実は岐阜も熱い、喫茶店のモーニング
「モーニング」と聞いて真っ先に思い浮かぶ街はどこだろうか。おそらく、大半の人は名古屋と答えるだろう。現に筆者もそういうイメージだった。
念のためおさらいしておくと、名古屋市をはじめ愛知県は喫茶店文化が根強いことでよく知られている。特に特徴的なのが「モーニング」で、つまりは「モーニングサービス」の略。朝にコーヒーを注文すると軽食もついてくるという太っ腹なシステムだ。名古屋に行くなら喫茶店でモーニングを楽しもう、という観光案内の謳い文句も少なくない。
しかし、そんな名古屋に負けず劣らずモーニング文化を愛している地域がある。それが、すぐお隣の岐阜県。
「愛知県と岐阜県で、モーニング文化はどちらが根強いかを争っているイメージですね」と笑う、『きりん珈琲』店主の大原明日香さん。岐阜県多治見市の出身で、子供の頃から喫茶店に親しんできた。週末には、家族でモーニングを食べに行くのが日常だったとか。
モーニングの文化自体は愛知県も岐阜県も大きな違いはないようだが、「岐阜のモーニングは日常に溶け込んでいて自然な印象です」と大原さん。ある時、帰省の際に岐阜市に立ち寄って喫茶店でブレンドコーヒーを頼んだら、「パンはツナと卵のどっちにしますか」と聞かれてはっとしたことがあったのだとか。
「そうか、モーニングか!と思って。それが当たり前なので、メニューに一切書いていないんですよ。そのくらい自然なことなんだなって改めて感じました」
東京で出合った、おいしいコーヒー
そんな岐阜の喫茶店文化に恵まれて育った大原さんは、高校生の頃からすでに「自分のお店をやってみたい」という思いがあったという。高校卒業後に上京し、ショップデザインやカフェの専門学校に通った。岐阜県からだと進学・就職では名古屋や大阪に出る人が多いようだが、「全く知らない場所でチャレンジしてみたい」という思いもあって東京を選んだのだとか。
店を持つという夢は、当初は飲食店全般をイメージしていたというが、なかでも喫茶店を目指すようになった転機が東京で出合ったコーヒーだった。
「地元の喫茶店も好きでしたが、コーヒーにこだわっているお店は多くなかったのかもしれないと感じたんです。だからこそ、ちゃんとコーヒーもおいしい喫茶店をやりたいという思いに結びついたのだと思います」
上京して間もない頃に訪ねた喫茶店で印象的だというのは、自由が丘の『カフェ・アンセーニュ・ダングル』や当時恵比寿にオープンしたばかりだった『猿田彦珈琲』。また、横浜に本店があり当時自由が丘にも直営店があった自家焙煎コーヒー専門店『まめや』のコーヒーのおいしさは大きな出合いになり、その後務めることにもなる。
喫茶店文化のなかで育ち、上京してコーヒーを再発見した大原さんは、いよいよ2019年にこの『きりん珈琲』をオープン。喫茶店としての利用はもちろん豆の購入も可能で「完全オーダーメイド」での提供が売りだ。
「豆に対してローストのしかたを決めていなくて、好みに合わせて飲みやすく焼きますよ、というスタンスです。自由にコーヒーを楽しんでほしい」と大原さん。この豆はこう焼いてこう飲むというセオリー通りではなく、相談しながら焙煎具合も調整してもらえるから、飲んだことのない豆にも挑戦しやすいというわけだ。
お得な本物のモーニングを目指して
また、自家焙煎のコーヒーのほかにモーニングも売りにしているが、そのきっかけには上京して感じたカルチャーショックがあった。東京の喫茶店でおいしいコーヒーに出合えた一方、モーニングの値段の高さに衝撃を受けたのだ。「普通に1000円くらいするのでびっくりしたんです。それはモーニングじゃない!と思って」。
改めて補足しておくと、いわゆる“本場”のモーニングというのは、単なる朝食セットメニューではない。コーヒーを注文したらトーストや卵がついてくる、「めっちゃ豪華なオマケあり」というサービスなのだ。
「モーニングっていうフレーズだけでもすでにウキウキする感覚があって、ランチやディナーとは違うポジティブな響きがあります。モーニングの醍醐味は、そういう安くてお得な気分を味わって、今日も1日がんばるぞって思える時間なんですよ。だから、東京の人にも、そういうお得感を味わってほしいと思いました」
そんな大原さんがつくるモーニングはどんなものかとメニューに目を通してみてびっくり。厚焼たまごサンドセット750円を筆頭に、きんぴらチーズサンドセット680円、アボカドと塩こんぶの香ばし醤油サンドにあんこサンドなど甘味メニューもそろっている。本場と同じシステムだと誤解を招きかねないのでモーニングセットとして売り出しているが、値段のお得感はこだわりだ。
「オープン当初は500円だったんです。今はちょっと上げてしまったんですけど……」と悔しそうな表情の大原さん。いやいや、このご時世に750円は十分安いですよ!
さらにプレミアムモーニングなるシリーズもあり、こちらはサンドイッチ専門店かと見紛うばかりの風変わりなメニューが並ぶ。今回注文したのは、なかでも特におすすめだというきりん流のりバターサンド。メニュー表には「元祖の次においしい」という謙虚だけど自信も垣間見える言葉が添えてあり、海苔の佃煮とマスカルポーネチーズのマッチ具合は期待をはるかに超えてくるおいしさだ。
「神田にあった喫茶店『エース』の名物のりトーストをリスペクトしたメニューです。どのメニューもできたてを提供することと、この店でしか食べられないようなオリジナリティあるものを心がけていますね」
人があたたかい街によく似合う店
「日常のルーティンの一部のような場所になりたいと思っています。来てくださった方に、プラスな気持ちになってほしい」と話す大原さん。朝早く出勤する人に合わせて、朝7時に店をオープンする。
「東京の人はよく働きますよね。地元の喫茶店は9時や10時にオープンする店が多いんです。この店は最初8時オープンにしようとしたのですが、それだと出勤前の方の時間に間に合わないので」
『きりん珈琲』をオープンする場所に蒲田・梅屋敷エリアを選んだのは、「人があたたかい街」だという印象が強かったことが決め手だったという。
「東京ではいくつかのエリアのお店で働きましたが、このあたりの人のあたたかみは他と違うなと感じていました。メニューだけではなく、お店の人を目当てに来てくれるお客さんが多いんです。飲食店同士の助け合いも多くて、お互いに情報交換したり、コラボしたり、うちのミルが壊れてしまった時には近所のカフェの方が直しに来てくれたこともありました。そういう優しさの連鎖が本当に素敵で、この街がどんどん好きになります」
店内にはキリンの絵や置き物があちこちにあるのだが、大原さん自身で用意したものは1つもなく、すべてお客さんが持って来てくれたものなんだとか。『きりん珈琲』が、そして大原さんが、地域でどれだけ愛されているかがよくわかる。きっと、「モーニングのお得感を味わってほしい」と奮闘する大原さんの思いが、あたたかい人を引き寄せているのだろう。
ブレンドをお供にのりバターサンドを平らげ、ほくほくした気分で店を後にしながら、ふと合点がいった。モーニングという文化は、単なるお得メニューではない。お客さんを思う気持ちのかたまりなのだ。
取材・文・撮影=中村こより









