進駐してきたアメリカ軍が残していった「味覚」
戦後まもない時期の街を俯瞰してみるとき、そこを行き来していたのは、戦前からの住人たちばかりではなかった。あらたに大挙してやってきた集団がいた——。進駐してきたアメリカ兵たちである。彼らは独特の「味覚」を残していった。その痕跡が、80年近くたった今も、街のところどころに残っている。
今回は、そのひとつを味わいに行こうと、日頃のガラの悪いガラシャツを脱ぎ捨て、ジャケットとこぎれいなシャツに着替えて向かったのは、瀟洒(しょうしゃ)な丸の内にたたずむ『東京會舘』。現在は、現代的なビル内にあるが、歴史をひもとけば、100年以上の歴史を誇る社交施設である。
大正11年(1922)、世界に誇れる社交場を目指し創業した『東京會舘』は目まぐるしく名前をかえた。初代の本館は、戦時中には大政翼賛会によって「大東亜会館」として使われたあと、終戦後すぐの1945年12月に進駐軍が接収。「アメリカン・クラブ・オブ・トーキョー」と名付けられ、将校のためのクラブとなったのだった。
最高司令官のおひざ元で事件は起きた
当時の丸の内は、進駐軍の根拠地といえた。目と鼻の先、歩いてすぐの日比谷濠の濠端に立つ第一生命館(現・第一生命日比谷ファースト)には、連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)があった。なかで執務していたのは——この時期では、この国の“王”とも言えたマッカーサー元帥である。この立地こそが、ひとつのカクテルを生んだと言っていいと思う。
「昼から将校たちが飲むために、『牛乳を飲んでいるんですよ』というふうにしたんですね」
『東京會舘メインバー』のチーフバーテンダー、間根山寛之さんは言う。
占領下の丸の内には、日の高いうちから飲むアメリカ人将校たちがいた。しかし勤務場所は、最高司令官のおひざ元。ある日、最悪の事態が起こる。
11時半に開店したバーに、なんと、突如としてマッカーサーが視察に来訪。昼酒を楽しむ部下たちをみて、元帥は激怒したと伝わる。以後、将校らの来店が激減してしまうと、打開策として、朝食のミルクだよ、と見えるように、ジンフィズに牛乳を注いでソフトドリンク風に偽装した飲み物が編み出された。これが「會舘風ジンフィズ」なのである。なんとしても一杯の酒を飲まんとする涙ぐましい努力。1949年4月のことという。
今に受け継がれている技術
開発者は、当時のバーテンダー、今井清。今井は、戦後のカクテルブームの立役者で、「ミスター・マティーニ」の異名をとり、それまで常温で置かれていたジンを冷却したのちにマティーニを作った最初の人物とも言われる。
さて、早速作っていただきましょう。
間根山さんは、全くメジャーカップを使わず、ボトルからシェーカーへお酒を直で注ぐ。正確な分量を体が覚えているようだ。『東京會舘メインバー』には“ハンドメジャー”と呼ばれる流儀が伝わり、バーテンダーはみな、身に着けるために修業をするという。そんな厳しい修業時代に身に着けた技術なのだろう。かつては、大勢の若手バーテンダーが會舘にはいたようだ。
「ええ。接収されていたころは40人くらいバーテンダーがいたそうです。製氷機が導入される前、かちわり氷を使うので、人手が必要だったんですね」
米軍は大量の酒類を運び入れ、参加者1000人を超す大パーティーを連夜行っていたという。
——後編では、レシピが失われず現在まで続いてきたジンフィズの味わいなどに迫る。
取材・文・撮影=フリート横田









