時は流れて1999年。大阪芸術大学の写真学科生だった私は、生きている鉄道よりも廃止になった鉄道に魅力を感じており、初めて筑波鉄道の廃線跡へ訪れました。このときは既にサイクリングロードとなって立派に再生されており、廃線跡のうら寂しい雰囲気がなく落胆してしまいましたが、いくつかの駅跡にはホームがそのまま残存し、適度に放っておかれている状態を見てホッとしたものです。
その後何度か再訪したものの、最近はめっきり訪れることはなく、そういえば筑波鉄道の駅はどうなっているのかなぁと思い立ち、ふらっと出かけてみました。筑波鉄道の廃線跡は「つくば霞ヶ浦りんりんロード・旧筑波鉄道コース」となっていて、大変巡りやすいです。
残されている廃駅で一番グッときているのは、岩瀬駅に近い雨引駅跡です。雨引観音の最寄りとして開業した駅で、ホームは左右2面(相対式)に貨物用ホームが駅舎跡側にある、典型的な交換駅構造です。
ここが「いいなぁ」と感じるのは、ホームに桜が植えられていることです。おそらく開業時に植えられたのでしょう。いまや立派な幹となり、ホームを覆うように枝が伸びています。10数年前、桜の季節に訪れたことがありまして、ホームから満開の桜が咲き誇り、それはもう美しかったです。ちょうど散歩する方が歩いてきて、その雰囲気がほのぼのしていました。
今回は夏に訪れましたが、ホームの桜は前と変わらずに葉を広げて出迎えてくれました。ホームのくたびれ具合は、以前より増したように感じます。側面のブロックは朽ちてきて、崩れるほどではないが、ホーム上の土と同化しているような。このまま自然に還ろうとしていて、さらに桜の根がしっかりとホームに根付き、ますます貫禄が出てきた感がします。サイクリングロードのほうはきれいな舗装が施されているから、現役の道と用途の終わったホームと、そのギャップに月日を感じます。
このホームはちょっと面白い構造をしています。典型的な相対式ながら、中程でプツンと切れているのです。トイレがある側は整備時に切られたのだと分かりますが、駅舎があった側のホームは廃止時から半ば放置状態で、その途中が切れて階段になっているのです。ここには構内用踏切があって、短い編成のときはここで上下線へ行き来していました。逆に長い編成のときは、ここを塞ぐ形で使われたのでしょう。
駅舎は初めて訪れた時には既に解体され、駅前広場と公衆電話があるだけでした。この公衆電話は廃止前からあったのか定かではないですが、私が今まで巡ってきた廃線跡のセオリーでは、駅舎が無くなっても駅前らしき場所には公衆電話があって、それが“ここに駅舎があった”と無言の証言をしている場合が多いです。
駅前はこれといった商店もなく、小規模な住宅街が広がるだけです。廃止前も静かな駅だったのだろうなぁと推測でき、仮にいまも現役の駅だったら、足しげく通って撮影していたことでしょう。きっと空撮もしていただろうな(笑)。そんなことを思いながら駅前を見渡していると、ほんとうに静かです。街道からも外れ、住宅街の片隅にポツンと駅の跡がある。桜が葉を広げ、風で枝が心地よく揺れる。これが春となったら一面淡い色に包まれるのです。何もない。だがそれがいい。
雨引駅は静かに佇んでいました。自転車で訪れるときは、ここで一休みすることをお勧めします。なんか、心が落ち着くのです。桜の木に包まれた廃駅は、きっと四季を通じて、疲れた心身を癒やしてくれます。
写真・文=吉永陽一