2016年1月 渋谷「シネマライズ」
『トレスポ』も『ファーゴ』も『アメリ』もここで観た
ミニシアター文化の中心地であり、さきがけであり、シンボルでもあった「渋谷シネマライズ」が、2016年初頭、30年近い歴史の幕を閉じた。メジャー系にはない、おしゃれでアートな作品を公開し、次々とヒット作やブーム、新たなカルチャーを生み出してきたその功績は計りしれない。思えばここで『トレインスポッティング』も『ファーゴ』も『アメリ』も『レザボアドッグス』も『ムトゥ踊るマハラジャ』も『ブエノスアイレス』も『ブエナビスタ・ソシアル・クラブ』も『ベルベット・ゴールドマイン』も観たなあ。そうそうたる作品群だ。80~90年代のひとつの時代が終わったのかなあ。シネコン全盛の中、こんな劇場はなかなか生まれてこないだろう。最後の上映は『黄金のアギーレ』だった。スペイン坂の上のこの場所は、現在ライブハウス『WWW』になっている。
余談だが、この場所かつては、「ホテルオリエント」というラブホテルだったのをご存じだろうか? 80年代に入ってスペイン坂に人が増えて営業しにくくなって消えていったようだ。
2016年3月 新宿「スタジオアルタ」
テレビ史に燦然と輝く、公開放送のスタジオ
新宿東口駅前の「スタジオアルタ」が、3月いっぱいでスタジオとしての営業を休止した。31日のMXテレビの生放送が最後の放送であった。1980年のオープン以来36年間、公開放送のスタジオとして数々のドラマが生まれた場所であり、テレビ史に燦然と輝く歴史的な場所でもあった。フジテレビの「笑ってる場合ですよ」、そして「笑っていいとも」はここで32年間生放送を行った。スタジオ閉鎖後、劇場「ALTA THEATER」となり、さらに現在はイベントライブスタジオ『Key Studio』に生まれ変わっている。ちなみに、『新宿アルタ』は現在も変わらず営業を続けている。
2016年8月 「渋谷パルコ」(パート1・3)
“パルコ文化”を築いたカルチャー発信地
渋谷のシンボルだった「渋谷パルコ」のパート1とパート3が、8月7日、全館建て替えのため閉館した(パート2は2007年に休館)。渋谷の文化の中心であり、パルコ文化を築いた存在である。
1973年、公園通りにパルコが出来て、周辺の景色が一変したことが思い出される。それ以前は、喫茶店が数件あるだけの地味な公園通りだったが、あっという間におしゃれで華やかなプロムナードに変身した。パート1の「パルコ劇場」はカルチャーな香り漂うシアターで、三谷幸喜や美輪明宏の舞台を楽しんだ。パート3の「シネクイント」では、『バッファロー66』や『下妻物語』など尖がった映画をたくさん観た。1階には「TOKYO FM 渋谷スペイン坂スタジオ」があって、いつも多くのファンやリスナーが集まっていた。
新しいパルコは2019年、全館建て替えてオープン。館内には任天堂やCAPCOM、少年ジャンプのストアなども入り、マンガ、アニメ、ゲーム文化を発信するサブカルの新基地として話題になっている。8階には新たな『パルコ劇場』とミニシアター『ホワイトシネクイント』が入り、パルコ文化を継承している(「シネクイント」は現在別場所で営業している)。
2016年9月 浅草花やしき「Beeタワー」
昭和の子供たちの思い出が集まったランドマーク
開園165年の「浅草花やしき」のシンボルだったアトラクション「Bee タワー」が9月に引退、取り壊された。1960年『人工衛星塔』としてオープンした「Bee タワー」は、地上45メートルをゴンドラで回転するアトラクションで、浅草寺から仲見世、スカイツリーも見渡せる眺望は、家族連れにもカップルにも大人気。まだ五重塔もスカイツリーも無い時代、浅草で最も高いランドマークとして56年間親しまれた。昭和の子供たちの思い出がまた一つ消えてしまったさみしさを感じる。現在は『浅草花劇場』というシアターに生まれ変わっており、下町の伝統芸能からアイドル、プロレスなど様々なエンターテインメントを発信する劇場として注目されている。
2016年12月 「プランタン銀座」
コンサバファッションで人気を博したOLの聖地
1984年オープン、30年以上女性のファッションの最先端をリードしてきたOLファッションの聖地「プランタン銀座」が、売り上げの不振などから2016年末でクローズした。20代後半のOLをメインターゲットにコンサバファッションで人気を博し、ここを愛用していた女性は多いことだろう。「アンジェリーナ」のモンブランなどは、スイーツブームの先駆けとなり、超人気店として有名だった。銀座店の閉店で、日本国内から「プランタン」の名称の店舗は姿を消した。リニューアル後は『マロニエゲート銀座』として、国内最大規模の『ユニクロ』も入り、新たなランドマークとなっている。
2017年3月 銀座「ソニービル」
新しい時代の到来を感じさせてくれた場所
銀座の超有名スポット「ソニービル」が、3月いっぱいで閉館し、取り壊された。1966年に建てられた画期的なビルで、ソニーのショールームとして紹介される最先端の技術やおしゃれなディスプレイは、新しい時代の到来を感じさせてくれた。ドレミファ階段も名物で、子供たちに人気だった。館内には、パブの走りだったロンドン風パブ「カーディナル」や、輸入雑貨の草分けで女子の圧倒的人気を集めた「ソニープラザ」、最高級フレンチレストラン「マキシム・ド・パリ」など、「さすが銀座」と思わせる魅力的な場所がいっぱいだった。最後のイベントは「イッツ・ア・ソニー展」で、歴代ソニー製品がズラリと並んだ。
私の最大の思い出は、1972年2月28日、女の子と待ち合わせてすっぽかされたときのこと。たまたま「ソニービル」に入ったら、1階は黒山の人。まさにその日は、あさま山荘攻防のクライマックスで、モニターの前でフロアいっぱいの観客(?)と一緒に、落城まで6時間も見続けていた。はるか遠い昔の記憶である。
2021年2月現在この場所は、『銀座ソニーパーク』として公園広場になり、今後は新ソニービルが建設される予定である。