甲州街道開通、50km競歩の舞台として小金井街道との交差点近くが折り返し点となった。20km競歩は神宮外苑絵画館周回で国立競技場出入り以外は、現代の元旦競歩とほぼ同じコース。

この中に日本人初の国際審判員、津田直彦氏がいた。彼こそが戦後有志と 「元旦競歩」 を始め、日本での競歩普及に努めた御仁。元旦競技会場でお会いしたご子息の昭彦さんも、バケツで選手の飲料水調達など子供の頃から手伝ったとか。ところが大会当日は観ていない。う、残念!

津田昭彦さんは元旦競歩創始者の父・直彦氏の競歩普及の偉業を後世に伝えるため「津田直彦賞」を、私費で20年間授与し続けた。

と思いきや、府中市市史編さん担当の方がある人物を紹介してくれた。当時小学4年の時、ボーイスカウトの奉仕として観客の最前線で会場整理をした松田信彦さんだ。何と競歩の絵を描き新聞に掲載されたという。「冷たい雨の中、大きな西洋人たちがすごい速さで通り過ぎた」と松田さん。その表情が辛そうで自分も競歩をしたいとは思えなかったとか。

ボーイスカウトの奉仕で競歩会場にいたら、突然呼び出されて描いた絵。翌朝の東京新聞に掲載された。
今回の取材直前に母が掲載新聞を押し入れから出してくれて」と松田信彦さん。

とはいえ 「散歩が生業」 の私としては、競歩はこれまでの連載の中で一番実際にやってみたい競技だと思った。二足歩行で競う、人類ならではのもっとも単純な醍醐味なのだ。

取材・文=眞鍋じゅんこ 撮影=鴇田康則
『散歩の達人』2021年3月号より