秩父札所25番の久昌寺(きゅうしょうじ。埼玉県秩父市久那〈くな〉2315)の閻魔大王御手判(おてはん=閻魔の手形)を初めて見たとき、その謎すぎる形に強く惹(ひ)かれた。呪術的だが愛らしく美しく、角大師(つのだいし)の護符を思い起こさせるインパクト。だから、元三(がんざん)大師良源が疫病神を退散させた際、角大師に変身したように、閻魔大王が特別なことをしたときにこの姿になったとか、閻魔大王の第何形態とか、いろいろ考えた。だが、角大師の絵のような具象ではなく、あまりに抽象的すぎる。

秩父の久昌寺で授与している閻魔大王の御手判。その後ろに地獄花(彼岸花)が咲く。
秩父の久昌寺で授与している閻魔大王の御手判。その後ろに地獄花(彼岸花)が咲く。

あるいは、梵字を思い切りアレンジしたものだろうか。梵字一文字で神仏を表すことはよくあって、これは閻魔大王(閻魔天)の梵字に少し似てなくもない(が、似てなくなくもない)。それに、金剛界大日如来を表すバンという梵字や青面(しょうめん)金剛を表す梵字の頭の部分に、一つ目笑顔が似ている。一つ目笑顔は宝珠の図案にも見え、牛王(ごおう)宝印の宝珠に少し似ている。

無人駅の秩父鉄道浦山口駅から、のどかな里を歩いて25分ほど。「御手判寺」と書かれた扁額を仰いで久昌寺仁王門をくぐり、奪衣婆(だつえば)のいる小堂や閻魔大王のいる観音堂を経て、本堂の脇にある納経所で求めれば、この御手判を500円で授かることができる。似たような絵柄のものは、閻魔宝印などと呼ばれて京都の六道珍皇(ちんのう)寺や川口の長徳寺など、他の地域にもなくはないが、いつお参りしても入手できるお寺は久昌寺しか知らないし、ここのが一番、デザインが完成していると思う。

閻魔大王の手は超異形。奪衣婆じゃない奪衣婆

平安中期、書写山圓教寺を開いた性空(しょうくう)上人が閻魔大王から授かった石の御手判(手形)が久昌寺に納められ、その御手判を刷ったのがこれだという。昔はこの世とあの世は結構繋(つな)がっていた。日常の傍にあの世が広がっていた。だから、夜な夜な閻魔庁に通った小野篁(たかむら)をはじめ、ちょっとあの世へ行ってくる話が結構あった。今はあの世がすっかり遠くなってしまい、日常に他界を感じにくくなった。

御手判についてお寺に尋ねたら、畳んで身に着けるもよし、仏壇に置くもよし、棺に入れればその人は裁判なしで極楽へ行けると教えてくれた。そしてなんと、御手判の絵柄は文字どおり閻魔大王の手の判、手の形だと聞いているという。

手の形にはまったく見えないし、こんな手をした閻魔像を見たことはないが、そういわれるとぐるぐるは指紋っぽいし、そういわれてきたのなら、それもひとつの真実ではある。

だが、これが閻魔大王の手だとしても、一つ目に見える部分とかぐるぐるとか、各パーツがなにを表しているのかは謎のままだ。左下にある鳥のような複雑なラインも謎だ。いろいろ調べたがなにひとつわからない。以前、この御手判を展示していた『埼玉県立歴史と民俗の博物館』にも尋ねたがわからなかった。あまりにわからなくて、ますます惹かれる。とりあえず御手判をデスクに飾ってみたら、見ているだけで元気が出る。御手判を見ながら仕事すると、なんか力が湧く。これはいい!

このお寺にはもうひとつ謎がある。観音堂の手前に「地蔵尊」の扁額が掛かる小堂があるが、なぜかそこに地蔵でなく奪衣婆がいる。お寺に聞いたら、それは奪衣婆ではなく伝説の鬼女だという。欲深い女が久那の岩窟に住み着いて悪行を重ねたが、その鬼女の娘はメッチャいい子で、母が亡くなったあと、この地に観音像を安置して母の菩提を弔ったと伝わる。

秩父には奪衣婆をおびんずるさまとして安置しているお寺も複数あるし、奪衣婆が奪衣婆じゃなくても問題ない。だが、なぜ「地蔵尊」なのかは謎のままだ。あの世の周りには多様な真実と多様な謎があって、死んでも飽きることがないのだった。

文・写真=中野 純
『散歩の達人』2025年12月号より

この世の散歩だけで満足してはいけない。あの世はとんでもなく広い。見たこともない絶景が広がり、いつも大勢の人でにぎわっている。あの世はこの世よりずっと歩きでがある。
地獄で最強無敵なのはだれだろう。閻魔(えんま)大王? 江口夏実『鬼灯(ほおずき)の冷徹』の鬼灯さま? どっちも正解っぽいが違う。最強なのは断然、クシティ・ガルバ、即ち地蔵菩薩だ。
我らが身代わりヒーロー、地蔵菩薩ことクシティ・ガルバは戦わない。地獄の鬼などの悪者を倒したりせずに、ただひたすら苦しみを引き受け、生きとし生けるもの、死にとし死ぬるものを分け隔てなく救う。だが、その名を一躍有名にしたのは、賽(さい)の河原での大活躍だった。