そこにあるだけで蒲田を感じる
片道170円(2026年3月現在)で行ける異界。それは川崎市民にとっての蒲田である。昭和の川崎キッズたちは、切符を握りしめて緊張の面持ちで蒲田駅に降り立つ。目指すはユザワヤ。家庭科で必要な布切れを買いに行くのだ。『手ぶくろを買いに』のおかあさんキツネに言われたように、1000円札を握りしめる。誰にも取られませんように。そんな小学生をユザワヤのひつじの時計がずっと見ている。
家庭科から遠く離れてはや幾年(いくとせ)。蒲田で降りるのは主に餃子飲み会か、京浜東北線の川崎最終を逃した蒲田止まりで強制的に降ろされるかのどちらかとなった。駅ビルは2008年に「グランデュオ蒲田」として生まれ変わっている。「ちょっと上質な毎日の生活を2つの館で応援する回遊型コミュニティ百貨店」というキャッチフレーズ。なんてことはない、私の家庭科時代に並立していた東口の「パリオ」と西口の「サンカマタ」が悪魔合体して誕生したのが現在の「グランデュオ蒲田」。東館と西館は相互の行き来がもどかしいほど制限され、今自分が何館にいるのかわからなくなる現象に陥る。できれば「ラビリンス蒲田」に改名してもらいたい。東館6階の『回し寿司活』はとてもおいしい。
蒲田のランドマークといえば、都内唯一の屋上観覧車「屋上かまたえん」である。1968年に初代の「お城観覧車」が設置され、1989年には2代目「グレ太の観覧車 フラワーホイール」へと世代交代。お城もグレ太も蒲田キッズに愛され続けたものの、2014年「東急プラザ蒲田」の一時閉店の際、閉鎖の危機に。存続を望む人たちからのエールを受け「幸せの観覧車」として無事復活。実は行ったことがない、たぶん乗ったこともない。だけど見上げてそこにあるだけで蒲田を感じる、それが屋上観覧車。「幸せ」はいつまでも続きますように。
地元民は「変わったよ」というけれども……
長く蒲田に住んでいる人たちに聞けば「蒲田も変わったよ」という。だけど川崎市民から見たらやっぱり170円で行ける異界であることは間違いない。京浜東北線の車窓をのぞけば、廃タイヤの生命エネルギーにより蘇(よみがえ)った恐竜たちが、タイヤ公園で我々を威嚇(いかく)する。蒲田を代表する老舗喫茶店『グッディ』では今日もタバコをくゆらせながらおじさんがスポーツ新聞に包まれている。昨日も、たぶん明日もおじさんはスポーツ新聞に包まれている。蒲田の死亡遊戯としておなじみの『鳥万』は、4階建の大衆酒場。上の階に上がれば上がるほど酒は濃くなる。人気すぎて日替わりオススメ「サービス」を頼めたことなんて一度もない。昨日も、たぶん明日も頼めない。それでいい。
走る走ると言われながらはや幾年。ついに新空港線、いや「蒲蒲線」が2038年以降の開業に向けて動き出す。JR蒲田駅から京急蒲田駅の約800m、都内最後のミッシングリンク。蒲田もいよいよ変わってしまうのか。川崎市民としては、羽田空港まで直でいけたらめちゃありがたいけど。
蒲田のこれまで
1989年
「東急プラザ 蒲田」に2代目屋上観覧車設置
1998年10月
松竹蒲田撮影所跡地に「アロマスクエア」竣工
1998年12月
「大田区民ホール アプリコ」開館
2008年4月
「グランデュオ蒲田」新装開店
2012年10月
京急蒲田駅全面リニューアル全線高架化
2014年10月
「東急プラザ 蒲田」リニューアルオープン
2022年6月
新空港線(蒲蒲線)計画で東京都・大田区が費用負担で合意
取材・文=西澤千央
1976年、神奈川県川崎市生まれ。『KING』(講談社)でライターデビュー。現在『文春オンライン』(文藝春秋)や『Quick Japan』(太田出版)などでインタビューやコラムを執筆。2026年2月号ではライス田所仁インタビューを担当。
撮影=丸毛 透
『散歩の達人』2026年4月号より







