郷愁をそそる滋味深き町中華『平和軒』
昭和2年(1927)に創業し、大崎の坂上の住宅地でのれんを掲げたのは1965年。以来、外食産業勤めのビジネスパーソンも足しげく通う。ここでは麺類と半チャーハンのセットを頼むべし。ツルシコの麺が歯切れよく、豚骨と鶏肉の澄んだスープがまろやかな甘みで、気づけば丼は空だ。しっとりしたチャーハンのやさしい甘みから店主の人柄がしのばれるよう。懐にやさしい値段にも感涙。
11:00〜14:00、日・祝休。
X:@Z3jzPOeHoK7uGNq
食べ心地のよさと芳醇な香りにうっとりする『小麦girl』
イタリアン・フレンチの元シェフがパン作りを一から修業し直した。各国の伝統レシピを踏襲しつつ「唾液の分泌量が少ない日本人の口が疲れないように」改良。むっちりしたベーグルやカンパーニュ、銅型に蜜蝋(みつろう)を塗ってカリッと焼き上げるカヌレが評判だ。アールグレイで香り付けしたチョココロネや、最高級ピスタチオが満載のクリームパンなど、リッチな味揃い。
8:30〜18:30(月は〜15:00)、火休。
希少豆の特徴を引き出した香りが魅惑の『MAHIRO COFFEE ROASTERY』
フルーツと醗酵させたコロンビア産やラム酒に漬け込んだネパール産など、希少なスペシャルティコーヒーが約30種。しかも全種、ハンドドリップで味わえ、飲めばくっきりとした香りに声が漏れる。また、熱風式マシンの自家焙煎豆は注文してから10分足らずでロースト完了。焼きたてを持ち帰れるうえ、「お好みの焙煎具合にも変えられますよ」と、店主の真希さん。
8:00〜19:00、不定休。☎03-6421-7309
坂上の住宅地に潜む小さな絵本屋『nanairo books & GALLERY』
『なないろうんち』の自費出版を機に2017年、自宅ガレージの半分を改装。元編集者で一人出版社も営む藤村尚子さんがセレクトする国内外の絵本は、懐かしさ、面白さの宝庫で選ぶのが楽しい。「買わなくてもいいの。絵本を眺めながらおしゃべりしていくご近所さんも多いですよ」。2作目『イリオモテヤマネコ ほんとはどっち?』も販売中。
水・木の12:00〜17:00営業(変動あり)。
街の外からも人を呼び寄せる豆大福『高松屋』
開店と同時に客が並び、夕方には完売。お目当ては豆大福だ。「砂糖の甘さよりアズキの香りを大事にしたい」と、丹精する店主の高地寿樹さん。口どけのいいつぶしあんの上品な甘み、赤エンドウ豆の香り、キメ細かでのびも歯切れもいい餅の合わせ技は一度食べるとトリコ。他にも「草が多め」の草餅はヨモギの香りが力強い。春のイチゴ大福が終われば塩大福の季節だ。
10:00〜18:00(売り切れ次第終了)、日・月休。
☎03-4296-6530
魚屋の矜持を胸に握る旬魚にうなる『魚玉』
刺し身、仕出しも行う魚屋だったが「冷蔵庫が壊れていってね」と、2代目の澤尻弘美さんはイートインを拡張。昼の海鮮丼も人気だが、かつて六本木や銀座で握った腕を発揮する夜の握りは格別だ。「魚屋だからこそ」の価格を抑えた箱買いで豊洲市場仕入れの魚は色つやが見事。シャリがほどけると、とろりと香味が押し寄せる。酒肴も豊富。
11 :30〜13:20LO・17:00〜21:30LO、日・祝休。
☎03-3494-1494
世話好きの多い不思議な街
行き交うビジネスパーソンに混じってキックボードの子供たちが駆け抜け、年配のご夫妻が仲良くのんびりお散歩。ベビーカーを押すママは駅前マルシェで鮮度抜群の産直野菜を物色している。久しぶりに降りた大崎は、ひと昔前から顔ぶれが変わっていて驚いた。
駅周辺はかつて巨大な町工場地帯。再開発計画はあったものの遅々として、暗く寂しい印象が長く続いていた。けれど、駅の東西を結ぶ自由通路を中心に、林立する高層ビルがペデストリアンデッキで手を取り合い、植栽に包まれたベンチを点在させ、あらあら、なんだかほっこり。もともと高台、坂、谷など起伏の激しい地形だが、各施設のエスカレーターやエレベーターを使えば、桜並木が続く目黒川の水辺にも易々とたどり着き、すがすがしさに手足が伸びる。
高台の御殿山へも公開空地の公園を抜ければ、緑滴る心地いい散歩コースに早変わり。住宅地をうろうろ歩けば『nanairo books &GALLERY』を発見。店主の藤村尚子さんは「若いファミリー層も多く暮らしていて、育休のパパ、ママが散歩の途中で見つけて立ち寄ってくれます」と朗らかに笑った。
駅前まで戻り、ゲートシティ大崎前の『MAHIRO COFFEE ROASTERY』でひと心地。2024年の開店ながら、会社員や住民がひっきりなしだ。聞けば、駅前イベント出店、常連客が催す店内ライブなど、地域密着の活動にも勤しみ、イベント限定フードも評判を呼んでいるという。店主の真希さんは「祭り好きで世話好きの方が多く、お客さま同士が仲良くなれる唯一無二の場所」と、大崎に店を構えたことを喜んでいた。
最先端と昭和が交錯し不思議な居心地の良さを醸す
次に西側エリアへ。未来都市の「ThinkPark」や「ソニーシティ大崎」を抜けると一転、昭和風情が現れた。境目で店を構える『小麦girl』の横畑さんは「大崎の面白さは、タワマン、大企業、下町が交差しているところ」と、目を輝かす。手土産用に大量購入する人が後を絶たず、「上質なものが好まれます」と気合を入れる。さらに、元シェフの腕を生かし、夏には総菜とパンを一緒に味わえるカフェも新設予定とか。すでに提供を始めているコーヒーは、先ほど訪れたMAHIRO製。お互いの店で出し合う仲の良さもうかがわせる。
このあたりを歩くと、現代では珍しく地域猫が悠然と闊歩(かっぽ)するのどけき情景に出くわす。猫に誘われ、真新しい石段を上がると、ところどころハートや桜、十二支の文字が刻まれ、探すのが楽しい。「正月に新しくしたばかりです」と、笑顔を向けるのは居木(いるぎ)神社宮司の森田義巳さんだ。聞けば、溶岩の富士塚がある場所は縄文時代の貝塚があった遺跡で、江戸時代は居留木橋カボチャの畑が広がっていたとか。実は昔から住み良い土地だったのだ。タワマンが目の前の空を貫くようになったものの、「以前は夜、真っ暗でしたが、あかりが点々と灯って明るくなりました」と、ますますの活気を楽しみにしている。
百反坂商店街に足を向ければ、ポツポツと昭和期から営む商店が点在している。鮮魚店がルーツの『魚玉』2代目の澤尻弘美さんは、「最近は食べていく人の方が多くなったね。昼で知ってもらって、夜に宴会するお勤めの人が多いかな」と話すが、晩酌用や夕飯のおかずに買い求める人の姿も変わらない。しかも、「昔から内福な人が多いですから」と、上質なネタの目利きに心血を注ぎ続けている。
次世代にそそがれる大崎っ子のまなざし
また、2016年に和菓子店『高松屋』を構えた高地さんからは、「近所のおじいちゃんおばあちゃんが、うちの子供たちに食べさせてあげてと夕飯やおやつを持ってきてくれたり、店がある僕らに代わってお祭りに連れて行ってくれたり」と、“大崎あるある”を聞かせてもらった。昔ながらの住民ばかりでなく、マンションに移り住んだ新しい住民たちも「やさしい人ばかりで人情が厚い。いい場所で店を開きました」と目尻を下げた。
最も驚かされたのは『平和軒』でのこと。「目の前の土地が用地買収されたから、ここもいつまであるか分かんないよ」と話しながらも、3代目の小林博明さんは、常連客の健康や懐を慮る折り目正しき人情派。ザ・大崎気質と言うべし。その人柄が人を呼び、手伝いを買って出る若き常連の姿もあって、胸がグッと熱くなった。
大崎はまだまだ変貌中で、昭和遺産の「ニュー大崎店舗街」も建て替え予定と聞く。でも、大崎っ子のやさしいまなざしは新しい住民や次世代にもくまなく注がれ、街の気質を育んでいるようだ。その証拠に、子供たちの楽しげな声が街のあちらこちらから響いていた。
取材・文=林 さゆり 撮影=逢坂 聡
『散歩の達人』2026年5月号より






