違う道から来た「築地の同期」
築地場外市場の一角にある『長生庵』。そばはもちろん、鮪をはじめとした魚料理と地酒を楽しめる店として、昼だけでなく夜にも人が集う。店を切り盛りする二代目が松本聡一郎さんだ。
一方、伊藤信吾さんは大正12年(1932)創業の『伊藤海苔店』の四代目。市川に本社を構え、海苔の仕入れから加工までを手がけながら、市川・築地でカフェ業態も展開している。
そば屋の二代目と、海苔屋の四代目。商いも違えば、育った場所も違う。
でも二人は十数年前から築地の地域活動を共にし、「築地の同期」のような関係でもある。
築地で働く人は、みんな朝が早い。そんなイメージを持っていたけれど、二人に普段の一日を聞いてみると、その時間の流れは驚くほど違っていた。まずは、それぞれの一日から見てみたい。
松本聡一郎さんの一日
- 7:00頃 起床
メールを確認し、その日の仕事や予定を整理。 - 10:00頃 買い出しへ
- 13:00頃 店に戻り、仕込み
その合間に祭りや地域活動、イベントの打ち合わせ、会議など - 17:00 夜営業スタート
- 21:00〜22:00頃 営業終了
- 24:00頃までには就寝
※時々、夜の倶楽部活動や、友人と築地の巡回警備へ
「50歳を過ぎて、寝るのがこんなに楽しくなると思わなかった」そう笑う松本さんは、築地と聞いて思い浮かべる「早朝の人」とは少し違う。むしろ夜の築地をつくってきた人だ。
店だけではない。祭り、地域の会議、築地はしご酒、築地JAM。気がつけば、起きている時間には次々と予定が入ってくる。
「なるべくそうしたくないんだけど、どんどん時間を埋められちゃうんですよ」と言いながら、どこか楽しそうでもある。
音楽が好きで、今でもクラブへ行き、アーティストやDJの友人も多い。そこで見つけた面白いものを、築地へ持ち帰る。
「これ、地域でやったら面白いんじゃない?」
フリーマーケットや音楽イベント。大人も子供も知っている歌を、みんなで歌ったり踊ったりする場。遊びと地域活動の境目が、松本さんにはあまりない。
伊藤信吾さんの一日
- 4:00〜6:00頃 起床
散歩の後、畑をいじることも。 - 8:30頃 子供たちを送り出す
- 9:00頃 市川の本社を出発
商品をハイエースに積み、築地へ。 - 10:00頃 築地着
- 日中 店舗回り、経理、事務仕事、会議など
築地にある海苔店2店舗、カフェ業態3店舗を行き来する。 - 海苔の仕入れ時期には産地へ
長い時には5日ほど滞在し、生産者を訪ね、ときには船にも乗る。 - 19:00頃 市川へ帰宅、家族と夕食
- 22:00頃 就寝
「ナイトライフは、もうないですね」そう笑う伊藤さんは、市川と築地をほぼ毎日往復している。
市川で加工した商品を運び、各店の様子を見て、経理もする。本人いわく「ほぼ雑用係」。
一方、海苔の仕入れとなれば自ら産地へ出向く。海苔を見る「目利き」は、伊藤さん自身の仕事だ。
市川は生まれ育った故郷であり、自分の原点。築地は、人とのつながりと商いの本質を教えてくれた、商売人としての原点。
伊藤さんは、二つの街をそんなふうに捉えている。
怖かった街、遠かった街
二人に子供の頃の築地について聞いてみた。松本さんの答えは、少し意外だった。
「俺、もともと築地好きじゃないんですよ」
築地で育ち、小学校もこの街。けれど少年時代の印象は、「怖いところ」だった。声の大きな大人がいて、酒を飲み、豪快に笑う。そば屋で「水だよ」と渡されたものを飲んだら日本酒だった……なんてこともあったという。
「みんな笑ってるんですけど、俺は嫌でしたよ(笑)」
家に風呂がなかった頃には銭湯へ通った。そこでも酒を飲んで風呂に入り、倒れてしまう大人がいた。
「外で遊ぶより、家で弟と親父を待ってるタイプでした」。今の松本さんからは、少し想像しにくい。
一方、市川で育った伊藤さんにとって、築地は父について来る場所だった。小学生の頃には配達について来て、仕事が終わると大好きな場内の寿司屋へ連れて行ってもらった。中学生になると年末の店を手伝うようになった。
午前2時、3時。ターレが行き交い、オレンジ色の灯りの中で人も荷物も動き始める。「あの頃のカオスさは、すごかったですよね」
その風景は、私にも記憶がある。15年ほど前、この連載の前身となる「築地の人びと」で場内を撮影した。まだ暗い時間、オレンジ色の灯りの下をターレが走り、あちらこちらから声が飛ぶ。東京のほとんどが眠っている時間に、築地だけがすでに一日を始めていた。
市場が豊洲へ移った今、同じ風景を見ることはもうない。ただ、その時間を知っている人たちの中には、今もそれぞれの築地が残っている。
二人は、どう家業を継いだのか
二代目と四代目。そう肩書きを並べると、幼い頃から当然のように家業を継いできたようにも見える。けれど、二人ともそうではなかった。
『長生庵』は1971年、松本さんの父・好生さんが築地六丁目で創業した。好生さんはもともとコカ・コーラに勤めていたが、家族を持ち、「食いっぱぐれない商売」をと屋のそば道へ。市場で働く人たちに腹いっぱい食べてもらえるそばと、築地で仕入れた魚を出す店だった。
松本さんは、むしろ父の家業を継ぐつもりはなかったという。転機になったのは、『長生庵』の経営が悪くなったことだった。そこで本格的に店に入り、父と交代する形で『長生庵』を担うことになる。
料理人としての経験が十分にあったわけではないのに、不思議なことに「自分の店ならこうしたい」というイメージは、すでにはっきりしていた。
店に入る以前から、いろいろな酒場へ行き、さまざまな人に可愛がられ、遊んできた。そして料理より先に、地酒にはまった。
「酒がうますぎる! って感動したんですよね」。いい酒を置いている店には、いいつまみがある。
自分が『長生庵』を担うことになった時、父が使っていた鮪を、寿司屋でも使われるような上質なものへすぐに替えた。
「おいしい鮪とお酒とそばがあれば、きっとうまくいくって勝手に思ってました」なんとも松本さんらしい。亡き父親から何を教わったのか、と聞くと少し考えて、「今となっては、聞きたいことがありすぎて困ってます。似てると思うので、旦那も同じようにするんだろうな、とか思ってます」
松本さんは父親を「旦那」と呼ぶ。教わったことをひとつずつ数えるより、自分の中にいつの間にか父と似たものを見つける。そのくらいの距離に、今はなっているのかもしれない。
一方の伊藤海苔店は大正12年(1923)に両国で創業。海苔を買い付けて問屋へ卸す「海苔商」から始まり、のちに市川へ拠点を移した。三代目で父の雄康さんは、有明海産の海苔を一枚ずつ見極めながら焼く職人だった。
伊藤さんが家業を意識したきっかけには、そんな父の顔がある。大学3年生の夏頃から約7か月、ワーキングホリデーでオーストラリアへ行った。それまでずっと実家暮らし。初めて親と長期間離れて過ごし、日本へ帰ってきた時、成田空港まで父が迎えに来てくれた。
その顔を見た瞬間「老けたなあ」と思ったという。仕事と地域活動ばかりで、旅行などにもほとんど行かない父。このままで大丈夫なのかな。その時感じたことが、心のどこかに残った。
大学卒業後はいったん会社員になり、その後もいくつかの仕事を経験した。やがて時間のある土曜日に「少しずつ海苔屋も手伝ってみよう」と家業へ関わり始めた。
そして26歳だった2010年、自分の得意だったPCスキルを生かし、オンラインショップを立ち上げる。オンラインで商品を売るためには、自分たちが何者なのかを説明しなくてはいけない。商品の特徴だけではない。会社の強みや弱み、これまでの歴史。曽祖父から続く大正12年(1923)創業の歩みを改めて言葉にしていくうちに、少しずつ「四代目」の意識が強くなったという。
2019年に父が亡くなり、その1カ月後には自身の子供が生まれた。父に孫の顔を見せられなかったことは、今も心残りだという。父を失い、自分が父になる。その二つが重なった時「自分がしっかり四代目として頑張らなければ」と改めて思った。
同じ家業を継ぐということでも、その入り口はずいぶん違う。一人は、酒場で遊びながら蓄えた感覚を店へ持ち込んだ。もう一人は、家業の歴史を言葉にし、経営を学びながら少しずつ自分の立ち位置を確かめていった。
その違いは、今の二人の仕事の仕方にもどこかつながっている。
「年上なのに、ずいぶん低姿勢な人」
二人が出会ったのは十数年前。築地のイベントや地域活動を企画するNPOがきっかけだった。築地店を本格的に手伝い始めた頃の伊藤さんは、長い歴史と独特の人間関係があるこの街に、どう入っていけばいいのか悩んでいた。
そんな時期に、松本さんと出会った。二人とも地域の中では若手だったが、年齢は松本さんのほうが上。それでも伊藤さんの第一印象は「年上なのに、ずいぶん低姿勢な人だな」だったという。松本さんは年下の伊藤さんにもずいぶん丁寧だった。
それを聞いた本人は「入り口、大事じゃないですか」と笑う。今では互いに遠慮なく言葉を挟み合う二人だが、始まりはそんな距離感だった。NPOの活動や波除神社の祭りを通して、伊藤さんは築地での人との付き合い方や、地域の中での振る舞い方を覚えていった。
「自分の店のことだけを考えていても、築地では商売は成り立たない」
困れば助け合う。誰かが新しいことを始めれば応援する。街に人を呼び、そのにぎわいをみんなで分かち合う。伊藤さんにとって築地は、商売人としての原点になっていった。
3人から始まった、築地はしご酒
二人の関係をさらに深めた活動のひとつが、「築地はしご酒」だ。その背景には、市場移転への危機感があった。市場が豊洲へ移れば、仕入れに来ていた飲食店の人々も築地へ来なくなる。
ならば、築地と周辺の飲食店同士でもっと顔の見える関係をつくれないか。そんなことを話し始めた。
当時、二人と一緒に動いていたのが、卵を扱う『本玉小島』の小島さんだった。松本さん、小島さん、伊藤さん。3人で飲みに行き、新富町のはしご酒や船橋の市場で行われていたイベントにも足を運んだ。
「こういうこと、築地でもできるよね」。そこから少しずつ形になった。最初は500〜600人ほどだった参加者は、やがて数千人規模に。市場が移転した2018年頃には、およそ3000人が街を歩いたという。
そして今、二人を見ていると役割の違いがおもしろい。松本さんは感覚で動く。「おもしろそう」「やってみよう」が先に来る。伊藤さんは、その意味を考え、仕組みへ落とし込む。
「俺は現場が楽しい。みんなで遊びたいだけ」。松本さんがそう言えば、「そう言ってますけど、すごい考えてますからね」と伊藤さんが横から入る。
性格も、一日の時間も、家業の継ぎ方も違う。だからこそ、長く一緒にやってこられたのかもしれない。
興味深いのは、これだけ地域活動に関わる二人が、最初から「築地のために」と思っていたわけではないことだ。
家業だから店にいた。店を続けるために地域に関わった。特に好きではなかった祭りにも誘われたから参加した。それがいつしか積極的に祭りの会議へ行き、イベントをつくり、築地のこれからについて話す側になった。
伊藤さん自身も、市川から築地へ通い始めた頃は、この街にどう入っていけばいいのか戸惑っていた。けれど人と知り合い、店を引き継ぎ、祭りや地域活動を続けるうちに、築地は単なる商売の場所ではなくなった。
「街の皆さんに受け入れてもらって、育ててもらったという思いがあります」
外から見ているうちは「市場の街」。でも一人の顔を知り、その人の店へ行き、また別の誰かとつながっていくと少しずつ街の見え方が変わる。私自身も、この連載を始めた15年前と今とでは、築地を歩く感覚がずいぶん違う。今では街を歩いていると「ああ!」と声をかけられることもしばしば。
市場移転後の街で
2018年、築地市場は豊洲へ移転した。かつて午前4時、5時には開いていた店も、今では始発で働きに来る人に合わせ、5時半、6時頃から開くところが増えたという。
そして何より変わったのが、街を歩く人だ。インバウンド客が増え、SNSやGoogleマップを見れば、言葉がわからなくても目的の店へたどり着ける。海鮮丼、和牛、抹茶に苺飴……。築地は明らかに観光地としての顔を強めた。
しかし二人とも、その変化をただ否定するつもりはない。「流れなんですよ。それにどう適応するかが大事」。伊藤さんはそう言う。
海苔も同じだという。環境が変わり、生産量が減り、値段が上がる。昔と同じものを、昔と同じやり方で売り続けるだけでは商売は続かない。変わる必要はある。けれど、何を残すのか。そこは考えなくてはいけない。現在展開する店舗のいくつかは、以前そこにあった商いを受け継いだものだ。
海苔屋だった場所には、再び海苔とお茶を扱う店を。お茶屋だった場所は、コーヒーを出す店へ。
松本さんには、いつか築地でやってみたい店がある。700円、800円ほどで、この街で働く人が普通に通える立ち食いそば屋や市場飯の店だ。観光客向けの価格帯が増える一方で、日々ここで働く人が気軽に食べられる場所が減っている。
「それこそが地元の飲食店じゃないですか」
形は変えても、そこにあったものをすべて消してしまわない。
「築地のハイブリッドみたいなことなのかもしれないですね」
新しくすることと、残すこと。その二つは、必ずしも反対ではない。
では10年後、築地はどんな街であってほしいのだろう。松本さんからは次々とアイデアが出てくる。
地方から来た若い人が商売に挑戦できる場所。この街で働く人が安く食べられる店。音楽や祭りを通して、人が交わる場所。
伊藤さんは、対面で商売することの意味を考える。今は人差し指一本で、ほとんど何でも家まで届く。スーパーではセルフレジが増え、誰とも話さず買い物を終えることもできる。
でも築地には「それなら、こっちのほうがいいよ」「こうやって食べるとうまいよ」という会話がまだ残っている。
店へ行けば人がいる。歩けば誰かに会う。そのやりとりそのものが、この街の商いなのかもしれない。
「何も用はないんだけど、築地に行きたいって思えるような場所にしたいんですよね」。その言葉を聞いて、ああ、それは少しわかるなと思った。
私も築地へ来て、必ず何かを買うわけではない。誰かと立ち話をして、店をのぞいて、コーヒーを飲んで帰る日もある。いつの間にか知っている顔が増えて、ただの「市場の街」ではなくなった。
築地はしご酒も、きっとその入り口のひとつなのだ。知らない店の暖簾(のれん)をくぐって、一杯飲む。店の人と話す。次にその前を通った時には、もうそこは「知らない店」ではない。
松本さんと伊藤さんもまた、そうやって築地との距離を縮めてきたのだろう。最初からこの街が好きだったわけではない。家業があり、人と出会い、祭りに関わり、店を続けてきた。その積み重ねの先に、今の二人がいる。
変わっていく築地の中で、何を残し、何を変えるのか。
二人は今日も、それぞれまったく違う時間に起き、同じ街へ向かっている。
※長生庵は2026年9月現在、店舗改装のため休業中。店舗休業期間中は外飲みができる『スタンド長生庵』を開催。詳細情報については店舗の公式情報をご確認ください
取材・文・撮影=yOU(河﨑夕子)






