ふわっと浮かぶような乗り心地
よく晴れた日の午後、阪急嵐山駅から川沿いを歩いて渡月橋へと向かう。平日だったが、橋の周辺は多くの観光客で賑(にぎ)わっている。国内でも有数の観光スポットとして知られる嵐山だから、海外からの観光客もとても多い。
全長155mもあるという渡月橋をゆっくり渡りながら、川の流れと山影を眺める。最初にここに来たのはたしか中学校か高校の修学旅行だったと思う。その頃は川岸に人気タレントのグッズを売るショップが立ち並んでいて、そういう店でお土産を買った記憶がある。大阪に引っ越してきてからは距離がだいぶ近くなったから、何度も散策に来た。
渡月橋を北に向かって渡り切ると、早速、人力車がたくさん走っている。パッと見たところ、海外の方が多く利用しているようで、団体の旅行者が何台もの人力車に分乗している姿もあった。
事前に指定されていた「渡月橋北詰 人力車乗り場」へ向かうと、今日、私が乗る人力車の俥夫を務めて下さる浅井浩靖さんが待ってくれていた。
「人力車えびす屋」では、事前に乗車プランを選んで予約することもできるし、当日に申し込んで乗車することも可能だ。取材ということで日時だけは前もって決めてあった私も、乗車時間やコースなどはその場で相談することになっていた。
最短は12分のコースで、それ以上は柔軟に対応してもらえるそう。定番は45分で、数時間、終日と長く乗る人もいるそうだが、今回が初めての私は30分間乗車させてもらうことにした。
浅井さんが置いてくれた踏み台に足を乗せ、いざ人力車に乗り込む。春が近いとはいえまだ冷える頃合いだったため、お腹から下に毛布を二重にかけてもらう。さらにお尻の下にはカイロも置いてあり、寒さはまったく感じなかった。車両には可動式の屋根もついていて、日差しが気になる方が乗車する際や、風の強い日、雨の日などに使用するそう。
シートベルトもしっかり締めたところで、浅井さんが「ゆっくり持ち上げていきます」と「梶棒(かじぼう)」と呼ぶらしい長い棒を引き上げる。ふわっと浮かぶように私の体も持ち上がり、視線が高くなる。思わず「おお!」と声を出すと、「リアクションがいいですね!」と浅井さんが笑い、人力車が動き出した。
いつもと違う嵐山を知るひととき
路地を折れた人力車は渡月橋のたもとへ向かう。途中、浅井さんは「こちらはパンが美味(おい)しいカフェです」とか、「こちらは湯豆腐が人気のお店です。嵐山と言えば湯豆腐が名物です」と、街のあちこちについて解説してくれる。人力車を引くことだけでなく、その地域をガイドするのも俥夫の大事な仕事なのだという。嵐山に詳しい浅井さんはこのあたりのだいたいのお店には行ったことがあるそうで、日本三大料亭の一つに数えられる『京都吉兆 嵐山本店』でも食事をしたことがあるというからさすがだ。
渡月橋付近でたくさんの人力車とすれ違う。「人力車えびす屋 京都 嵐山總本店」には72台の人力車があり、桜や紅葉の季節にはさらに増台されるのだとか。1992年に嵐山の地で創業したそうで、当初は3台の車両で運営されていたという。それから30年以上が経ち、北海道から九州まで、全国に12店舗を構える規模になった。
浅井さんは俥夫歴が30年以上のベテランだ。この近くに住んでいたために人力車を見かける機会があり、それが楽しそうに見えて、この世界に飛び込んだ。「やってみたら本当に楽しかったんです」と言いながら、嵐山のメインストリートをずんずんと進んでいく。通りの両側には多くの商店が立ち並び、通行人も多い。混み合う通りを安全に通り抜けるためには機敏な判断が必要なのだろうと、乗っているとわかる。
お仕事の邪魔にならない程度に、浅井さんに色々質問させていただいた。それによると、嵐山では利用者の7割が海外の方で、そのため俥夫のみなさんは英語を勉強しているのだとか。浅井さんはずっと嵐山の總本店で仕事をしているが、スタッフの中には全国を転々としている方もいるという。そのような場合でも、担当する地域について詳しくなっておくのは必須だそう。
「やはり、人力車は重たいんでしょうか?」と聞くと、「重たくないことはないんですけど、それ用の筋肉がつきますね。この人力車にはブレーキがないので、ブレーキも筋肉ブレーキなんです」とのことだった。ちなみに同じえびす屋の人力車でも、たとえば坂の多いエリアでは、安全に配慮してブレーキつきの車両が採用されているという。
竹林の中の秘密の小道を通る
世界遺産にも登録されている「天龍寺」の門前を過ぎた人力車は左へと折れ、嵐山随一の人気スポットである竹林へと入っていく。
竹林の間の道はさっきのメインストリートよりも幅が狭く、通行人もさらに多い。浅井さんは「こんにちは!すみません!」「エクスキューズミー!センキューソーマッチ!」と人々に声をかけ、スペースを空けてもらいながら人力車を引いていく。
途中、歩いている方々とは別の道に入ったと思ったら、そこは人力車の通行のために特別に開放されている小道なのだとか。「ここを通りたいから人力車に乗るという方もいらっしゃいます」と浅井さんが言うのも納得の、特別感のある道だ。風が吹いて竹が揺れる音が耳に爽やかである。
その道に人力車を停め、浅井さんが私のスマホで記念写真を撮ってくれる。「ちょっとだけ動かないようにしていてくださいね」と言うのでじっとして待つ。できあがった写真を見ると、パノラマモードで地面から竹林の上の空までが一枚に収められていてうれしかった。自分のスマホなのに、こんな写真が撮れることを初めて知った。
竹林エリアを抜け、今度は裏通りを縫うようにして出発した場所へと戻っていく。こんな道があったのかと思うが、浅井さんいわく、嵐山周辺の道という道はくまなく把握しているそう。仕事を終えると歩数計は毎日3万~4万歩になっているそうで、それを30年以上続けてきたわけだから、その積み重ねのなせる業なのだろう。
踏み切りが上がるのを待っていると、嵐山の観光列車であるトロッコ列車が通っていった。「一時間に一往復だけですのでなかなか見られないんです。いいことがありそうですよ」と浅井さんに言われ「今日は乗り物運に恵まれていそうだ」と思う。
出発したのと同じ場所に戻って、充実の30分が終了した。会計時に次回利用できる割引券やステッカーをプレゼントしてもらえる。季節ごとにデザインが違い、4パターンすべて集めると人力車Tシャツをもらえるそう。チャレンジしてみたくなる。
歩き出すと、さっきまでの時間が夢のように思えた。「小さなお子さんはすぐ寝てしまいます」と浅井さんが語っていた乗り心地のよさを思い返しながら、おすすめしてもらったお店で名物のねぎ焼きを食べながらビールを飲んだ。
『琴ヶ瀬茶屋』を眺め、トロッコ列車の乗り場へ
一休みした後、再び嵐山を散策する。渡月橋を南に渡って川沿いの道を上流の方へとしばらく歩く。そこには『琴ヶ瀬茶屋』という私の大好きなお店があるのだが、この日はまだ営業していないようだった。
『琴ヶ瀬茶屋』は創業100年以上になる店である。保津川下りの船にボートを横付けして軽食や飲み物などを販売する売店船の拠点でもあり、川沿いには座敷席が設けられて茶屋としても営業している。売店船は営業していたが、茶屋の方は毎年3月中旬から秋までの営業となっているため、取材時はまだ今年の営業が始まっていなかったのだった。
私が嵐山に何度も足を運んだことがあるのはたいていこの『琴ヶ瀬茶屋』へ行くためである。この店には面白いポイントが一つあって、対岸に停めてある手漕ぎボートに乗って店まで行くこともできるのだ。
少しドキドキしながら自分でボートを漕いで川を渡り、たどり着いた茶屋で瓶ビールを飲む。川べりの席は夏でも涼しく、すぐ近くに広がる水面をぼーっと見ながら過ごす時間が大好きだ。
今回は行くことができなかったが、ボートに乗って行ける最高の茶屋に、今年もまた行こうと誓いながら、散策を続けることにした。
先ほど人力車に乗って通った竹林を改めて歩く。様々な国の言葉が耳に入ってきて、みんながこの風景を喜んでいるようで私もうれしくなる。
そういえば、俥夫の浅井さんがトロッコ列車の話をしていたなと思い出す。1時間に一往復と言っていた。「嵯峨野トロッコ列車」という名で親しまれ、美しい山あいの風景と渓谷を眺めることのできる観光列車である。調べてみると、自分のいる場所から「トロッコ嵐山駅」がそう遠くなく、そこから「トロッコ亀岡駅」まで乗車することもできるようだ。人力車に乗って眺めたトロッコ列車に、この勢いで乗ってみようではないか。
トロッコ嵐山駅で片道キップを買う。20分ほど待っていると、乗車時間が近づいてきた。
レトロな雰囲気の列車に乗り込む。走り出すとすぐ、窓の外に美しい渓谷が見え、車内から歓声が上がる。
川を下っていく船も見え、船の乗客がこちらに手を振っているのが見えた。川下りの船があって、トロッコ列車があって、人力車も走っている嵐山もまた、乗り物天国だなと思った。
終点のトロッコ亀岡駅に着く直前、車掌さんがマイクで椎名林檎の歌を歌い、車内から拍手が起きる。楽しい気分であっという間の列車旅を終え、徒歩8分ほどの距離にあるJR馬堀駅へと向かう。
天気にも恵まれ、嵐山の風景の美しさを堪能した一日だった。せっかく京都に来たし、と、突然の飲みの誘いに付き合ってくれそうな友人に連絡してみる。
無事タイミングが合って一緒に飲めることになり、結局夜遅くまでハシゴ酒をして、帰り道には、人力車に乗った時間がますます夢のように感じられるのだった。
「人力車えびす屋 京都 嵐山總本店」詳細
文・写真=スズキナオ







