魚河岸の5代目として
「昔は魚が安かったから、食卓には一人一匹、魚があったんだよ」
そう懐かしそうに語るのは、築地場外市場で鮮魚店『築地 京富』を営む門井直也さん。日本橋魚河岸から続く家系の5代目だ。
門井家は代々魚河岸に関わってきた。関東大震災後、日本橋から築地へ市場が移転し、時代の変化とともに商売の形は変わっても、魚とともに生きる暮らしは受け継がれてきた。
子供の頃から市場は遊び場であり、魚は教材でもあった。夏休みになると築地場内市場で家業の手伝いをしながら、父や祖父が魚をおろす姿を眺めて育った。
「刺し身を引いたり、姿造りを作ったりするのが格好よく見えたんだよね」
やがて自らも魚を扱うようになり、板前としての技術も磨いた。魚を知ることが面白かった。魚種ごとの違い、季節ごとの味の変化、調理法によって変わる魅力。焼き魚が好きだった少年は、大人になるにつれ煮魚や蒸し魚の奥深さにも惹かれていったという。
「魚って新鮮なら何でもいいわけじゃないんだよ。寝かせた方がおいしい魚もあるし、その魚に合った扱い方がある」
そんな言葉からは、長年魚と向き合ってきた職人としての視点がうかがえる。
豊洲と築地、二つの市場をつなぐ
現在の門井さんは、豊洲市場で仲卸業を営む「京富」と、築地場外市場の小売店『築地 京富』の両方を切り盛りしている。
豊洲で魚を見極め、築地でお客さまと向き合う。その両方を担う毎日は想像以上に忙しい。
門井さんの一日
- 午前2時 起床。お客さまからの注文を整理し、仕入れ計画を組み立てる
- 午前3時 豊洲市場へ
- 午前3~10時 仲卸「京富」の仕事。注文品の確保、競りや相対取引、情報収集。その日の販売イメージを組み立てる。築地の店の注文分はシャトル便で送る(午前7時に『築地 京富』が開店。別のスタッフが対応)。
- 午前10時 仲間の店から依頼された品なども受け取りながら築地へ移動
- 午後12時頃 『築地京富』で業務用発送を終え、店頭販売へ
- 午後2~3時 常連客の来店がひと段落
- 午後3~4時 残った魚の加工、小分け、翌日に向けた準備
- 午後4時 仕事終わりの缶ビールは必須(笑)。町会や祭礼関係の会議、地域活動など
- 午後8時 帰宅
- 午後10時 就寝
睡眠時間は決して長くない。それでも毎日市場へ向かう。
市場の仕事は魚を買うだけではない。天候や風向き、海の状況、産地の情報、相場の動き。あらゆる情報を読みながら、その日の仕入れを組み立てていく。
「魚屋は雨じゃなくて風を見るんだよ」
雨が降っても海が荒れなければ魚は来る。しかし風が吹けば船が出られない。だから天気予報よりも風の情報が重要になる。
毎日が勉強。毎日が判断の連続だ。
競り場を歩きながら新しい魚を見つけ、どんな料理に向いているか想像する。その積み重ねが店づくりにつながっていく。
会話と信頼関係が商売になる
門井さんの話を聞いていて印象的だったのは、「魚」よりもむしろ「人」の話だった。
「会話と信頼関係だと思うんだよ」
店に立つと、お客さまとの会話が始まる。
脂の乗った魚が好きな人、色の美しさを重視する人、日持ちする魚を求める人。
話しているうちに、その人の好みが見えてくる。
だから値段だけで魚を勧めることはない。その人にとって本当においしい魚を提案する。それが市場の商売だという。
コロナ禍には百貨店に通っていた人たちが築地に流れてきた。駐車場が近く、少量でも買える。そして何より店主と話しながら選び、おいしい食べ方を知ることができる。
その面白さに気づき、今でも通い続ける人が少なくない。
「今はみんな対面で買い物しなくなったじゃない。でも会話って大事なんだよね」
ネットでは買えないものがある。人との関係性だ。
魚の食べ方、保存方法、旬の情報……そんな何気ない会話の積み重ねが信頼になる。
門井さんは言う。
「人との信用やつながりは、お金では買えない財産だから」
その言葉は商売人としての信念でもある。
魚と祭りと人情と
門井さんにはもう一つの顔がある。
毎年6月に開催される築地波除神社の「つきじ獅子祭」では準備から運営まで奔走し、町会の会議や打ち合わせにも必ず参加する。七月の築地本願寺の納涼盆踊り大会では名物となった「鯖サンド」を販売し、その行列は毎年の風物詩にもなっている。
市場の人としてだけではなく、地域を支える一人としての存在感も大きい。
その根底にあるのは、やはり人とのつながりだ。
顔を合わせて、話をする。そして互いに助け合う。
祭りも市場も、その本質は変わらないのかもしれない。
近年の築地はインバウンド観光客で大きなにぎわいを見せているが、その一方で、門井さんは少し違う未来も見据えている。
「築地は寿司だけじゃない。食べ歩きの街でもない。いい食材が集まる場所なんだよ」
だからこそメディア出演を始めとして、「築地美食倶楽部」を開催したり、築地魚河岸の屋上でのバーベキュー企画などにも携わりながら、食材の街としての築地の魅力を伝え続けている。
魚があり、野菜があり、乾物があり、調味料がある。
プロの料理人だけでなく、家庭の食卓も支えてきた市場の力がある。
これから再開発が進み、交通網が整備され、街はさらに変化していくだろう。
それでも門井さんの考えは変わらない。
「市場ありきだと思ってる」
波除神社、築地本願寺、場外市場……そしてそこで暮らし、働く人々。
築地に生きる一人として、門井さんは今日もまた、築地の未来を見つめている。
取材・文・撮影=yOU





