路上園芸は街の風景のスパイス
そして足元の舗装のひび割れからは、ところどころで小さな緑が顔を出しているだろう。時にそれは、もともと鉢植えに植えられていたのが逃げ出してきたものかもしれない。
私はそういった、路上の空間をさりげなく使って営まれる園芸や、路上のスキマで気ままに生きる植物を「路上園芸」と称し、鑑賞を続けてきた「路上園芸鑑賞家」だ。
なんともわけのわからない肩書だろう。自分自身、いかにも怪しげだと思う。
10年ほど前に、家の近所にあった鉢植えにふと目が止まり、「路上園芸」的な現象が気になり始めた。
一度気にし始めると色々な街でやたらと目につくようになり、写真におさめ、細々と発信など続けてきた。
ちなみに、植物に興味があるというと、自分でも育てたりするのかと聞かれることがあるが、元来のスボラさが災いし育てるのはサッパリ。完全なる「見る専」だ。人さまの手塩にかけた鉢植えを勝手に愛でるという覗き見的な趣味ゆえ、謙虚さは心がけている。
当初は周りの友人知人から「急にどうした」という目で見られていたが、最近では「10年経ってもまだやっているんだ」と、少しずつ受け入れ(諦め?)られてきたように思う。
自分でもなぜこんなに「路上園芸」に目がいってしまうのか、ときどき不思議に思う。
鉢植えが並ぶ風景というと「下町情緒」「昭和レトロ」を体現するアイテムにも捉えられがちだろう。しかし鉢底をすっかり貫通しアスファルトにがっつり潜り込む根っこは地球侵略を企む異世界人みたいだし、こんもり繁った葉は時に妖怪的な存在感を放ち、心をざわつかせる。
不可思議なのは植物だけではない。家と外との境界線で行われる路上園芸では、時おり暮らしの一部やプライベートな趣味趣向が、ひょっこり路上に漏れ出てしまうことも。
計画されたものが中心の街中において、街の人が暮らしの中で思い思いに置いた鉢植えや、どこからか旅立ってきた植物は、ある意味予想がつかない、計画外の「はみだしもの」的な存在とも言える。
しかしその「はみだしもの」こそが、街をグッと魅力的に引き立たせる。
決められた枠に静かにおさまらない園芸愛や生命力に元気をもらうというか、なかなか王道を歩めず社会からはみだしがちな自分との間に、妙なシンパシーすら感じてしまうというか。
とにかく「路上園芸」は、街の風景の主役にはならなくとも、間違いなくその街を居心地良いものにする存在なのだ。
森下で路上園芸の洗礼を受ける
すっかり前置きが長くなってしまったが、この連載では色々な街を「路上園芸」目線で探訪してみたい。
第一回目は、森下。過去に用事で何度か訪れたことがあり、その時も、表通りから路地裏まで鉢植えに溢れていた印象があり、あらためて訪れてみることにした。
スタートは都営新宿線・森下駅。地図には載っていない路上園芸。嗅覚を頼りに歩いていくことにする。
駅の階段を登り地上に出て、ふと目の前の植え込みに目をやると、色とりどりの花。
……むむ、ニオうぞ。
その近くの植え込みにも、生い茂った葉っぱに混じって咲くパンジー。
むむむむむ、ニオう。街角花咲か園芸家の気配がぷんぷん漂ってくる。
通りを渡ると、道沿いのコンクリートの台の上にパンジーの鉢植え! ブラウン系で統一された鉢がズラリと並ぶ様子は壮観だ。
おお、“発信源”はここか!?
街のあちこちをパンジーでいっぱいにする園芸家の姿をひそかに妄想しながら、歩き進めていく。
森下駅の前には大きな通りがあり、通り沿いには飲食店をはじめ様々な商店が軒を連ねる。ここに住んだら、まず食事には困らなそうだ。「今日はどこで食べようかな」と悩むのが楽しそうな街だ。
大通りを歩いていくと、かわいらしい看板に目を奪われ立ち止まる。
「アツアツ」の書体も、パーツを張り合わせ描かれたであろう弁当の絵も、なにもかもたまらなくキュート。
店頭には、お客さんを出迎えるようにこちらを向くゴージャスなソテツと、そしてパンジー! その間から、路上園芸でおなじみの植物・アロエもちらりと顔を覗かせる。
大通りから中に入ると、住宅の軒先を飾る鉢・鉢・鉢……! 森下が路上園芸の宝庫であることをあらためて実感する。
建物が密集する街なかでは、玄関先や路肩など、ちょっとしたスペースに鉢植えが置かれ「庭」代わりとなる。ブロックをうまく組み合わせたり、使わなくなったプラスチックケースを転用したりと、鉢植えのステージの演出方法も見どころのひとつだ。
路上園芸のもう一つの見どころ。それは、植物が植えられた鉢。特に個人的に注目しているのは、既製品の鉢に混じって、生活の別のシーンで使われていたものが鉢として転用されているケース。「転職鉢」と呼んでいる。
ここ森下では、「日立電線」と書かれた転職鉢を発見。
もともと電線関連の部材が入っていた容器だろうか。その容器に今は植物が入っている、ということにグッときてしまう。
レアな転職鉢に目を奪われた後、ふと上に目をやると、なんとベランダから身を乗り出すサボテンが!
ベランダの柵の外にググっと乗り出し、そのまま真上にまっすぐ伸びている。どうやって支えているのか、アクロバティックな姿勢で生きながらえているのがすごい。
花芽の跡がいくつかあるということは、この姿で開花もしたのだろう。ぜひ開花する姿も見てみたいものだ。
それにしても花芽の跡が目と口のようだ。きょろきょろと周囲を見渡し、ここから脱出するタイミングを今か今かと見計らっているようにも見える。
路上園芸鑑賞は、足元だけでなく上空も見逃せない。
緑に包まれた理容室
……と、まだ駅を出て100メートルも進んでいないのに、かれこれ30分近くが経とうとしている。
なんてことないように見える住宅街こそ、路上園芸的には見どころに溢れたスポット。
特に最近はコロナ禍で外出自体を控えていたこともあり、「取材」を口実に心おきなく散歩できる時間がとにかく嬉しい。いつも以上にはりきってキョロキョロしながら歩いていたら、迫力のある建物に出くわした。
建物の上部分を緑濃いキヅタの葉が分厚く覆い、その下半分は、太い茎がのたうちまわるように独特の曲線美を描いている。
これは、すごい!
サインポールが掲げられているので、理容室のようだ。いてもたってもいられず、木の扉を開けてみると、店主さんとそのお母さま、人懐っこいワンちゃん2匹が出迎えてくれた。
キヅタに包まれたこちらの理容室は『men’s hair ユタカ』さん。
今は建物いっぱいがツタに包まれているが、もともとは30年ほど前に、小さな苗の状態で植えたものだそう。現・店主のお父様が昔ヨーロッパ旅行へ行った際、ツタに包まれた建物を見かけ、ご自身のお店も……と、苗を入手したことがきっかけだとか。
ツタの這う壁の内側は、階段になっているため窓がなく、壁面いっぱいをツタが覆っている。茎の部分は特に牽引などしておらず、自らの力で壁面に貼り付き、自然とこの曲線を描いているというので、驚く。
なんとこのツタ、店主の谷本さんが毎年自ら鋏を持ち、手入れされているとのこと。作業の際には葉が飛び散らないようネットを張り、上部分から少しずつ手入れしていっているそうだ。
お店のホームページには、時期ごとのツタの様子が掲載されており、様々な表情の変化を楽しめる。
ダイナミックな見た目ながら、きちんと整った印象も同時に受けたのは、細やかな手入れの賜物だったのか。
さすがはカットの達人、となんだか納得してしまった。
きっとご近所の方にとっても名所になっているに違いない。街の路上園芸は、こういう方々の植物愛によって作り出されているのだな。
サボテンの摩天楼
さて、緑に包まれた理容室を後にし、清澄白河方面に向かって歩き進めてゆく。
キョロキョロと路上の鉢植えに注目しながら歩いていると、やたらと視線を感じた。
犬にリスに狸。植物の脇に添えられるこういったオーナメントも、路上園芸には欠かせないアイテムの一つだ。
路上に宿る八百万のキャラたちが、鉢植えの中に世界観を作り出す。
そんな中でもひときわデカいキャラがいる……と思ったら「のらくろ」だった。
江東区高橋の「高橋商店街」は、「のらくろ」の作者である田河水泡氏が幼少期から青年期までを過ごしたゆかりの地。
「のらくろロード」の別名もあり、あちこちにのらくろのパネルが置かれたこの商店街は、路上園芸の宝庫でもある。
お店の軒先を思い思いに彩る鉢植えを眺めながら歩いていたところ、重厚感のあるサボテン集団が目に飛び込んできた。
鉢いっぱいにみっちり密集したサボテンが一斉に伸びる姿は、まるで小さな摩天楼。
隣の鉢では、シクラメンの葉の陰に「予備軍」といった感じで子株が潜んでいた。
このサボテンの主は、向かいの建物の大家さん。「摩天楼」はなんと20年モノとのことだ。
建物の前には、大きな樽に入った植物がいくつも並んでいた。
鉢にしては珍しいな、と気になって尋ねたところ、毎年鏡開きで使い終わった酒樽だそうだ。一年間水につけてお酒を抜いた後、植物を植えるとのこと。
言われてみれば、樽によってはやや年季が入ったものから新しそうなものまで。ずらり並んだ樽が、無事に過ごせた年月を物語っているようだ。
ちなみにお向かいでは、青いポリバケツが鉢になっていた。
「転職鉢」にもスタイルあり、だ。
……と、森下駅を出発してからせいぜい数百メートルの距離を歩くのに、2時間近くもかかってしまった。
「オオッ」と驚くインパクト満点な路上園芸。育て主にお話を伺ってみたことで、その背後には細やかな手入れや植物愛がしっかりと存在していることを実感した。
街の路上園芸ひとつひとつに、試行錯誤や創意工夫を含め、植物との間で紡がれた物語が潜んでいるのだろう。
今後もまた別の街で、その街独自の路上園芸を探訪していきたい。
取材・文・撮影=村田あやこ