コロナ禍の中での新規開店
東京の西馬込に立ち食いそばの新店『そば三』ができたと聞いたのは、10月のこと。コロナ禍で立ち食いそば店の閉店が相次ぐ中、これはうれしいと食べにいったところ、これがマニア心をくすぐる一杯だったのだ。
ツユはバランス重視ながら、ダシの旨味がしっかりあるもの。かき揚げは玉ねぎメインながら、ニンジン、春菊が混ぜられて、風味がいい。そして、なにより茹で麺だ。世田谷の製麺所『むらめん』のそれは、クニュとした食感で、優しめのツユによく合う。なかなかバランスのいい出来なのだ。
さて、期待の新店である『そば三』なのだが、実はけっこうやっかいな場所にある。どうやっかいなのか、最寄り駅である都営浅草線の西馬込駅から歩いていく道筋で紹介しよう。
『そば三』に行くには、第二京浜沿いにある駅西口を出る。少し南下して公園通りという商店街をずんずん行こう。この公園通りには『サカエヤ』というシブい老舗ベーカリーもあるので、そばの前にパンでもかじりながら進むのもおすすめ。
右も左も坂だらけ
この公園通りを歩きながら左右を見ると、見事な坂が目に入る。ご存知の方も多いと思うが、馬込近辺はやたらに坂が多いのだ。
「このへんに住んでいると、足腰が鍛えられるんだろうなぁ」なんて、のんきなことを考えていると、なんと行く手にも坂があらわれた!
写真で伝わるだろうか? この坂がけっこうキツイのだ。どれぐらいの傾斜かは、道路と家の壁の角度から察してください。
そして坂を登りきる手前には、馬込のランドマークでもある巨大な給水塔が。調べてみたら、高さ28m、直径が32mもあるんだとか。「でけー!」と素直に驚いていると、今度は目の前に下り坂。坂って、登りよりも下りのほうが、足に負担がかかるんですよ。
そしてヒイヒイ言いながら、駅から歩くこと約15分。車通りの多い十中通りを右に曲がり、しばらく歩いた先にあるのが、『そば三』なのです。ふぅ。
実は飲食好立地だった!?
駅から行くと十分なウォーキングができる『そば三』ですが、立地も変わっていて、周囲に飲食店はほとんどなし(コンビニはある)。こんな辺鄙なところで、どうしてまた立ち食いそば店を始めたのか、店主の瓦井さんに聞いたところ、あえて狙っての出店だったそうで……。
もともと武蔵小山で親子カフェを営んでいた瓦井さん。建物の建て替えで閉店したのだが、また違う場所で親子カフェをやったところで、コロナ禍を考えるとうまくいきそうにない。そこでキッチンカーでの弁当販売をやろうと、キッチンとして今の場所を借りたんだそう。
店は居酒屋の居抜きで、カウンターとテーブルの椅子席のみ。立ち食いではないけれど、メインメニューがワンコイン以下、券売機でのセルフ供食と「立ち食い要素」を満たしているので、十分に立ち食いそばですね。
あくまでキッチンとして使うのだから、駅から遠くても賑わった場所でなくてもかまわない。そう思っていたのだが、冷静に店の周囲を見回してみると、飲食店がないわりに運送系の会社やタクシー会社がけっこうある。しかもこれらの仕事はテレワークではできないから、コロナ禍でも、毎日、出勤している……。
それならそこで働く人たちに食べてもらおうと、弁当販売の計画を中断し、早く安くしっかり食べられる立ち食いそば店を始めることに決めたのだとか。
さまざまな飲食の仕事はしてきたものの、そば店での経験はなかった瓦井さん。開店当初こそ、ツユの味がブレたりなどのバタバタはあったそうだが、味が安定するにつれ近くで働く常連さんが増え始め、なんとか軌道に乗ってきているという。
とはいえ、店を始めてからまだ1カ月。最近も土曜日に近隣に住むシニア層のお客さんが来るため、平日の14時以降と土曜日に生麺のそばを出すようにしたりと、試行錯誤は続いている。営業時間も、様子を見つつ、変更していくつもりなんだとか。
そんな野心ある『そば三』を応援するためにも、ここはもう一杯、食べておかねば。かき揚げそばに続いては、やはり立ち食いそばの定番である春菊天そばを。
厚めに揚げられた春菊天は、ツユを吸わせても中のほうはサックリ。独特な風味がツユと相まって香りよく、ズルズルシャクシャクと、あっという間に食べてしまった。
最初は「なんでここに?」と思ってしまった『そば三』だが、始めた経緯を聞いてみると、実に合理的な考えがあったことが分かった。実は商売として、ぜんぜん「アリ」な場所だったのである。
坂はキツイが、こんなに坂を味わえる機会もそうそうないし、足腰を鍛えるつもりで行ってみてはいかがだろうか?
『そば三』店舗詳細
取材・文・撮影=本橋隆司(東京ソバット団)