『ケララの風モーニング』沼尻 匡彦(ぬまじり・まさひこ)さん。約30年前、貿易の仕事で渡った南インドの料理に心奪われ、帰国後「ケララの風」を開業した。幾度かのスタイルチェンジを経て、現在は妻・恵美子さん(右)と二人で『ケララの風 モーニング』を営む。時おり炸裂するオヤジギャグも隠し味?

とんかつも豚汁もカレーです。

「まず前提として、世界中どこを見渡しても『カレー』という料理はないんです」 と、口火を切る沼尻さん。

そもそも「カレー」という言葉は、 18世紀にイギリスのC&B社がカレー粉を発明したときに生まれたと言われている。「辞典でカレーと引くと『カレー粉を使ったカレー味の料理』。カレー粉と引けば『カレーを作るときの調味料』と出てきます」。まるで鶏と卵のジレンマだ。しかし、それならばカレー粉さえ入っていればカレーと定義できるのではないだろうか。そんな疑問を投げかけると、「C&B社のカレー粉のレシピが残っ ていないことが問題なんです」と、返ってきた。

沼尻さんによると、現存のカレー粉やカレールーは、レシピが失われたC&B社の味に近付けるべく、各社の努力で作られたものだと言う。
「カレーを定義するための大枠であるカレー粉の原材料を、誰も知りません。それなのに、『カレーはこうであるべきだ』と論じるのっておかしいと思いませんか?」と、“沼尻論”はさらに熱を帯びていく。

定義がないままカレーは世界に広がった

仮に、現存のカレー粉を定義の根拠にすると、ウスターソースやケチャップなどと原材料がかぶる。スパイスを根拠にするなら、七味や山椒も当てはまる。

「そうなると、それらをかけたとんかつや豚汁なんかもカレーと呼べてしまうんです」。

他にも、煮る、炒める、焼くといった調理法。においや形状、色で定義しようものなら、当てはまる料理が多すぎる。徐々に“カレーは存在しない”という説に合点がいってきた。

「ここまで来ると、料理人と食べている人が、お互いにその料理をカレーと認識しているかどうかにかかってくるわけです。ところが、これがまた難しい。今からそれを証明しますね」。沼尻さんはキッチンへ 向かった。

ほぼ同じ食材と調理方法で、「カレーじゃないけどカレーと呼ばれる料理」と、「カレーなのにカレーじゃない料理」を作るのだと言う。一体なにが出来上がるのだろう?

カレーじゃないけどカレーと呼ばれる料理

水を張った鍋にカットしたニンジンとジャガイモ、タマネギを入れ火にかける。沸騰する直前にインゲンと鶏モモ肉を投入。2 ~ 3分茹でたら塩とココナッツミルクを入れ、グリーンピースをパラリ。余熱で具材に火を通せば完成。

南インドの煮込み料理・チキンステュー。味付けは塩とココナッツミルク。口当たりサラサラで辛味ゼロ。

カレーなのにカレーじゃない料理

パッケージのレシピに基づき、ニンジンとジャガイモ、タマネギ、鶏肉をサラダ油かバターでソテー。軽く火が通ったら水を加え、2 ~3分茹でる。火を止めルーと牛乳、インゲン、グリーンピースを投入。再び5分ほど火を入れて完成。

日本の食卓でおなじみのクリームシチュー。とろみが強く、チキンステューより濃い口でピリリ胡椒の辛味。

「カレー」は単に都合のいい言葉。

チキンステューのほか、南インドの郷土料理・オーランや、野菜を塩とココナッツオイル、青唐辛子とともに蒸した総菜・トーレンなどもお目見え。辛味が無く、カレーとは思えないが、現地の人々は、南インド地域外や海外の人に英語で「これはカレーだ」と説明するという。

「自分たちの作っているものがカレーだと思っていない現地の人々にとって、カレーとは、単に説明するときに都合のいい言葉なんです」。

なるほど、「カレーじゃないけどカレーと呼ばれる」のはそれゆえか。一方、クリームシチューは、食材や調理法がチキンステューとほぼ同じだ。しかし、ステューはスパイスが入らないのに対し、シチューはしっかりと香り、カレーと呼べなくもない。

「でも、これをカレーだと思っ て作る人も、食べる人もいない。だからカレーではないんです」。

定義がないなら新たに作ってしまえ!

「結局、それぞれの地域や国で呼称される料理名があり、日本の 『カレー』 に相当する料理はないんです」と、沼尻さん。

「花椒や唐辛子などのスパイスを使った麻婆豆腐を、 『豆腐カレー』とは呼ばないでしょう?」。

食材や調理法、地域のどれでも、カレーを定義できない理由の総括だ。また、「独自の定義を決め、『これが日本カレーだ!』 と、世界に向けて発信すべきだと思うんです」 とも。

自分が今まで食べていたものは、本当にカレーだったのか? 常識を疑ってこそ広がる世界がある。

これら全部、カレーっちゃカレー。

キャベツのトーレン。
ターメリック入りのクリームシチュー。
クリームシチュー。
湯取りしたごはん。
ニンジンのトーレン。
アチャール。
チキンステュー。
冬瓜と小豆のココナッツミルク煮・オーラン。
チャイ。

『ケララの風 モーニング』店舗詳細

取材・文=高橋健太 撮影=オカダタカオ
『散歩の達人』2020年9月号より