吉永陽一
吉永陽一(よしながよういち)
生まれも育ちも東京都だが大阪芸術大学写真学科卒業。空撮を扱う会社にて空撮キャリアを積み、長年の憧れであった鉄道空撮に取り組む。個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集める。ライフワークは鉄道空撮、6x6や4x5の鉄道情景や廃墟である。2018年4月、フジフイルムスクエアにて個展「いきづかい」を開催。2020年8月、渋谷にて個展「空鉄 うつろい 渋谷駅10年間の上空観察」を開催。
1999年に訪れたときの筑波駅跡。6x6フォーマットカメラで撮影。この時のホームは放置されていたが、やがてきれいに整備される。(ポジスキャン)
1999年に訪れたときの筑波駅跡。6x6フォーマットカメラで撮影。この時のホームは放置されていたが、やがてきれいに整備される。(ポジスキャン)

時は流れて1999年。大阪芸術大学の写真学科生だった私は、生きている鉄道よりも廃止になった鉄道に魅力を感じており、初めて筑波鉄道の廃線跡へ訪れました。このときは既にサイクリングロードとなって立派に再生されており、廃線跡のうら寂しい雰囲気がなく落胆してしまいましたが、いくつかの駅跡にはホームがそのまま残存し、適度に放っておかれている状態を見てホッとしたものです。

筑波駅ホームの支柱。この支柱も、今は存在しない。 6x6フォーマットカメラにて撮影。(ポジスキャン)
筑波駅ホームの支柱。この支柱も、今は存在しない。 6x6フォーマットカメラにて撮影。(ポジスキャン)

その後何度か再訪したものの、最近はめっきり訪れることはなく、そういえば筑波鉄道の駅はどうなっているのかなぁと思い立ち、ふらっと出かけてみました。筑波鉄道の廃線跡は「つくば霞ヶ浦りんりんロード・旧筑波鉄道コース」となっていて、大変巡りやすいです。

残されている廃駅で一番グッときているのは、岩瀬駅に近い雨引駅跡です。雨引観音の最寄りとして開業した駅で、ホームは左右2面(相対式)に貨物用ホームが駅舎跡側にある、典型的な交換駅構造です。

たしか2008年ごろに訪れた雨引駅跡。満開の桜が美しく、しばし息を飲んだ。6x6フォーマットカメラにて撮影。(カラーネガスキャン)
たしか2008年ごろに訪れた雨引駅跡。満開の桜が美しく、しばし息を飲んだ。6x6フォーマットカメラにて撮影。(カラーネガスキャン)

ここが「いいなぁ」と感じるのは、ホームに桜が植えられていることです。おそらく開業時に植えられたのでしょう。いまや立派な幹となり、ホームを覆うように枝が伸びています。10数年前、桜の季節に訪れたことがありまして、ホームから満開の桜が咲き誇り、それはもう美しかったです。ちょうど散歩する方が歩いてきて、その雰囲気がほのぼのしていました。

今年の夏(2020年)に訪れたときの姿。ちょうど植木屋が駅跡を整備中で、作業中の軽トラックがホーム横に停まり、良いアクセントになってくれた。ここは自転車道なので、普段は車が進入できない。
今年の夏(2020年)に訪れたときの姿。ちょうど植木屋が駅跡を整備中で、作業中の軽トラックがホーム横に停まり、良いアクセントになってくれた。ここは自転車道なので、普段は車が進入できない。
筑波鉄道のディーゼルカーと軽トラとでは比較にならないが、「車両」がホームに停まっている姿を見ると、廃駅が生き生きしてくるよう。
筑波鉄道のディーゼルカーと軽トラとでは比較にならないが、「車両」がホームに停まっている姿を見ると、廃駅が生き生きしてくるよう。
貨物ホームの跡地にトラックの荷台が放置されていた。つくばエキスポのマスコットキャラクターが描かれている!
貨物ホームの跡地にトラックの荷台が放置されていた。つくばエキスポのマスコットキャラクターが描かれている!
貨物ホームの側面は昇降しやすいように石段が積まれていた。現役時代からあるのだろうか。
貨物ホームの側面は昇降しやすいように石段が積まれていた。現役時代からあるのだろうか。

今回は夏に訪れましたが、ホームの桜は前と変わらずに葉を広げて出迎えてくれました。ホームのくたびれ具合は、以前より増したように感じます。側面のブロックは朽ちてきて、崩れるほどではないが、ホーム上の土と同化しているような。このまま自然に還ろうとしていて、さらに桜の根がしっかりとホームに根付き、ますます貫禄が出てきた感がします。サイクリングロードのほうはきれいな舗装が施されているから、現役の道と用途の終わったホームと、そのギャップに月日を感じます。

サイクリングロードは新しく、ホームは朽ちてきた。そのギャップに月日を感じさせられる。
サイクリングロードは新しく、ホームは朽ちてきた。そのギャップに月日を感じさせられる。
駅舎横側の貨物ホーム終端部辺りから上下線のホーム跡をみる。ホームというより城跡に見えなくもない。
駅舎横側の貨物ホーム終端部辺りから上下線のホーム跡をみる。ホームというより城跡に見えなくもない。
ホーム中程にある欠き取り部分。現役時代末期の古い映像を見てみたらこの形のままで、反対側のホームと行き来できる構内踏切があった。古枕木は柱の代わりだったのだろうか。
ホーム中程にある欠き取り部分。現役時代末期の古い映像を見てみたらこの形のままで、反対側のホームと行き来できる構内踏切があった。古枕木は柱の代わりだったのだろうか。

このホームはちょっと面白い構造をしています。典型的な相対式ながら、中程でプツンと切れているのです。トイレがある側は整備時に切られたのだと分かりますが、駅舎があった側のホームは廃止時から半ば放置状態で、その途中が切れて階段になっているのです。ここには構内用踏切があって、短い編成のときはここで上下線へ行き来していました。逆に長い編成のときは、ここを塞ぐ形で使われたのでしょう。

東側のホーム(土浦方面)の欠き取り部分。
東側のホーム(土浦方面)の欠き取り部分。

駅舎は初めて訪れた時には既に解体され、駅前広場と公衆電話があるだけでした。この公衆電話は廃止前からあったのか定かではないですが、私が今まで巡ってきた廃線跡のセオリーでは、駅舎が無くなっても駅前らしき場所には公衆電話があって、それが“ここに駅舎があった”と無言の証言をしている場合が多いです。

公衆電話から見た駅前。広場には駅舎があった。
公衆電話から見た駅前。広場には駅舎があった。

駅前はこれといった商店もなく、小規模な住宅街が広がるだけです。廃止前も静かな駅だったのだろうなぁと推測でき、仮にいまも現役の駅だったら、足しげく通って撮影していたことでしょう。きっと空撮もしていただろうな(笑)。そんなことを思いながら駅前を見渡していると、ほんとうに静かです。街道からも外れ、住宅街の片隅にポツンと駅の跡がある。桜が葉を広げ、風で枝が心地よく揺れる。これが春となったら一面淡い色に包まれるのです。何もない。だがそれがいい。

サイクリングロードからホーム越しに見る駅前。ホーム欠き取り部分は職員用の昇降箇所かと思う。駅前は閑静な住宅地である。
サイクリングロードからホーム越しに見る駅前。ホーム欠き取り部分は職員用の昇降箇所かと思う。駅前は閑静な住宅地である。

雨引駅は静かに佇んでいました。自転車で訪れるときは、ここで一休みすることをお勧めします。なんか、心が落ち着くのです。桜の木に包まれた廃駅は、きっと四季を通じて、疲れた心身を癒やしてくれます。

写真・文=吉永陽一

掩体(えんたい)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。掩体とは、ざっくり言うと敵弾から守る設備のことです。大小様々な掩体があり、とくに航空機を守ったり秘匿したりするのには「掩体壕」というものがあります。これは航空機をすっぽりと覆う、大型の設備です。掩体壕はカマボコ屋根状のコンクリート製が多く、屋根の上に草木を生やして偽装する場合もあります。かつて、旧・陸海軍の基地周囲にはたいてい掩体壕が存在しました。戦後、掩体壕は解体されていきますが、元来空爆などから身を守る設備であるため解体しづらく、そのまま放置されて倉庫となるケースもあります。そして、掩体壕は東京都内にも存在しています。場所は調布市。調布飛行場の周囲に数カ所点在しているのです。
はじめまして。廃なるものと鉄道と線路と飛行機をこよなく愛する、写真作家の吉永陽一です。廃なるものは、廃線跡、廃墟、その他うんぬん。要は朽ちていくものを愛でるのが好きです。普段は小型機やヘリに乗って空撮をする仕事をしていて、ライフワークは鉄道の空撮。「空鉄(そらてつ)」の名で鉄道空撮作品を発表しており、著作や個展で聞いたことがある方もいるかと思いますが、この記事では、私が愛でる「廃なるもの」を紹介します。廃墟や廃線跡、建物の痕跡などといったものに惹かれていったのは小学生のころで、中学生では廃線跡を撮影していました。未来を見つめるより、過去の事柄やモノのほうに惹かれていき、現在では4×5インチ大型カメラで「廃なるもの」を見つめています。