左遷された恨み!? 菅原道真を祀る「天満宮」「天神」
まずご紹介するのは菅原道真を祀る「天満宮」「天神社」です。福岡の「太宰府天満宮」は、初詣の人出でも毎年トップ10に入るほど有名な神社ですね。都内には「湯島天神」「成子坂天神」「亀戸天神社」などがあります。
菅原道真は平安時代の貴族で、幼い頃からその天才っぷりを遺憾なく発揮し、政治の世界では右大臣にまで上り詰めました。しかし、道真の活躍を妬んだ人物が「道真が今の天皇を潰そうとしている!」というデマを流したのです。結果、道真は現在の福岡県太宰府市に左遷されて、そこで亡くなってしまいました。
すると、都のあちこちに雷が度々落ちるようになり、ついには天皇が暮らす清涼殿にまで落雷し死者も出ます。これにより、当時の人々からは「道真の祟りだ!」と恐れられるようになり、その怨念を鎮めるために神様として祀るようになったのです。
現在、天満宮や天神社に「合格祈願」の御利益があるとされるのは、道真が幼少期から博学であったことに由来しています。
さらし首が空を飛んだ!? 平将門を祀る「神田明神」「鎧神社」
続いては、平将門を祀るいくつかの神社・史跡をご紹介します。有名どころでは「神田明神」がおなじみですね。
平将門は、関東一円に勢力を広げた平安時代の豪族。自身を「新皇」と称して京都の天皇(朝廷)を討とうとしていましたが、朝廷側との戦いに敗れ亡くなります。
死後、将門の首は京都でさらし首に。ところが、伝説によればいつまで経っても目をカッと見開き「私の胴体はどこだ!」と叫び続けたといいます。やがて、その首は舞い上がり、東の空に飛んでいったそう。
そして、首が落下した場所は現在の大手町。そこには「将門塚」が建てられて、パワースポットとしても知られ、今でも多くの参拝者が訪れています。
また、北新宿にある「鎧神社」も平将門にゆかりがあります。
将門を倒した一団のリーダーであった藤原秀郷は、戦利品として将門の鎧を持ち帰ろうとしていました。しかし、凱旋の途中で突然の重病に伏すことに。「これは将門の祟りだ!」ということで、鎧を埋めました。今、その場所に立っているのが「鎧神社」なのです。
不遇の生い立ちから祟り神に!? 崇徳天皇を祀る「金比羅宮」
最後は、崇徳天皇を祀る神社。京都の「白峯神宮」や、全国の「金刀比羅宮」に祀られており、東京では虎ノ門に分社があります。
崇徳天皇の生い立ちは、男女のこんがらがった愛憎に満ちています。極めてシンプルに言うと、母親が曽祖父との不倫の末にできた子だとする説があったようです。史実として、そうした記録があるわけではありませんが、少なくとも崇徳天皇の父親はそう受け止めていたとも言われます。
それにより、父親や(父親の実子だった)弟から酷い扱いを受け、罪人のような扱いで讃岐に流刑となります。崇徳天皇は、最終的に讃岐で自らの舌を噛み切り、その血で「天下滅亡」と書き残し亡くなったと伝えられています。
その後、崇徳天皇の没後の節目となる年には、大きな飢饉や悲惨な戦が起こるようになりました。祟りの長さは、三大怨霊の中でもズバ抜けていて、没後700年以上も続いたのだと語られることも。
そんな祟りは、明治時代にようやく崇徳天皇を祀る「白峯神宮」がつくられて鎮まったと言われています。「金刀比羅宮」が崇徳天皇を祀っているのは、讃岐に流罪となった際に崇徳天皇が同地に参籠したためです。
負のパワーを正のパワーに変える信仰の姿
非業の死を遂げ、その怨念による祟りで悪いことが起こっていると考えられる。そして、その怒りを鎮めるために神様にして拝む形態を「御霊信仰(ごりょうしんこう)」と言います。
実は、こういった様式は日本人がよく使う手法。例えば「祝う」と「呪う」はまったく逆の意味ですよね。しかし、語源はどちらも同じ「宣(の)る」だとも言われます。ネガティブなパワーを、ポジティブに変換して御利益をもたらすようにするっておもしろいですね。
「エネルギーの動き」として同じように捉えることで可能になった祀り方に、個人的には日本の信仰文化らしさを感じてしまいます。
神様の背景にあった物語を知ると、神社へのお参りがより一層、深い体験になるはずです。次のお休みは、そんなことを考えながら神社を詣でてみてはいかがでしょう。
写真・文=Mr.tsubaking







