「広島県の呉から出てきた祖父が、臨海部のほうで会社勤めをしてから開店したそうです」と、3代目店主の山田章雄さん。
創業地は堀之内にあった夜店通り。米屋さんやパン屋さん、寿司屋さんにカフェーなどが軒を連ねる中、新刊と古書の2軒を出していたという。だが、昭和に入り第二次世界大戦の空襲に遭う。
「川崎は工場の街でしたから一面焼け野原になりました。親父が復員した時は川崎駅から海が見えたそうです」
公設市場(現『パレール』の場所)で再開し、現在地に移ったのは1954年。当時この平和通り商店街は、あらゆる店が揃った川崎一のにぎわい。端にある市役所まで30分かかるほどの人出だったとか。
「工場勤めの人たちが街にお金を落としてくれたんです。競輪で勝った人もそこら中で飲んでたし、競馬でオケラになった人が歩いて帰る道は“オケラ街道”と呼ばれたりして。公害がひどくて、桜本のほうじゃ洗濯物を干すと赤くなると言われたほど煙はもうもうとしてたけど、産業の中心で活気があった。うちではフランス書院の文庫や18禁のコミックなどの“柔らかいやつ(アダルト系)”を今より扱っていて、入港した船の船員さんが『船内で読むんだ』っていっぱい買い込んでいく姿をよく見ました」
だが、そんな時代も今は昔。区内に10軒以上あったという街の新刊書店は2軒に。仲間の廃業に伴い増えたのは外商だ。配達客を引き継ぎ、産業道路(県道6号)方面までを範囲に一人自転車で回るという。
「おかげさまで坂がないから電動じゃなくても大丈夫(笑)。お得意先はだんだん減ってはいますが現在50軒ほど。美容室をメインに、歯医者さんや企業やサウナ、ソープなどに雑誌を定期的に届けてます」
2025年4月で105年。本を求める声がある限り、10坪の店はこれからも街に文化の戸を開く。
取材・文=下里康子 撮影=オカダタカオ
『散歩の達人』2025年4月号より