荘厳な出雲大社に圧倒され、稲佐の浜で神々を思い、そこから松江まで特急「やくも」の穏やかな湖畔旅。

昼食で寄った『魚料理 かねやす』の刺身定食がうまかった。

松江城内にいた老人は、まるでムツゴロウさんが動物をあやすように城内のいたるところをさすっていた。「じゃあ帰るよ! ありがとうな松江城!」といって城から去っていった姿が幻のようだ。

島根鳥取は、とにかく“心から美しい”と思わせる場所ばかりだった。

神秘的な夜の宍道湖、鳥取境港の霧がかった境水道。

皆生(かいけ)温泉の湾曲した白浜では、何もせずボーっと1時間も海を眺め、近くの『レストラン たつ美』で食べたハンバーグがこれまたうまかった。

基本的に城跡には行かないのだが、米子城跡は360度、どこを見てもそれぞれの美しさがあって年甲斐もなく感動した。なんとか、親善大使になれないものか。

他にも、もっと絶賛する場所があったが、それはまた別の機会に──松江空港に向かうべく、最後に松江市内で締めの酒場をすることにした。

「走ったら、いけんよ」

「あぶないけん」

松江駅のエスカレーターで流れるアナウンス。これも滞在中にずっと思っていたのだが、島根鳥取共に、コレ! といった方言をあまり感じなかった。訛ってはいるが、関西弁、広島弁、博多弁、あと少し東北訛も入っている不思議な印象だ。

関東が主流の交通系ICカードのSuica、PASMOがガンガン使えるところを見ると、いろいろな地域の文化を受け入れやすい性格なのかもしれない。

旅の最後の酒場は何も考えず、なんとなく入ることに決めている。そんな、なんとなく見つけた酒場がこちら。

その名も『里坊』は……うわっ、これは見つけづらいぞ! ビジネスホテル1階に酒場があるのも珍しいが、さらに出入り口が裏口の駐車場の奥にあるという。

よーく見ると看板が唯一の手掛かりで、4回通り過ぎてから「あれ? いま看板があった気がする」と戻ってみて、はじめてその存在に気付いた。

これは“酒場に呼ばれた”と言ってもいい。店先もだいぶ狭く、暖簾(のれん)や提灯がなければやはり見つけづらい。

「いらっしゃいませ!」

わはっ、店内はしっかり酒場している! 入って右側に10人ほどの小上がりスペースがあり、左側に厨房カウンターと小さな小上がりがあり、見た目より意外と広い。内屋根まであって、これは看板にもあったようにしっかり炉端焼き酒場だ。

雰囲気100点、もはや祝杯をあげなければならない。

木目が美しいカウンターに、よく冷えた瓶ビールと小グラスが映える。これが旅の酒の最後かと思うと少々涙が出そうになるが……。

ごくんっ……ぐすんっ……ごくんっ……、くっくっくっくっうんまああああい! ああ、おいしい、ああ、いい終わりだ。涙味も混ざった麦汁は格別だ。さて、格別な料理もいただきましょう。

まずやってきた「山芋の天プラ」で度肝を抜かれた。うまいとかまずいとか、そんな尺度では測れない。口に入れた瞬間、サクッとした衣のあとに、ふわりとした粘りが広がる。山芋自体が、味ではなく存在感で勝負してくるような、その存在感があまりにうますぎる。

寄り添うような海苔の風味が相まって、もはや料理というより、自然のいたずらと言うべきか。「こんな食べ方をさせてくれてありがとう」と、山芋に感謝したくなる。

続いてやってきた「ヒラマサ刺身」は、圧倒的に脂が醤油を弾けさせるので“魚の意思”すら感じた。

「俺はまだ海にいる」と言わんばかりに、醤油を拒むその艶。箸先でそっと持ち上げると、身の張りが指先に伝わり、口に運べば脂は舌の上で静かにほどけ、潮の残像として消える。抜群に、うまいなあ。

「ごちそうさま」

「はーい、だんだん!」

周りの客とマスターの会話を心地よく聴いていると、ついに分からない方言に遭遇。マスターが客が際にに放った“だんだん”とは一体どういう意味なのだろう。最近流行りのアニメのタイトル……にも似ている。

まあ素敵、「カレイ塩焼」がやってきた。カレイ塩焼は子供の頃によく夕食の食卓に並んでいて、食べずとも懐かしくなる。

香ばしい皮、ほろりと崩れる白身、そして塩の加減。子供の頃はこれを熱々の炊き立てご飯にのせて食べるのが本当にうまかったが、今はこれを酒で流し込むのが至高。そのままでもイケるが、付け合わせの甘塩っぱいネギタレを付けると、もう笑っちゃうくらい至高だ。

“出汁の王様”アゴ出汁は知っているが「あごふらい」ははじめてだ。衣の中から現れたのは、意外なほどしっかりとした身。

噛むほどに旨味がにじみ出るので、ソースなんか必要ない。ふわっとした衣の食感と共に、アゴの旨味をカタマリをそのまま飲み込んでいるようだ。

うまい……ここにあるものすべてが、うまい。島根鳥取は景色と共に、料理も最高だったことを付け加えておこう。

「どこから来なさったん?」

「東京です」

女将さんはもともと北関東の人で、マスターの地元であるここへ引っ越してきたという。

「松江ははじめて? どうでしたか?」

「宍道湖、本当にきれいでビックリしましたよ」

「それはよかった。アタシもね、湖のきれいさにだまされて嫁いできたのよ」

私もあと一週間くらい松江に滞在して、毎日宍道湖を眺めてなんかしたら、きっと「住んでみようかな」と思っただろう。ええ、縁結びの出雲大社にも行ったもんで、嫁さんだってすぐにできるに違いない。

「ごちそうさまでした。また、来ます」

「はーい、だんだん!」

帰る間際、例の如く“だんだん”という言葉をマスターからもらった。ちょうどカウンター上に“方言暖簾”が視界に入り、“だんだん”を見つけることができた。

その意味は、

“ありがとう”

マスターと女将さん、そして島根と鳥取、

こちらこそ、だんだん。

里坊(さとぼう)

住所:島根県松江市大正町455
TEL:0852-27-7570
※文章や写真は著者が取材をした当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。

取材・文・撮影=味論(酒場ナビ)