日本海の恵みが打ち寄せる、青森の浜町

深浦町の港(写真提供=有馬さん)。
深浦町の港(写真提供=有馬さん)。

「魚がおいしいことがあたりまえすぎて、子供の頃はあまりありがたみを感じていなかったかもしれません」

そう話すのは、自由が丘に店を構える『浜まち』の店主・有馬竜司さん。青森県の西端で山と海に挟まれた深浦町(ふかうらまち)の深浦浜町がふるさとだ。

日本海に面し、白神山地の麓に位置する深浦町。旅行好きの方には、JR五能線が走っていて『黄金崎不老ふ死温泉』があるところと言えばわかりやすいかもしれない。地図や航空写真を見ただけでも、海のすぐそばまで森が生い茂り、岩場の多い海岸は荒々しくも美しいことが見てとれる。夕陽海岸と名のついた海岸線があるほど夕焼けがきれいな場所としても知られている一方で、海が荒れることも多いという。

深浦町の海(写真提供=有馬さん)。
深浦町の海(写真提供=有馬さん)。

「太平洋に比べて日本海は海水温が低いので、青森県のなかでも体感温度が低い感じがしますね。でも、だからこそ脂の乗ったおいしい魚がとれるんです」と有馬さん。自然の厳しさと恵みは、いつだって表裏一体だ。

有馬さんは漁師の家に生まれ、実家のすぐ裏が海という環境で育った。鮮度抜群の魚が日常的にあるという暮らしだ。内陸で育った者からするとよだれが出るほどうらやましいが、物心ついた頃からその環境なのだから、ありがたみを感じないのも当然といえば当然だろう。

『浜まち』の店内。自由が丘駅から徒歩5分ほど、ビルの2階にある。
『浜まち』の店内。自由が丘駅から徒歩5分ほど、ビルの2階にある。

実家から送られてきたメバルが転機に

明確にやりたい仕事が見つかっていたわけではなかったが、なにかチャレンジしたいという熱意を持っていたという有馬さん。18歳で上京して派遣で働き、転職を考えていた20歳の時、つなぎで始めた飲食店でのアルバイトがきっかけで料理を覚える。そこから飲食業の世界へ飛び込むことになったというのだから、人生どこに分岐点があるかわからないものだ。

「厳しい世界だけど頑張ったら頑張った分だけ評価されるし、お客さんからもダイレクトに『おいしかった』『ありがとう』と言ってもらえることがやりがいにつながりました」

地元にいた頃は“あたりまえ”だった深浦の魚のおいしさに気づいたのは、そうして料理の勉強を始めた頃のこと。実家から送ってもらったメバルを食べて、そのおいしさに感動したのだという。「これはすごい!と思いました」。

有馬さん。手にしているのは深浦町の地酒と釣りメバル。
有馬さん。手にしているのは深浦町の地酒と釣りメバル。

北海道出身の筆者も、上京してから久しぶりに帰省した際、何気なく口にした水道水のおいしさに思わず歓声を上げてしまったことがある。一度離れたりなくしたりして初めて、かつて日常的に享受していた恵みのすばらしさに気がつく……誰もが大なり小なり経験したことがあるのではないかと思うが、有馬さんの場合は料理人として歩みはじめていたからこそ気づいたこともあったのだろう。そして、その感動を仕事の熱意に変え、独立開業を目指すことになる。

「そのメバルがきっかけで、いつか自分のお店をやる時には、地元の魚を東京の人に食べてもらいたいと考えるようになりました。深浦の食材を使うことをコンセプトにするなら、自分の店を持たないと、って」

焼き鳥から始まり、割烹や和食メインの居酒屋など10年にわたる修業を経て、2021年11月に念願の店をオープン。勤め先があり土地柄を知っていた自由が丘を選んだ。

素材の味を際立たせる、引き算の料理

土鍋ご飯1合1280円〜(内容により異なる)。この日はサクラダイとタケノコがたっぷりで、春爛漫の一品だった。
土鍋ご飯1合1280円〜(内容により異なる)。この日はサクラダイとタケノコがたっぷりで、春爛漫の一品だった。

『浜まち』のメニューは、青森の郷土料理というよりは素材そのものを味わってもらえるような料理がメイン。山の幸にも海の幸にも恵まれている深浦町の食材を生かし、素材のおいしさを際立たせる調理方法を心がけているという。

「田舎の寒い地方は特にこってりした味つけや生姜のパンチが効いているものも多いのですが、シンプルで素材のよさを生かす味付けの方が、自由が丘の人の好みにも合うのではないかと思っています」と有馬さん。

自慢のメニューは、なんといっても刺し身。この日ランチメニューの刺し身定食でいただいたのは、ブリとアジのいいとこどりのような旨味のあるヒラマサに、ほどよい歯応えのヒラメ、そして有馬さんの転機になったメバル。どれも文句なしの鮮度で、醤油はもちろんのことお塩でいただいてもおいしい。

お刺身定食1480円。奥からヒラマサ、ヒラメ、釣りメバル。小鉢も青森の食材を使ったものだ。
お刺身定食1480円。奥からヒラマサ、ヒラメ、釣りメバル。小鉢も青森の食材を使ったものだ。

「日本一だと思います」と有馬さんが胸を張るメバルは、焼き魚も至高。ふんわりと身がほぐれるやわらかさで、淡白なようで脂も乗っていて、控えめの塩気で甘みが際立って感じられる。

これらの魚は、深浦町の漁師から直送されるもの。旬や仕入れ状況によって毎日のようにラインアップが変わり、年に1回しか出ないものもあるという。ここに来れば、深浦町の四季折々の味を新鮮なまま楽しめるというわけだ。

焼き魚1480円〜(サイズにより異なる)。
焼き魚1480円〜(サイズにより異なる)。

また、有馬さんが料理と同じくらい大切にしているのが接客だ。「杜撰(ずさん)な接客では、せっかくのおいしさも半減してしまう。料理だけがおいしくてもだめで、接客をきちんとできてこそひとつのお店だと思っています」。

深浦漁港の人が、いいものを送ってくれる

店内にはカウンター席も。
店内にはカウンター席も。

青森の漁師の家から上京したら、海鮮の味にはさぞかしカルチャーショックを受けたのではないかと思ったが、案外そうでもなかったよう。「一番驚いたのは、東京のコンビニでおにぎりを買ったときです。レジで『おにぎりあたためますか』と聞いてもらえなかったことが衝撃で」と笑う。

ご存じの方も多いかもしれないが、北海道や北東北など一部地域ではコンビニでお弁当だけでなく、おにぎりも温めてもらえることが多いというローカルな風習があるのだ。もちろん東京のコンビニ店員さんが意地悪なわけではないのだが、とはいえ田舎ならではの温かさや結びつきの強さがあるのも事実だ。

深浦町や青森の地酒もある。
深浦町や青森の地酒もある。

「深浦は情に熱い人が多くて、僕がこうして東京で頑張っているって知ると、いいものを優先して送ってくれたりするんですよ。いつかは地元でも店を出して、東京と二拠点でやってみたい。そうすることで、できることの幅も広がるんじゃないかと思っています」と、地元への還元も考えて先を見据えている。

地元を離れたからこそわかる魅力があり、東京にいるからこそ地元の役に立てることもある。ふるさととの関わり方は人それぞれだが、有馬さんは料理人として深浦町と自由が丘をしかとつないでいるのだ。

「飲食店では料理の腕だけではなく個性を出すことも必要ですが、僕の場合は深浦という強みがあったからこそできたことも多い。地元のサポートあっての店だと思います。深浦の人たちのおかげです」

取材・文・撮影=中村こより