東京大空襲を逃れた九段南にある、時が止まったような木造住宅
東京の街を歩いていると、戦後すぐに建てられたか、あるいは戦前からのものと思われる古い建物に出くわすことがある。しかし、いつの間にか建て替えられていたとことに気づくこともよくあることだ。『酒とてらだや』がある周辺も「九段南一丁目地区第一種市街地再開発事業」として2028年10月に高層ビルの着工が予定されている。
『酒とてらだや』は、地下鉄九段下駅6番出口を背にしてすぐ右に折れた、道幅3mほどの路地に面している。この建物は、この道を通る人たちにとって、長く気になる存在だったらしい。北の丸公園や千代田区役所に近いこのエリアは、東京大空襲の難を逃れた。周囲は新旧の建物があるが、この建物だけがひときわ古く、時代に流されてしまわないように踏ん張っているかのようだった。
若い飲食店経営者が建物と残されていた家具類を存分に生かして居酒屋に
『酒とてらだや』オーナーの中村仁(なかむらじん)さんは28歳。学生時代から九段下に通っていて、散歩の途中にこの建物の前を通って気になっていた。本人曰く「おじいちゃんおばあちゃん子だったので、古い建物が好きなんですよ」。
社会人として飲食店に携わるようになってからも九段下に縁があり、九段北の居酒屋『ちゃらりちゃらり 九段店』の経営を前オーナーから引き継いで独立した。そして「不動産サイトを見ていたら、14ページ目のいちばん最後にこの建物の不動産情報があって、すぐに電話をしました」というのが2025年の初夏。
建物の持ち主は、この場を生かした事業を期間限定でもしたいという人を探していた。その希望と中村さんの熱意が合致したというわけだ。なお、建物が最初に登記されたのは昭和3年(1928)。それ以前の記録こそないが、最初に建築されたのはもっと前ではないかといわれている。つまりこの建物はおよそ100年、激動の時代をくぐり抜けてきたことになる。
中村さんは10月のオープンに向けて急ピッチで建物内部の掃除やガラスの修理を開始。約100年分のホコリとチリにまみれながらも、畳を剥がし、年季の入った砂壁がボロボロとこぼれ落ちないようになど、作業を慎重に進めた。
近所の人から「お茶や三味線の教室だったことがある」と聞かされた通り、茶道教室の看板や壊れた三味線も出てきた。レトロな装飾ガラスや、取り残されていたタンス類、絵に掛け軸、行李なども最大限生かした内装でオープンの日を迎えた。
看板メニューはどれもボリュームのある牛鍋、鴨すき、刺盛
『酒とてらだや』という店名は中村さんが坂本龍馬のファンで、寺田屋事件の舞台に因む。看板メニューは鴨鍋と牛すきだが、「龍馬はシャモ鍋が好物でしたが、シャモは手に入りづらいので鴨にしました」と話す。
鴨すきの材料は、1人前でも鮮やかで大きな和食器に、野菜や豆腐などと一緒に青森県産の津軽かもが彩り豊かに盛り付けられる。割下の味は、しっかりとした甘辛味。最後にはうどんかごはんを入れた締めが用意されている。
自慢の刺盛は、信頼している卸の鮮魚店から仕入れた魚に中村さん自身が包丁を入れている。1人前だというのに、ボリュームたっぷり8種類と豪華。1人前の刺盛だけで、お酒も進んでおなかが満たされそうだ。
他のおつまみは、エイヒレ、さつま揚げ、梅水晶に酒盗、かにみそなど渋めのラインアップ。飲み物は、ハイボールやサワーのほか、日本酒が豊富で、1合瓶や150mlから300mlなど小ぶりサイズが20種類近く用意されている。
「もう1店舗の『ちゃらりちゃらり 九段店』が和洋折衷の創作メニューを出しているので、こちらはシンプルに、刺し身や鍋を食べて、ゆっくりしてもらいたいと考えています」とのこと。
1階は炉端居酒屋に似たコの字型のカウンター席。2階は、座敷にテーブルを置いた部屋と、座卓席、そして温泉旅館の広縁を思い出す窓辺にも席が設けられている。
「この古い建物の内部は僕自身も見たかったので、興味のある方にもゆっくり見ていただきたいと思っています」と中村さんは話す。再開発が進むまでの約1年間限定だが、止まっていた時間が動き出したような『酒とてらだや』。古い日本建築に興味がある人や街の歴史を目にしたい人は、ぜひ訪れてみてほしい。オープンから間もないが、すでにリピーターが続出しているので、事前の予約がおすすめだ。
取材・撮影・文=野崎さおり





