「築地に通うことで、毎日新しい発見があるんです」
「築地に通うことで、毎日新しい発見があるんです」
築地場外市場の総合案内所『ぷらっと築地』でマネージャーを務める山﨑徳子さんは、そう言って笑った。
埼玉県の自宅から築地までは約1時間。毎朝5時20分に目覚ましをかけ、10分ほど布団の中で過ごしてから起き上がる。朝食はパンにソーセージ、玉子焼き、サラダ、ヨーグルト、そしてコーヒー。多少の変化はあっても、ほぼ毎日同じ献立だ。
6時45分に家を出て、電車に揺られること約40分。その間は英語の勉強をしたり、築地のお囃子の譜面を覚えたり、仕事について考えたり。山﨑さんにとって、通勤時間は大切な自分の時間でもある。
「築地にどっぷり浸かっているけれど、やっぱりお客さんの気持ちは忘れたくないんです」
築地で商売を営む人と、築地を訪れる人。その両方の視点を持ち続けるためにも、少し離れた場所から通う今の暮らしが合っているのだという。
7時45分に出勤すると、スタッフとの短いミーティングが始まる。8時に『ぷらっと築地』が開店すると、案内所の運営に加え、ホームページの管理やセミナーの企画、事務作業など、仕事は多岐にわたる。現在は『ぷらっと築地』のマネージャーと、NPO築地食のまちづくり協議会の事務局次長を兼務。案内カウンターに立つ機会は以前より減ったものの、築地の街を伝え、支える仕事に変わりはない。
昼食は、以前は場外の飲食店でサッと食べることも多かったが、近年は「市場飯」の店が減ってしまったため、自宅から弁当を持参することが多くなった。夕方4時15分が定時だが、会議や打ち合わせで帰宅が遅くなることも珍しくない。それでも、築地に通う毎日は楽しいという。
「あっという間の20年!今でも伝えたいことが尽きないんですよね」
山﨑さんの一日
- 5:20 目覚ましが鳴る。10分ほどして起床
- 5:30 朝食、身支度
- 6:45 自宅を出発。電車では英語やお囃子の勉強など
- 7:45 出勤。スタッフとのミーティング
- 8:00 『ぷらっと築地』開店。運営管理、事務作業、広報、企画などを担当
- 12:00頃 持参した弁当で昼食をとる
- 16:15 定時。会議などで遅くまで働く日も
- 仕事後 週に1回ほど築地四丁目町会でお囃子の練習、会食や銀座をぶらり、など
「あんたに売る牡蠣はないよ」。すべては一言から始まった
山﨑さんが初めて築地を訪れたのは、2006年10月1日のこと。当時はテレビ番組のリサーチャーの仕事をしており、取材のために初めて築地市場の場内へ足を踏み入れた。
その時まず驚いたのは、まず「朝9時に来るように」と言われ、店の住所を尋ねると「みんな同じだから」と返されたことだった。朝の市場に赴き海幸橋から見渡した市場には、ターレが行き交い、大勢の人々が働いていた。
「こんなに朝早くから、こんなにたくさんの人が働いている場所が東京にあるんだって。圧倒されました」
その日は牡蠣の解禁日。お世話になった人へのお礼に買って帰ろうとしたところ、店の人から思いがけない言葉をかけられた。
「あんたに売る牡蠣はないよ」
初物を待っているなじみの買い手がいる。誰にでも売ればいいというものではない。そんな市場の仕事に対する誇りを、その一言から感じたという。
当時、山﨑さんは30代半ば。勤めていた会社を辞めてフリーランスとなり、この先どんな仕事をしていこうかと考えていた時期でもあった。
「あのエネルギーの中に、自分も入ってみたいと思ったんです」
数カ月後、何気なくインターネットで築地について調べていると、「築地コンシェルジュ募集」の文字が目に留まった。翌2007年4月、築地KYビル2階に開設された「築地インフォメーションセンター」で、初代・築地コンシェルジュとして働き始める。
当初はテレビの仕事と並行しながら、築地場内外のガイドツアーを企画・運営していた。早朝から築地で働き、午後には別の仕事へ向かう日々。やがて、二つの仕事を続けることに限界を感じるようになった。
「築地を紹介する仕事の方に本気で取り組みたいと思ったんです。人とのつながりが大事な街だから、片手間で関わっていたら、本当の自分を理解してもらえない気がして」
以前、仕事で出会った人から言われた言葉が、ずっと心に残っていた。
「自分が何をしている人なのか、一言で説明できる仕事をしなさい。誰かがあなたを紹介するときにも、一言で伝わるような仕事を」
山﨑さんは築地で働くことを選んだ。
築地の人になるということ
とはいえ、築地の仕事に真剣に向き合ったからといって、すぐに街の一員になれるわけではなかった。仕事を始めた頃、まず挨拶に訪れたのは「波除神社」だった。名刺交換だけでは人間関係を築けないだろうと考え、地域の氏神様に足を運んだのだという。
2007年には初めて「つきじ獅子祭」で神輿を担いだ。それでも、築地の人たちとどうすれば親しくなれるのか、手探りの日々が続いた。
転機の一つとなったのが、2008年の東京マラソンだった。築地から出場する人を探し、六丁目南町会の人と一緒に走った。その後、完走パーティーに誘われた。
「築地の人たちから初めて呼んでもらったお酒の席だったんです。『何か困ったことがあればいつでも相談に乗るよ』と声をかけていただいて本当にうれしかった」
同じ年、築地350周年を記念して開催されたイベントでは、四丁目の人たちとも親しくなり、築地の人たちとの距離がぐっと近くなった。
2010年頃からは、築地食のまちづくり協議会の企画部会に毎週参加するようになって、築地を案内するだけでなく、これからの築地に何が必要なのかを、商売を営む人たちと一緒に考える立場になった。そして2012年、築地場外市場の公式案内所を作ることになり、開設から現在に至るまで運営を支えている。
こうした仕事を通じて、多くの築地の人たちと出会ってきた。その一人が、以前この連載にも登場いただいた『昭和食品』の「しゃけこさん」だ。
もともとライターとして活動していたしゃけこさんからは、文章を書く仕事についても多くを学んだという。山﨑さんは現在もNPOのホームページに掲載する食材情報の記事を執筆しており、ライティングは日々の業務の中でも少なくない割合を占める。
築地の食材を知り、その魅力を言葉にして伝える。山﨑さんにとって、文章を書くこともまた、街と人をつなぐ大切な仕事なのだ。
そして今では、二人は築地のお囃子の仲間でもある。実は山﨑さん、お囃子への参加を最初は断っていた。
「私は築地で商売をしているわけでも、ここで育ったわけでもない。そんな簡単に入っていいものなのかなって」
地域のお祭りが、代々続く人々のつながりの上に成り立っていることを知っていたからこその遠慮だった。しかし、築地囃子が途絶えてしまうかもしれないと聞き、しゃけこさんが参加を決意。それが山﨑さんの背中も押した。
「やるからには、親戚の仲間入りをするくらいの気持ちじゃないと」
今では週に1回ほど練習を重ね、さらに腕を磨こうと、地元の埼玉でもお囃子を習い始めた。
「上手になりたいというより、もっとかっこよく吹けるようになりたいんです」
そう話す表情は楽しそうだ。
一方で、築地で働くことについて考えさせられた言葉もある。
ある人から「山﨑さんはいつか築地を離れることもできるよね」と言われたことがあった。
築地で店を営む人たちは、簡単に商売をやめたり、街を離れたりできるわけではない。山﨑さんとは立場が違う。
「そういうふうに見られていたのかって、ちょっと寂しかったんです。やっぱり私は外の人なんだなって」
しかし、その違いを埋めようとするのではなく、自分だからこそできる仕事を考えるようになった。築地の内側を知りながら、外から訪れる人の感覚も忘れない。少し距離を置いて、街全体を見渡す。それが山﨑さんの築地との関わり方なのだ。
市場がなくなっても、築地に残るもの
2018年10月、築地市場が閉場した。山﨑さんにとっても、大きな出来事だった。
閉場を前に、東京都に撮影許可を申請。報道陣に交じって、長年通い続けた場内市場の最後の姿を記録した。
ターレが行き交い、人々が働いていた場所から、少しずつ物が運び出されていく。
「新しい時代が豊洲で始まって、築地は取り残されるような気がしたんです。だんだん注目されなくなるんじゃないかって」
豊洲市場の開場初日には、初競りを見届けた。その足で築地へ戻ってくると、場外市場にはいつもと変わらず人々の姿があった。
「築地にもまだ期待してくれている人たちがいる。新しい時代の始まりだと感じたんです」
あれから8年。築地市場の跡地では工事が進み、かつての風景は大きく変わった。一方、場外市場には今も多くの人が訪れている。
しかし、山﨑さんが伝えたいのは、単に人が集まるにぎやかな築地ではない。
「築地の市場としての機能と、そこに関わる人の心意気を残したいんです」
買い物の仕方を教えるセミナーでは、店の人とのやり取りや、季節の食材の味わい方を紹介している。山椒の実が出回れば、自分で茹でてアクを抜いてみる。秋になれば、イクラを漬けてみる。山﨑さん自身、特別に丁寧な暮らしをしているわけではないという。それでも、築地にいると、季節の食材をきっかけに何かをやってみたくなる。
「興味を持てば、いくらでも先生はいるんです」
食べ方がわからなければ、店の人に聞けばいい。そんな人と人とのやり取りが、築地には残っている。
「私にとって築地は、人と出会い、人から学べる場所です」
2026年10月。山﨑さんが初めて築地を訪れてから、ちょうど20年が経った。あの日、牡蠣を売ってもらえなかった女性は、今では築地を訪れる人と、ここで働く人をつなぐ仕事をしている。
築地の風景は変わっても、そこで働く人たちの仕事や心意気は、次の世代へ伝えていける。
そのために山﨑さんは、今日も築地へ通う。
取材・文・撮影=yOU(河﨑夕子)






