難読地名の多さは歴史の豊かさゆえだった!
万葉集でも真間の地名が歌われ、下貝塚という地名が示すように、原始時代には貝塚もあった。そして現在の国府台には古くから国府(国の役所)も置かれていた市川市。珍しい地名が多いのは歴史の古さゆえのことだ。
調べていくと、真間や北方がガケを意味する言葉だとわかったりと、地形との関係が理解できるのも地名の楽しさ。なお「ぼっけ」は、国の天然記念物である四国の渓谷・大歩危(おおぼけ)や、国分寺崖線の「はけ」と同じ語源とされている。塩焼などの「塩」のつく地名は、行徳地域の塩田に由来するもの。現在の市川市~浦安市の一帯に広がり、関東一円に塩を供給していた地域の一大産業は消滅したが、塩焼はその歴史を後世に残すために昭和50年代に誕生したものだった。
小さな地域の地名だった市川が市名になり、より広い地域を指していた行徳は本行徳、南行徳に分散……という地名の栄枯盛衰も興味深い。
真間(まま)と欠真間(かけまま)
万葉集でも歌われた景勝地
「葛飾の真間の入江にうちなびく玉藻刈りけむ手児名し思ほゆ」などの歌で万葉集にも登場。真間は崩れた崖のある地域によく見られる地名。欠真間の由来には「真間の欠けた(崩れた)土砂でできた土地」などの伝承あり。
北方(きたかた)と北方町(ぼっけまち)
「はけ」「歩危」と同じく崖の意?
難読のため「きたかた」に読みを変更された町名も元の読みは「ぼっけ」。室町時代の文書にもその読みの記録あり。名伝説は複数あるが、「ぼっけ」は「歩危」の漢字を当てる地方もあり、崖上の地形に由来との説が有力。
鬼越(おにごえ)と鬼高(おにたか)
「鬼がいた」という伝説も
鬼越は「この地に鬼が出没し鬼子居と呼ばれていたため」「鬼国の人がこの地域を越えたから」「当地にある神明社を『鬼にげ』と呼んでいたから」など複数の伝説があるが真偽は不明。鬼高は鬼越と高石神を合成した地名。
塩焼(しおやき)と本塩(ほんしお)
塩田由来も誕生は最近
塩焼は江戸時代に東日本を代表する塩田だった「行徳塩田」に由来。製塩業は歴史の幕を閉じ、今や地名に残るのみだが、塩焼、本塩の地名誕生は昭和50年代と意外と最近のこと。なお本塩は本行徳と塩焼を合成した地名。
奉免町(ほうめまち)
「年貢を免じ奉る」の意
「後深草天皇の皇女・常磐井姫が難病にかかって当地を訪れた際、百姓が手厚くもてなし、後に年貢公役を免除された」という鎌倉時代の伝説に由来。町内の安楽寺は、日蓮聖人の説法を聞いた常磐井姫が創建した伝説も。
本行徳(ほんぎょうとく)と妙典(みょうでん)
駅で有名な地名は仏教由来
「徳を行う」「すぐれた経典」と読める仏教色の強い両地名。今も寺町通りのある本行徳は江戸時代から「戸数千軒寺百軒」と呼ばれる寺の多い街だった。妙典の地名は室町時代の妙好寺(現・妙典1丁目)建立以降に誕生。
新浜(にいはま)なども塩田開発で海岸線が前進してできた土地で、現在は内陸地富浜(とみはま)も、江戸時代は海岸線の町だった。隣の浦安市も埋め立ての歴史を感じる地名や猫実(ねこざね)などの珍地名があるので、市川と一緒に地名さんぽをぜひ。
文=古澤誠一郎 写真・構成=さんたつ編集部
参考文献 『市川のまち 地名の由来』(市川市)、『市川市の町名』(市川市教育委員会)、『行徳・浦安 わがまち発見①』(やまひこ社編/リブロポート)、『地名教室 東葛飾を歩く』(谷川彰英著/ニューファミリー新聞社)
『散歩の達人』2019年8月号より