座談会メンバー紹介

小田原のどか ……1985年生まれ

彫刻家、評論家、版元運営。芸術学博士(筑波大学)。主な編著に『彫刻1』(2018)、『彫刻の問題』(白川昌生、金井直との共著、17)。主な受賞に第12回岡本太郎現代芸術賞など。19年のあいちトリエンナーレにも出展。

30代座談会
好きな作家のひとりであるポール・オースターの『リヴァイアサン』。中学の頃、村上春樹から興味を持ち、海外文学を読むように。

パンス ……1984年生まれ

コメカさんと共にテキストユニット「TVOD」として活動。歴史好き。ときどきライター。ひまさえあれば年表や地図を手に取って眺めている。最近は韓国を中心に東アジアの近現代史とポップカルチャーを掘る。コロナ禍により海外に行けないので、東京都内でアジア各地の飲食店をめぐる日々。韓国語の勉強中。DJもする。

30代座談会
読みすぎてカバーが取れてしまったパンスさんの愛読書『江戸東京年表』(小学館)。「3万年前から現代までの東京年表。街に焦点が当たっているのがいいんです」。

コメカ/下田裕之 ……1984年生まれ

早春書店』店主。大手書店に勤務しつつ、2017年にパンスさんと共にテキストユニット「TVOD」として活動を開始。2019年には国分寺に『早春書店』をオープン。ライターとしてはソロ名義でも、文春オンラインなどで執筆中。

30代座談会
大塚英志による2016年の文芸批評集『感情化する社会』。「大塚さんの言説に触れたことで、ものを考えるきっかけを得た実感がある」。対談では『物語消滅論』(角川書店)も話題に。

鈴木紗耶香 ……1983年生まれ

ライター。

鈴木奈保子 ……1981年生まれ

フォトグラファー。

渡邉 恵 ……1984年生まれ

『散歩の達人』編集部。

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渡邉 : TVODさんは今年『ポスト・サブカル焼け跡派』を上梓されました。どんなきっかけで生まれた本なのですか?

パンス : 2016年頃、「音楽に政治を持ち込むな」的な話題がネットで盛り上がっていて、それに対する僕たちの考えをブログで発表したのが始まりでした。

30代座談会
『ポスト・サブカル焼け跡派』
TVOD著/百万年書房/2020年
矢沢永吉から大森靖子まで1970年代~2010年代の15組のアーティストを批評しながら現代日本の精神性を読み解く。オリジナル年表付き。

コメカ : ざっくりいうと、僕らは70年代以降の日本のサブカルチャーの制作や表現のされかたが脱政治化されていったという見方をしています。その具体例として、ポップ・ミュージシャンたちが消費社会下においていかに「キャラクター化」されていったのか、その変遷を本の中で語っています。

パンス : ただ、本をつくっていく中で社会の状況が変わってきて、当初僕たちの考えていた、政治や社会問題を積極的に語るという状況は、ネット上のレベルだと実現してしまっている。けれど、それはそれで……。

コメカ : SNS内の話題にワーッと人が飛びついて、半日単位でどんどん話題が変わっていくような、「動員」の常態化が生まれてしまったように思います。

この本が対話によって編まれていることは重要

鈴木 : 小田原さんは、近代や戦時下の彫刻、とくに長崎の爆心地に立てられていた矢形標柱、戦中の軍人像や八紘一宇(はっこういちう)の塔、裸体像の氾濫といったことをテーマに制作や執筆をされています。『焼け跡派』をどう読みましたか?

小田原 : ツイッターなどのSNSが、同調を強めていく機構であるのに対して、この本が論争的な対話によって編まれていることはすごく重要なことだと思いました。哲学では対話篇はとても重要な形式ですよね。

パンス : うれしいですね。

小田原 : 印象的だったのは電気グルーヴの章ですね。中学の頃に電気グルーヴが好きで、『メロン牧場 花嫁は死神』を読んでいたのですが、「これを読んでいる女はみんなブスだ」というようなことが書かれていて、どう受け止めたらいいのかなと。でも、そういう女性への蔑視に怒るのではなく、あきらめていたところがありました。

鈴木 : あえて“サブカル女子”と言いますが、そういうサブカル男子がサブカル女子をバカにするような態度を本で批判されていたのには感激しました。

小田原 : 違和感があると言っていいんだと励まされました。

パンス : そうなってきましたね。

コメカ : 日本のサブカルチャーには、カウンターカルチャーを脱政治化して消費財化した側面がありますが、カウンターカルチャーが抱えていた男性中心主義的なものも、サブカル史のなかで温存されてきてしまったと思うんです。

パンス : サブカルチャーの領域なら、僕らみたいに見た目が弱そうなタイプの男子でもヒーローになれる可能性があるから、ひかれてしまうんですよね。

コメカ : 勉強も運動もできないからバンドやろうみたいな。大槻ケンヂさんの『グミ・チョコレート・パイン』は、まさにそういうサブカル男子の青春を描いた小説です。ただ、僕らみたいなタイプの男がマッチョイズムを内面化していないのかといったらそんなことはなくて。たとえば今日持ってきた『男らしさの終焉』のような、男性性批判的なテキストや会話に触れる機会が増えてきて、いかに自分が男性性の上に自尊心やプライドを作ってきたのかということを、日々気づく状況になった感じです。

小田原 : 『男らしさの終焉』は、今日私も持ってきているんです!

パンス : ただ、そこでもやっぱり、ホモソーシャル的な構造は変わっていない部分があって、俺のほうがもっとジェンダーに詳しいという男同士の争いになってしまうんです。結局、本当にそこに女性は介在しているのか、っていうことを考えてしまう。

コメカ : 結局、ホモソーシャル的な語り方になじみすぎてるんだよね。

小田原 : とはいえ、こういう本が男性に読まれるようになってきたのはすごくいい傾向だと思います。実は、アートのジャンルの中でも、彫刻や日本画は特に男尊女卑がきつい分野なんです。女は描かれるもの、描くのは男たち。それが自明で、疑われない構造があるんです。私は高校の頃から彫刻をやっているんですが、今でも思い出すのが、「自分の裸を見てつくればいい」と男の先生に言われたことです。自分の体を見る対象にする、だからつくる自分は男の視点を内面化していかなければならない。この10年でもだいぶ変わってきましたけど、いまだに硬直した構造を疑うことを嫌がる人は多くいます。

鈴木 : 小田原さんの『彫刻1:空白の時代、戦時の彫刻/この国の彫刻のはじまりへ』に書かれていた、街の女の裸体像の歴史には衝撃を受けました。三宅坂にある『平和の群像』と名付けられた女性裸体像は、敗戦を機に、戦前に軍の威光の象徴としてつくられた軍人の銅像が金属の供出で撤去された、その空の台座の上に置いたものだった。それをきっかけに街に女の裸体像が氾濫していったそうですが、それはつくり手が男性である影響が強いんですね。

30代座談会
『彫刻1:空白の時代、戦時の彫刻/この国の彫刻のはじまりへ』
小田原のどか 編著/トポフィル/2018年
「空白の時代、戦時の彫刻」と「この国の彫刻のはじまりへ」の2つの特集を柱に、「彫刻とは何か?」を問う。13人の著者による論考集。

小田原 : 今の美大生は女性のほうが多く、裸体像をつくっているのも実はもう女性が多くなっている現状があるのですが、ああいうものがどうして日本にこれほど広まったのか、美術史の中では全然語られないんです。それは美術史において彫刻がやや周縁に置かれているからということもあるのですが、端的には、彫刻が政治と密接だからです。語られない問題だからこそ、きちんと書いていかなければと思います。

コメカ : どのジャンルを見ても、戦後日本の環境って、ナショナルな物語やコンテクストをぼんやりと曖昧なものにしていくプロセスだったように思えるんですよね。自分が慣れ親しんできたサブカルチャーの領域においても同じようなことを感じていて、自分たちが触れている表象がどこから来てどこへ行くものなのかというような長いスパンの話を読んだり聞いたりした記憶があまりなかったんです。まあ歴史を気にしなくても文化は楽しめるんだけど、このままではさすがにマズいんじゃない? という気持ちがあって。

小田原さんの“箱推し”という美術史学者の故・若桑みどりさんの研究室出身者の著作。(左から)若桑さんの『戦争がつくる女性像』、吉良智子『戦争と女性画家 もうひとつの近代「美術」』、池川玲子『ヌードと愛国』。
小田原さんの“箱推し”という美術史学者の故・若桑みどりさんの研究室出身者の著作。(左から)若桑さんの『戦争がつくる女性像』、吉良智子『戦争と女性画家 もうひとつの近代「美術」』、池川玲子『ヌードと愛国』。
『早春書店』の新刊棚は、コメカさん(下田さん)のパートナーが選書を担当している。
『早春書店』の新刊棚は、コメカさん(下田さん)のパートナーが選書を担当している。

歴史はすごく軽視されている気がします

パンス : 僕は、何か探りたいとなったらまずその歴史を調べてしまいます。小5の時に親に頼んで買ってもらった本がこれ(『毎日ムック 戦後50年 POSTWAR 50 YEARS』)なので。読みすぎてカバー取れちゃってます。

コメカ : 親も買わない理由がない(笑)。

渡邉 : 歴史とポップカルチャーを結びつけて考えるのは難しいというか、きっかけがあまりないというのを『焼け跡派』を読んで感じました。知らなくても生きていけちゃうという現実もあり。

パンス : 歴史はすごく軽視されているという気がします。ツイッターなんかで発言するぶんには、歴史なんてよくわかってなくてもなんとなくいい感じのことが言えちゃったりしますからね。

コメカ : 歴史を知らないと、強烈なイデオロギーのようなものに遭遇したときに、「これが世の中の真実だ」みたいな感覚に陥りやすくなってしまうよなぁと思っていて。『神前酔狂宴』という小説は、結婚披露宴会場で働き始めた男子が、最初は披露宴を滑稽な虚構だと思っているけど、次第にその虚構に取り込まれていくプロセスを描いています。人間はたしかに虚構(フィクション)なしには生きられないんだけど、今の日本社会は、虚構に対する批判力や、それを対象化する力があまりにも衰弱しているのではないかと思います。

小田原 : 小説の想像力ってすごく重要だと思います。小説家が政治家になったりするということは、何かしら意味があるわけですよね。虚構をつくり上げる力が現実にどう作用するのかということを、もっと真剣に考えるべきですね。

コメカ : 虚構をつくる能力のある人たちがよくも悪くも効力を発揮する環境になってきていますね。そして僕らの世代は、そういう効力になじみがありすぎるということもある。語りの動力をフィクションの中にとどめておけない状況がやってきていて、そこにSNSという環境がうまくハマりすぎているというか。

小田原 : 一方で、SNSでは別アカ(メインのアカウントと別のアカウント)を持てるのが面白いなとも思うんです。別の自分としてのアカウントを持てるし、全然違うタイムラインを同時にいくつも見ることができるから、着脱可能な自分を持った上で使うことができる。

パンス : コメカくんはツイッターのアカウントとキャラを使い分けているんだけど、僕はできないんですよ。割り切りがホントできない。だからコメカくんを「なんでそんなにキャラが違うの⁉」と責めたりして(笑)。しかも人気があるからちょっと悔しくて(一同爆笑)。僕だってバズリたいんです! それも普段のパンスのままで(笑)。

小田原 : 面白いなと思ったのは、さっきはツイッターっていうのは話題が半日単位でどんどん変わってしまうのが、と否定しておきながら……。

パンス : 自己矛盾しているんです。

小田原 : でも、それが人間じゃないですか。整合性がとれないのがいいんですよ。だからこそ、文学や美術や批評が必要ですよね。

パンス : いい話や〜。

コメカ : ツイッターアカウントってどうしてもデフォルメされたキャラになってしまうので、実際の自分との間には、パンスが言ったようにズレがある。例えば僕は現実ではなかなか言わないようなエモいツイートをしてしまったりするんですけど、それは自分のある側面だけを拡大化した言葉なわけで。ただそういう言葉に共感を寄せてもらうとやっぱりうれしくはあるし、自分がそういう言葉を出したがる人間であるとも思う。

小田原 : でもやっぱりそれは危険だと思っていらっしゃるわけですね。

コメカ : そうですね(笑)。

パンス : 僕はもう、「バズをあきらめて」っていう記事を書こうかなと(笑)。

3名が繰り返し読んだ一冊。(左から)カート・ヴォネガット『スローターハウス5』(小田原)、『毎日ムック 戦後50年』(パンス)、『ライフ・アフター・パンク・ロック DEVOを聴きながらモンティ・パイソンを一服』(コメカ)。
3名が繰り返し読んだ一冊。(左から)カート・ヴォネガット『スローターハウス5』(小田原)、『毎日ムック 戦後50年』(パンス)、『ライフ・アフター・パンク・ロック DEVOを聴きながらモンティ・パイソンを一服』(コメカ)。

小田原 : 私は論争が好きで、論争によって議論の応酬が生まれて、言説が鍛えられてくことはいいことだと思っているんです。だからこそ、人と違う意見を持つことに慣れていく必要があると思います。そういうときに、ツイッターは論争にはあまり向いていないけれど、問題提起や意思を表明するツールとしては優れている側面もある。そこで、議論の参照項みたいなものにアクセスしやすくできないかなと思うんです。

鈴木 : 思想の変遷や論争の歴史が記録されていくことって大切ですよね。小田原さんがウェブ版『美術手帖』に寄稿されていた「2つの原爆資料館、その『展示』が伝えるもの。」を読んで、長崎と広島の原爆資料館の展示の歴史は論争の歴史そのものであることを知ってびっくりしました。

小田原 : 歴史というものは「語り」ですから、語る人の視点が必ず入ります。だからモニュメントや彫刻というものは、批判が起こって当然のものだと私は思うんです。永久設置というかたちで残ってしまうからこそ、その時々の「我々」の価値観や歴史観を反射し続ける装置のようなものとして捉えたい。

ファイナライズの結果が残ることが重要

コメカ : 彫刻にしろ書籍にしろ、CD-Rを焼いたときのようにファイナライズされた改変不可能なものであるということが面白いですよね。その都度のファイナライズの結果が残ることは重要ですね。ネット世界には常に改訂可能性があるから、そこは大きな違いだなと。

小田原 : 解題・解説が更新されていくということですよね。たとえばヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』は名作だと言われているけれど、本編に現代の解説がつくことによって、当時のウルフの限界や新しい論点が明確になり、文化が連なっていくのが面白いです。また、ある史実がどのように記録されていくのかを読み比べるのも好きなんです。たとえば、座間味島の集団自決の証言を記録した『母の遺したもの』という本の場合は、新版と旧版の間に、大江健三郎さんが『沖縄ノート』に書いた座間味島の「集団自決」強要をめぐって元指揮官と遺族から訴訟を起こされた、岩波書店沖縄戦裁判がありました。大江の勝訴を踏まえ、新版では新たな記述が加わっています。

コメカ : 書籍の場合、紙でアウトプットすることに時間がかるし、ネットから切り離されたものとして読むということで、議論のスピードが適切な形になるということもあるかもしれないですね。

パンス : 月刊誌の連載とかで議論ができていた時代は、今思うと悠長だけどいいなぁっていうのはありますね。

コメカ : いま現在のインターネットって、主に人間の自意識同士を接続するツールとして使われているのが現状だと思うんです。他人とつながりたいという欲望が20世紀のポップカルチャーの基本的な動力だったと思うんですが、かつては例えば雑誌やラジオのようなメディアが人々の自意識を接続して回収していたのを、インターネットという装置が代替するようになった。

パンス : 昔なら雑誌の投稿欄に投稿して自意識を接続していたけれど、それが1人で簡単にできるようになった。

コメカ : その状況下で読書ということにどんな意味や機能があるのか。個人的に思うのは、一つはファイナライズされた表現にアクセスできること、もう一つは他人から自意識を切り離せるということなのかなと。リアルタイム接続から切断されたものにアクセスすることによって自分の自意識をゆっくり形づくっていくのは、本のようなマテリアルでしかできないことかもしれないですね。

渡邉 : 今日はありがとうございました。議論することをあきらめないみなさんのお話を伺えて勇気づけられました。

小田原 : こんな時代だからこそ論争が起こることを肯定的に捉えて、安心して議論できる場をつくっていきたいですね。

みなさんの読書

30代が集まって本のことを語り合った「読書をめぐる同世代座談会」。小田原のどかさん、TVODのパンスさん・コメカさんの3人+編集スタッフが、それぞれ持ち寄った本や気になるテーマの本を、コメントとともにご紹介します。
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『早春書店』詳細

住所:東京都国分寺市本町2-22-5/営業時間:12:00~20:00/定休日:月

取材・構成=鈴木紗耶香 撮影=鈴木奈保子
『散歩の達人』2020年11月号より