どちらも主役! タンギョウの総本山
1959年創業の『來々軒』は、「タンギョウ」発祥の地といわれる。タンメンと餃子のコンビがおいしいと評判になり、気づけばタンギョウを頼む客ばかりになっていた。「できるだけ甘く、やわらかいキャベツを業者に入れてもらっています」とは、店主の荒張好衛(あらはりよしえい)さん。太くて弾力がしっかりした麺と塩味が効いたスープが、野菜のおいしさをいっそう引き立てる。そして、これに抜群に合うのが鉄鍋で作られる餃子だ。スープで茹でた後に焦げ目がつくまで焼き、香ばしくカリカリの仕上がりに。餃子をタンメンのスープで胃に流し込むのは、まさに至福の瞬間だ。
荒張さんは元々この店の常連客。先代に頼み込んでタンギョウを継承したという。「1週間だけ教えてもらったんです。味はよく知っていたけど、作り方は聞かないとねえ」と、当時を懐かしむ。店内にはオレンジ色の台ふきを置くなど、先代の店の雰囲気も再現。常連客だからこその「來々軒愛」、そして「タンギョウ愛」で見事に店を引き継いだ。
そんな現在の『來々軒』も、これまでと変わらずタンギョウを求める客で連日にぎわい、新たなファンを生み続けている。こうしてタンギョウ文化が次世代につながっていくのだ。
町中華探検隊、タンギョウを語る
昔から好きなんだよ。
30代前半の頃、町中華に行って、僕はチャーハンとか頼むんだけど、トロ隊長はタンメンを頼んでいて驚いたよ。
野菜が体に良いからね!
体に良いから食べるっていう発想にびっくりした。自分はそれから20年くらい経って、西荻窪の『はつね』で食べてタンメンに目覚めたね。
僕も30代後半になり、タンメン率が増えてますね。
ご主人、『來々軒』さんは以前はもっと年季の入った店でしたよね。確か木造の建物だった。
それは先代の頃で、1本奥にお店があったんです。私がここで店を開いたのが2009年です。
なるほど、そうなると『來々軒』さんが移転した頃にタンギョウブームが到来したということだね。タンギョウを出す店も増えたような気がする。
そう、「タンギョウ」っていう言い方は、その頃から耳にするようになったと思う。
ではご主人で2代目ということですか?
いえ、先代のお兄さんが創業して、先代が2代目。そして私が3代目になります。
常連客が守り抜いたタンギョウ文化
ご主人と先代はどのような関係だったのでしょう?
実は私、常連客だったんですよ。大手運送業者で働いていて、しょっちゅう通ってました。
へえ、そうなんですか!
タンギョウは昔からあったんですか?
初代の頃からこの組み合わせが人気で、当時の常連客がそう呼びだしたようですね。私もお客の頃は、タンギョウばかり頼んでいました。ほかにもたくさんメニューはあったんですが。
いろんな料理があったわけですね。今ではタンギョウの店と思われているけど、元々は町中華だったんだ。
ご主人がお店を継がれた経緯を教えていただけますか?
私が継ぐ前に空白の期間が1年ほどあったんです。先代が店を閉めたと聞いて、私は不動産屋を回って先代を探すところからスタートしました。
探偵みたいですね!
それで不動産屋に先代の連絡先を教えてもらったんです。
『來々軒』を継ぎたいと言って、すんなりOKは出たんですか?
いえいえ、断られましたよ。でもなんとか口説き落として、一つだけ条件をつけられたんです。「家族でやるんだったらいいよ」と。
なるほど! 確かに従業員を雇うのは大変ですものね。
家族には給料払わなくてもいいから、という考えですよね。
元々飲食店を開くおつもりだったんですか?
そうですね、関西でとんこつラーメンの修業をしたこともあります。でも、そうこうしているうちに『來々軒』が閉店という話を耳にしてね。これはなくしちゃいけないと思ったんです。
『來々軒』の復活は当時大ニュースだったからよく覚えてますが、まさかそんな裏話があったとは!
この味とタンギョウ文化が継承されて本当に良かったです。
ご主人の頑張りがあってこそ今の『來々軒』あるんですね。
『來々軒』店舗詳細
文・構成=半澤則吉 撮影=山出高士
『散歩の達人』2021年2月号より
ついに町中華探検隊で『來々軒』さんに来ました! お二人ともタンメン好きですよね。