上州富岡駅
駅から左手に行き、最初の道を右へ。ちょっとレトロな建物から左へ行くと富岡市講堂。
↓ 10分
富岡市講堂
上町通り(西上州やまびこ街道)に出て、宮本町通りへ出る。右手に蔵のある宮本町広場がある。
↓ 15分
お富ちゃん家(観光案内所)
宮本町広場の先が観光案内所。仲町通りに出ると右手に『江原時計店』。左に行きぐるっと回って骨董店。
↓ 15分
手づくり内山(骨董店)
また江原時計店を見て左の城町通りに入る。すぐ上毛新聞富岡支局。まっすぐ行けば製糸場の正面入り口へ。
↓ 15分
富岡製糸場
入り口から北側に行くと無料休憩所の「銀座まちなか交流館」。角を左に曲がって上町通りに出た先の左が龍光寺。
↓ 20分
龍光寺
坂本医院の前を通ってから路地に入り、花街だったスズラン通りを歩いて、上町通りへ戻ると神部医院。
↓ 20分
神部医院
上町通りにある旧大黒屋を回って富岡市役所を左に見て富岡倉庫から右手に行けば駅だ。
↓ 30分
ゴール
上州富岡駅
郷愁度:★★☆
歩行時間:2時間5分
歩行距離:約4㎞
アクセス:東京駅からJR高崎線で高崎駅、高崎駅で上信電鉄に乗り換えて上州富岡駅、
約2時間40分。
国策の街 富岡のレトロな街並めぐり
富岡は突然できた街だ。縄文、弥生の頃に人が住んでいたかどうかは不明だが、慶長17年(1612)に幕府により検地が行われて突如として街づくりが始まった。理由は、現在の南牧村の砥沢(とざわ)から産出された砥石を江戸へ送るための中継地として。その後、200年以上経った明治初期、今度は明治新政府により富岡製糸場が造られた。富岡は国策の街と呼んでもいいかもしれない。
その国策の街の駅に降りると、レンガの建物がある。赤レンガや大谷石の富岡倉庫の建物だ。明治33年(1900)築の倉庫で、2016年に営業をやめて市に譲渡された。
製糸場から街が発展してきたので、倉庫以外にも明治以降の建物が残っていて、富岡さんぽは楽しい。
まず駅から近くの富岡小学校へ足を運んだ。ここには味わいがある戦前の建物で尋常小学校の講堂だった富岡市講堂がある。次は宮本町通りへ出てから仲町通りとの角にある『江原時計店』へ。時計店の上に望楼があり、火の見櫓として使われていた不思議な建物だ。
近くに家そのものが骨董といっていいほど古い骨董屋さん。いろんなものがこれでもかと置いてある。骨董とガラクタはもう紙一重と思った。城町通りに入るとレトロな建物。上毛新聞の富岡支局だが、元は医院で、昭和5年築だという。
製糸場から、工女たちの眠る龍光寺へ
この城町通りの突き当りが、国策の富岡製糸場の正面になる。重厚なレンガ造りが迫ってくる。建物は木の骨組みにレンガの壁を積み上げる木骨レンガ造りという西洋建築の方法で建てられたもの。レンガの積み方はフランスのフランドル積みと呼ばれる方式で、同じ時代のせいか、三浦半島の観音崎の砲台跡も同じ方式。
製糸場では入場者数を公表しているが、それによると世界文化遺産に登録された2014年度の133万人をピークに徐々に減少していて、2017度は63万人と半減。一度見学したら再訪する人はそうはいないので、仕方のないことかもしれない。
製糸場から、龍光寺へと向かった。ここには製糸場で働いていた工女の墓がある。明治7年(1874)から明治34年(1901)までの墓が48基。中でもコレラで亡くなった最年少の工女の年齢がなんと9歳10カ月という。その年で工女にならざるを得なかった境遇を思うと、言葉も出ない。
紹介した建物以外にもレトロな建物などがいっぱいあるのが富岡の街。工女さんたちがよく食べたカレー屋などもある。路地がいろいろあるので歩いてみよう。富岡は製糸場以外も楽しめる街だ。
龍光寺
工女さんたちが眠る浄土宗のお寺
製糸場で働いていた工女さん、製糸場の役人などの墓がある。明治7年(1874)から民営化後の明治34年の間に60人近くの工女が亡くなったという。ここ龍光寺と海源寺に墓があり、龍光寺には48基余り。
取材・文=清野編集工房
『散歩の達人 首都圏日帰りさんぽ』より