つい長居してしまいそう。『珈琲ショパン』のタイムレスな空間

老舗飲食店が多く残る淡路町周辺をぶらつくと、かの有名な『かんだやぶそば』の向かいに、控えめな佇まいの『珈琲ショパン』がある。大きなメニュー看板などは無いが、コーヒーとバターのおいしそうな香りには抗えない。名物アンプレス目当てのお客さんや、しばしのくつろぎを求める近所のサラリーマンが、朝から次々とこの店に吸い込まれていく。

出迎えてくれたのは、先代の奥様であり3代目店主の、岡本由紀子さん。ショパンの流れる老舗喫茶店というとちょっと敷居の高い店を想像していたが、由紀子さんの穏やかで気取らない雰囲気に、ホッと和らいだ気持ちになった。従業員から「マダム」や「オーナー」ではなく「奥さん」と呼ばれる辺りにも、その人柄が表れている気がする。

ドアを開けると、昔懐かしいローテーブルとビロードの椅子が並ぶ。ハイチェアが並ぶ現代的なカフェもおしゃれだけど、時を忘れてくつろぎたいときにはこういう喫茶店がうってつけだ。

ショパンの常連客にとってはなじみ深い巨大な木彫りの灰皿は、2020年4月からテーブルに出ていない。かつては喫煙者のオアシスと位置付けられていた『ショパン』だが、東京都の条例に則って1階席は完全禁煙としたのだ(11時45分にオープンする 2階席は、加熱式のみ可)。たばこの煙が苦手で『ショパン』を訪れていなかった人は、これを機にぜひ足を運んでみて欲しい。

浅炒りなのに濃厚。唯一無二の「ブレンド珈琲」

コーヒーを入れてくれたのは、チーフの佐々木信博さん。貫禄ある立ち姿は一見すると店主のようにも見えるが、「いえいえ、ただの従業員ですよ」と笑う。18歳でこの店に就職して約半世紀、先代と奥さんを支え、ずっと変わらぬ味を守り続けている。

ひっきりなしに注文が入るアンプレスを焼きながらも、お店やおすすめのメニューについて聞くと、気さくにいろいろと教えてくれる。常連さんとの軽妙なやり取りもまた、このお店のアットホームな雰囲気を生んでいる。

そんな佐々木さんのおすすめは、ここでしか飲めないというブレンド珈琲550円。

シンプルなカップに注がれたコーヒーはいたって普通に見えるが、一口飲んでみると確かに飲んだことのない味だ。豆は浅炒りと聞いて、すっきり軽い飲み口を想像したが、『ショパン』のブレンドはかなり濃い。通常より豆を多めに使っているので、酸味が効いた爽やかな味わいながら、かなり濃厚でパンチがある。普段は深煎りのコーヒーを選ぶ人にも、一度は飲んでいただきたい一杯だ。

独り占めしたくなる美味しさ。看板メニュー「アンプレス」

次に頂くのは、不動の人気を誇るホットサンドアンプレス500円。テレビなどでも紹介され、これを目的に訪れるお客さんも多いのだとか。

佐々木さんが、注文を受けてからひとつずつ焼き上げるホットサンド類は、1グループにつき注文は1皿までというルールがある。

小ぶりな一切れを手に取ると、たっぷりあんこと中まで染みこんだバターの重みを感じる。こんなの、食べる前から旨いに決まってる!

それでも一口食べてみると、想像の上を行く美味しさだ。外はカリカリ、中はバターを含んだジューシーなパン生地と、素朴なつぶあんの優しい甘さ。そして、塩気の効いたザクザク食感のパン耳。齧る場所によって微妙に変わる甘じょっぱさのバランスに、あっという間に4切れが消えてしまう……。あぁ、もう一皿食べたい!

今度は一人でこっそり来よう、と思わせられる美味しさだ。

ショパン (25)
“追いバター″が決め手。ホットサンドメーカーひとつで出来る、 『珈琲ショパン』の、魅惑のアンプレス
材料も作り方もシンプルなのに、びっくりするほど美味しいアンプレス。今回は、佐々木さんにその作り方と美味しさの秘密を伝授してもらった。

あんこ好きなら一度は飲みたい。懐かしい甘さの「アンオーレ」

あんこを使ったもう一つの名物が、こちらのアンオーレ650円。ジュース類の選択肢も豊富なショパンで、バナナジュースやミルクセーキなどと並んで根強い人気があるという。

あんこと氷、そしてエバミルクを使ったシェイクは、濃厚でデザートのような仕上がり。優しい甘さと食感で、嫌なことがあっても忘れられそうな、幸せなドリンクだ。これだけでも甘いもの欲が満たされるので、一緒に頼むならスイーツより食事系がおすすめ。

移り変わる時代のなかで、変わらない『珈琲ショパン』の魅力

佐々木さんに、創業時の「ショパン」について聞くと、昔の写真を見せてくれた。

創業者が「ショパン」を開業したのは、関東大震災の10年後の昭和8年。街全体が復興を遂げようとしていた頃だった。当時はショパンの曲を聞きに音楽好きが集っていたというが、時代が変わり、どこでも気軽に音楽が聴けるようになるにつれ、徐々に近所の会社員の憩いの場として愛されるようになったのだ。

創業当時は今よりも駅寄りの場所に店を構えていたが、1986年に駅前の再開発に伴い現在の場所に移転したという。

お昼が近づき2階席もオープンしたので、奥さんに案内してもらった。こちら、1階席以上にレトロで落ち着いた雰囲気だ。
お昼が近づき2階席もオープンしたので、奥さんに案内してもらった。こちら、1階席以上にレトロで落ち着いた雰囲気だ。

2階席の一角に座ってみると、さっき見せてもらった昔の店舗の写真とそっくりなことに気づく。

「移転の時に、当時のお店で使っていた調度品はみんな持ってきて、なるべく前と同じ雰囲気になるようにこのお店を作ったんですよ」と、奥さんが教えてくれた。当時の籐椅子を今も大切に使い、壁には猫好きの先代を偲ぶように絵が飾られている。

2020年、禁煙化や新型コロナウイルスによる通勤客の減少で、お客さんは減ってしまったが、それでも、この店は明るい雰囲気に満ちている。

お昼時になると、アルバイトスタッフの岸部華子さんが接客に加わった。勤続1年ちょっとだというが、さりげない気配りがお店に馴染んでいて、いい雰囲気。話を聞くと、もともとこの店が大好きで、求人広告もないのに交渉して雇ってもらったのだという。奥さんやチーフ、常連さんとの阿吽の呼吸を眺めていると、この素敵なお店はまだまだ安泰、という気がした。

時代が変わり、街が変わり、集う人が変わっても、『珈琲ショパン』にはあの頃と同じ空気が流れている。この安心感こそ、この店に来た人がホッとくつろげる本当の理由かもしれない。

『珈琲ショパン』店舗詳細

住所:東京都千代田区神田須田町1-19-9/営業時間:8:00~20:00(土は11:00~)/定休日:日・祝/アクセス:地下鉄丸ノ内線淡路町駅・小川町駅から徒歩3分

取材・執筆=岡村朱万里 撮影=岡村武夫