肉と衣の間から感じる優しさ『丸八とんかつ店』
お目当ては1955年から守られてきた味わい。歯切れ良く、口の中でふわっとほぐれるヒレカツだ。肉と衣の間の黄色い層は二度漬けした溶き卵で、こうして1枚着せると肉はジューシーに、衣はサクッと仕上がる。ウスターソースとケチャップ、白ワインをブレンドした甘めの専用ソースでどうぞ。
11:30〜21:00LO(土・日・祝は〜20:30LO)、月休(第1・3月の翌火も休)。
☎03-3471-2681
時を忘れさせる心地良いエアポケット 『unplugged COFFEE STAND』
おこもり気分を味わうのにもってこいのこぢんまりした三角物件。インテリアの古道具も時の流れをゆるめてくれるようだ。コーヒーはスウェーデンのロースターから仕入れた浅煎りを使い、注文ごとにハンドドリップ。あんバタートーストは、あんに潜ませたエスプレッソの酸味がサワー種のパンと合う。
8:00〜18:00(土・日・祝は9:00〜)、無休。
☎03-6712-3155
進化する老舗酒屋『おいしい地酒とワインの店 ワダヤ』
初代の和田音吉が大正時代に創業。酒ツウもうなる全国各地の銘酒を取り揃え、小売りはもちろん、卸先の飲食店からの信頼も厚い。日本酒をもっと知ってもらおうとこの春、店のすぐそばにオープンした『WADAYA STAND』では、季節のおすすめを気軽に味わえ、気に入れば購入も可能だ。
10:00〜20:00(土・日・祝は11:00〜19:00)、水・第3火休。
☎03-3474-3468
『WADAYA STAND』の営業はInstagramを要確認。
人々の疲れを癒やし続けて70年以上『すえひろ湯』
戦後まもない1950年から地域の憩いの場だった『末広湯』。廃業の危機にあったが、大崎『金春湯』の角屋文隆さんが引き継ぎ、2022年に『すえひろ湯』として再出発した。八角カランや外観など風情は残しつつ、サウナを充実させ、ビアタップを導入し生ビールを飲めるように。日曜の変わり湯も評判。
15:00〜24:30最終入店(土・日・祝は10:00〜)、火休。
☎090-4326-0485
毎日寄りたい、立ち飲み新世代『wine stand SAMI』
まず飲んでおきたいのは、開業のきっかけでもある珍しいジョージアワインの琥珀スパークリング。クヴェヴリ(素焼きのかめ)で仕込んだ、果実のうまみをしっかり感じられる一杯で余韻も楽しめる。近所の鮮魚店『魚春』の魚をはじめ、仕入れ状況によって料理は日替わり。アジフライは衣が香ばしく、新鮮なアジならではの澄んだ香りが際立つ。
17:00〜23:00(土・日・祝は16:00〜)、不定休。
看板商品は違えど、誠実さはそのまま『甘味処 かき氷 喜良久』
創業以来50年余りこの地で続き、先代の割烹料理店からかき氷を柱とする甘味処に変わって約3年。3代目の鳥居さん夫妻が笑顔で迎えてくれる。妻の康子さんが考案するかき氷は、素材の組み合わせ、全体のバランスなど隅々まで考えられた総合芸術。ひと口目から伝わる丁寧な仕事ぶりは「父を見て学びました」。
12:00〜17:30(変更あり。Instagramで要確認)、月・火休(不定休あり)。
過去と現在、未来が渦巻く
右を見れば、昭和の香りを漂わせる店舗建築が軒を連ね、左を見れば、ここ数年でオープンした店の新しい看板が目に入る。少し歩くだけで視界に入る景色がガラリと変わり、まるで別世界にワープしたような気分だ。新旧が隣り合う大井町は、今まさに再開発の真っ直中。戦後の闇市がルーツとされる東小路飲食店街では世代交代の波も押し寄せ、玄人向けの老舗や名店に混じって若手による気鋭店が話題を呼んでいる。
ゼームス坂上にある『丸八とんかつ店』は1955年創業。「うちは築70年以上。元々2階建てでしたが、3階は後から増築したんです」と、3代目の小野敏宏さんが教えてくれた。調理場を囲むカウンター席が人気だが、靴を脱いで上がる2階の広間もまた味わい深い。二度漬け溶き卵のおかげでサクッと揚がった繊細な衣に感動していると、なんでもないことのように「祖父のやり方を踏襲しているだけですよ」と笑う。
大井町駅中央東口のペデストリアンデッキを下りると、駅前の雑踏がちょっとだけ遠のく。通り沿いにある、スペシャルティコーヒーの『unplugged COFFEE STAND』は、表参道の美容室の姉妹店。2022年にオーナーの前田伸一さんが長年のコーヒー好きが高じて始めた新顔だ。最初は「大井町っぽくない」と警戒もされていたようだが、今では普段遣いする地元の人が増え、帰り際の「いってらっしゃい」「いってきます」のやりとりがものすごく自然だ。
「大井町といえば、昔は競馬場ぐらいしかありませんでした」
『ワダヤ』の3代目・和田兼幸さんがそう言えば「自分は下町育ちだと思っていましたが、状況が変わってきました」と、4代目の兼一さん。80年代にこの辺りも人通りが増え、酒屋からコンビニ、コミュニティストアに業態変更した時代もあったという。2008年、兼一さんが経営に加わるタイミングで改めて先を見据え、再び専門店として日本酒と焼酎、ワインに重心を置くようになった。この春始まった『WADAYA STAND』では、造り手たちの努力や工夫など背景にある物語も一緒に届けている。「若い人にも気軽に足を運んでもらいたいです」。
駅の西側に延びるアーケードは大井サンピア商店街。オーイ地下飲食店街よりさらに西、品川区役所寄りの一帯は建物がすっかり撤去され、ポツンと残されたアーケードと看板からそこはかとなく哀愁が漂う。駅寄りの元割烹料理店の『喜良久』は解体を免れ、現在は3代目夫妻が、甘味処として日々真摯に営業中。地元・二葉の氷屋『飛騨屋』の純氷を使い、シロップの種類によって削り方を変えて歯触りを工夫するなど、細かいこだわりが見えるたびわくわくしてしまう。「週に何回も来てくれる人がいて、閉店までいるとモップがけを手伝ってくれるんです」と、鳥居泰吾さん。それほど親密な関係の地元客も、ふらっとやって来た一見客も分け隔てなく迎えてくれるのがうれしい。
再開発が進んでもこの街は生活者のオアシス
日没前の『すえひろ湯』に集まるのは、何十年も通うベテランがほとんど。互いに顔なじみのようで、「久しぶり」「しばらく顔を見なかったけど元気だったの?」「ずっと天気が悪かったからね」というように声を掛け合うのが恒例らしい。使い方を知らない新参者にそれとなくルールを教えるのもベテランの常連客。空いているカランを探してキョロキョロしている人に「こっち、空いているよ」と助け舟を出す。一方、夜になるにつれ増えるのが仕事を終えたビジネスパーソンで、サウナで黙々と汗を流し、「ととのう」ことでその日一日のストレスを解消していく。湯上がりにはサーバーから注がれた樽生のクラフトビールをゴクリ! プハーッ、最高。
小腹が空いているようなら大井三ツ又交差点付近の『SAMI』へ。『すえひろ湯』からわずか60mほどのところにあり、「そういうお客さま、多いんですよ。スッピンでも気にしません」とオーナーの洪静恵(ホンチョンヘ)さん。毎日のように来る人たちのために料理を考えるうちにどんどんメニューが増えたそうで、組み合わせ次第では定食のようなスタイルにも。ジョージアワインの包容力に身を委ね、お腹も満たされ、うっとり夢見心地だ。2020年オープンでまだまだ若手だが、だからこそ誰でも入りやすい。「保育園のお迎え前に寄って、パッと一杯だけ飲んで息抜きしていくママさんもいます」。
新しい大井町も昔ながらの大井町も、どちらも誰かにとっての大事な心のオアシスなのだ。
取材・文=信藤舞子 撮影=オカダタカオ
『散歩の達人』2026年5月号より






