4世代に渡って進化を続けてきた老舗酒場

『山利喜』で初めて飲んだ日のことはよく覚えている。数年前の僕の誕生日、妻にどこで食事がしたいかと聞かれ、ずっと憧れていた『山利喜』と、迷わず答えた。そして、わざわざ半休をとり、開店に合わせてこの人気店を訪れたのだった。その時の店内のピシッとした空気。窓から注ぎこむ明るい日差し。こんな世界もあるんだ! と教えてくれた、深い深い煮込みの味わいはあまりにも印象深く、以来、たまにこの店で飲むようになってからも、来るたびに初心を思い出させてもらっている。そういう意味で『山利喜』は、現在は会社を辞めて酒場ライターとなった僕にとって、とても大切な店なのだ。

清澄通りと新大橋通りが交わる「森下交差点」からすぐの場所に、立派な本店ビルがある。
清澄通りと新大橋通りが交わる「森下交差点」からすぐの場所に、立派な本店ビルがある。
『山利喜』といえば! の豚のイラストは、2代目、山田要一さんのデザインだそう。
『山利喜』といえば! の豚のイラストは、2代目、山田要一さんのデザインだそう。
酒飲みとしての初心に帰れるカウンター。
酒飲みとしての初心に帰れるカウンター。
入り口から階段をのぼりたどりつくこの2階席が、『山利喜』のメインフロア。
入り口から階段をのぼりたどりつくこの2階席が、『山利喜』のメインフロア。
店内のあちこちに、歴史を感じる骨董品や看板が飾られている。
店内のあちこちに、歴史を感じる骨董品や看板が飾られている。

店の歴史は大変古く、創業は、関東大震災の復興間もない大正14年(1925)。印象的な店名は、初代、山田利喜造さんの名前を縮めたものだ。当時、店は大繁盛したそうだが、昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲で消失。大変残念なことに、その時、ご主人も命を落としてしまわれたのだそう。

その後、戦火から生き延びた利喜造さんの長男、山田要一さんがバラックから店を再開。その際、料理人ではなかった要一さんがなんとか作って客に出していたのが、煮込みとやきとんで、それが現在まで続く店の看板メニューとなった。

ただし、当時の味をただ今に残しているだけかというとそうではないのが、『山利喜』のおもしろいところ。実は3代目、山田廣久さんは「服部栄養専門学校」出身で、一度はフレンチの道に進んだ方。やがて、2代目の体調不良をきっかけに店を継ぐことを決意したのだそうだけど、既存の酒場料理に加え、フレンチの要素を盛り込んだメニューを次々開発。さらに、長年継ぎ足し続けられてきた煮込みにも、赤ワインやブーケガルニなど、フレンチ風のアクセントを加える。すると店はさらに人気となり、2002年には『山利喜新館』がオープン。2008年には本館を改築し、地上5階、地下1階の新『山利喜本館』が完成。そして代々の想いが詰まった店は、4代目の山田研一さんへ受け継がれたというわけだ。

すぐ近くにある、赤いふちどり窓がかわいい新館。常連たちは本館を新規客にゆずり、こちらに集まるとのこと。
すぐ近くにある、赤いふちどり窓がかわいい新館。常連たちは本館を新規客にゆずり、こちらに集まるとのこと。

やきとんに特製「唐辛子のウォッカ漬け」を

お通しはさっぱりとした切り干し大根の酢漬け。初めて来た時もこれを食べたな……。
お通しはさっぱりとした切り干し大根の酢漬け。初めて来た時もこれを食べたな……。

大変な老舗だけど、古い考えにとらわれず進化を続けてきた店だけあって、敷居はまったく高くない。どんな客に対しても開かれている。それは例えば、やきとんのメニューひとつ見てみてもわかる。

部位ひとつひとつを、こんなにも詳しく説明してくれている。
部位ひとつひとつを、こんなにも詳しく説明してくれている。

大衆酒場に対するハードルのひとつに、「注文のしかたがわからない」というのがあると思う。「ホッピーという名は聞いたことがあるけど、どうやって注文してどうやって飲むの?」だったり、「やきとんの部位の名前だけを聞いても、それがどんなものかわからない」だったり。ところがこの親切なメニューを見るだけで、ここではそんな心配が杞憂であることがわかる。気づけば、「あれも食べてみたいしこれも食べてみたい。塩とタレはどっちでいこう?」と、幸せな悩みに浸っていることだろう。

というわけで、まずはやきとんをいくつか注文しておいて、生ビールで喉を潤す。

梅雨の晴れ間の生ビール。言葉が出ない!
梅雨の晴れ間の生ビール。言葉が出ない!
「軟骨たたき」1人前2串300円。
「軟骨たたき」1人前2串300円。

肉は全て芝浦の食肉市場から直送される。あればぜひ食べておきたい本数限定の軟骨たたきは、コリコリとした食感と、凝縮された肉の旨味にうっとりする一品。甘めのタレとカラシの相性も抜群!

お次は「しろ」と「かしら」を塩で。どちらも1人前2串300円。
お次は「しろ」と「かしら」を塩で。どちらも1人前2串300円。

くさみなく、サクふわ食感のしろ。ジューシーな脂がたまらないかしら。どちらもボリューミーで、口いっぱいに幸せが広がる! また塩の串、カラシも合うんだけど、山利喜特製「唐辛子のウォッカ漬け」をちょろりとたらすのも、大人っぽい苦味と辛味が加わっていい。

好みの問題ですが。
好みの問題ですが。
肉類以外の仕入れは、基本的にすべて豊洲市場。
肉類以外の仕入れは、基本的にすべて豊洲市場。
初夏の六点盛り。職人さんの手が空いていると、気まぐれにこんな遊び心あふれるメニューが登場することも。
初夏の六点盛り。職人さんの手が空いていると、気まぐれにこんな遊び心あふれるメニューが登場することも。

伝統と革新が同居する、圧巻の煮込み

さて、いい感じに勢いがついてきたところで、そろそろ煮込みを頼むことにしよう。この店最大の名物の煮込みだが、ここではいきなり頼むのではなく、終盤に頼むことが多い。その理由は後述するとして、まずは圧巻の煮込み鍋をご覧いただこう。

カウンター内に堂々と鎮座するふたつの大鍋。
カウンター内に堂々と鎮座するふたつの大鍋。
その中身は、あまりにも魅力的な旨味の大海原。
その中身は、あまりにも魅力的な旨味の大海原。
さすが名物。営業中にも仕込みは続く。
さすが名物。営業中にも仕込みは続く。
素焼きの皿でグツグツと煮立つ「煮込み玉子入り」650円が到着。
素焼きの皿でグツグツと煮立つ「煮込み玉子入り」650円が到着。

ちょいと上のネギをどかしてみると、

出るわ出るわ! 見るからに上質な牛もつがゴロゴロと。
出るわ出るわ! 見るからに上質な牛もつがゴロゴロと。

『山利喜』の煮込みには野菜などは入らず、基本的に牛のシロ(小腸)とギアラ(第四胃)のみ。毎日6時間以上じっくりと、目を離すことなく丁寧に煮込み、肉本来の濃厚さを際立たせてある。なので、塩加減は一般的な大衆酒場のものと比べても控えめ。だからこそ、その深い深い味わいをじっくりと堪能することができるのだ。

隠し味となっているのがブーケガルニと赤ワインで、ワインはときに、驚くほど高級なものも加わるという。もはや誰も再現不可能。正真正銘、ここでしか味わうことのできない美味だ。

ところで僕が煮込みを終盤に頼む理由に、「ガーリックトースト」300円の存在がある。これを煮込みと一緒に頼んでおき、

ときに牛もつを乗せ、ラストはきっちり汁をぬぐって食べつくす。
ときに牛もつを乗せ、ラストはきっちり汁をぬぐって食べつくす。

こうなってくると、もはやフレンチ。この煮込み×トーストが、最高のシメになるというわけだ。

といいつつ、さっぱりとした「酎ハイ」400円を合わせるのがまたたまらないんだけど。
といいつつ、さっぱりとした「酎ハイ」400円を合わせるのがまたたまらないんだけど。

店主からのメッセージ

「ありがたいことに、『東京三大煮込み』なんて言っていただいているおかげで、人気すぎて入れないんじゃないか? と思ってくださる方もいるようで、よく予約の問い合わせの電話もいただきます。だけど、申し訳ありませんが、基本的に予約はとっていないんです。うちは『今日はあそこで飲もうかな』なんて思いたって来るような店であって、わざわざかしこまって来るようなところじゃない。もし興味を持たれたら、とりあえず覗いてみてください。

確かに昔の本館はちょっと異常でした。何かが間違ってるんじゃないか? ってくらい、いつでもお客さんでいっぱいだった(笑)。その頃は毎日50kg以上も牛もつを仕入れて煮込みを仕込んでましたが、今はそこまでじゃありません。ふらっと来ていただいても、けっこう入れることが多いですよ。今は飲食店の数自体が多いし、このあたりも、飲めるお店はいくらでもありますからね。

ただやっぱり、若いお客さんの中には、『前から来たかったんです』って言ってくださる方もいて、そうやってうちを目標として来ていただけるというのは本当にありがたいことです。これからもその伝統を絶やさず守っていけるよう、努力していきたいと思っています」(山田研一さん)

『山利喜』店舗詳細

住所:東京都江東区森下2-18-8/営業時間:17:00~22:00LO/定休日:日・祝/アクセス:地下鉄森下駅から徒歩6分

取材・文・撮影=パリッコ

東京を、いや、日本を代表する名酒場『ふくべ』を初めて訪れたのは、そう若い頃ではなく、今から2~3年前だっただろうか。尊敬する居酒屋研究家、太田和彦さんが著書や酒場探訪番組で紹介する定番のお店で、こんな世界があるんだとずっと憧れていた。けれどその圧倒的な風格に、とても自分のような若造がふらりと入れる店だとは思えず、どこか別世界のような気持ちで見ていた。 
この店を知るまで、僕はあまり渋谷が好きではなかった。飲める年齢になってからずーっと酒好きで、居心地のいい飲み屋がある街こそが自分の居場所のように感じていた。だから、常に若者文化の最先端であるような、そしてそれを求めてアッパーなティーンたちが集まってくるようなイメージの渋谷という街に、自分の居場所はないと思いこんでいた。