ガッツリながらも食べやすい
西武鉄道新宿線下落合駅に近い新目白通り、その側道に『伊藤松吉商店』はある。ロケーションから分かるように、ドライバー客がメインの立ち食いそば店だ。かつては都内にも同様のロードサイド店が多くあったのだが、コンビニエンスストアの進出などの事情で、その数は減ってしまっている。
取材に訪れたのは、閉店時間に近い午後3時少し前。朝早い時間帯の店は、仕事前の腹ごしらえにとそばや丼をかっこむ職人であふれているらしいが、この時間帯は客も少なくのんびりした雰囲気が漂っている。とはいえ、せっかくの『伊藤松吉商店』だ。ここはガッツリとかけそばと松吉丼のセット790円を食べておこう。
かき揚げと甘辛く煮た豚肉がのった松吉丼は、セットではいちおうミニサイズなのだが、ごはんもたっぷりで十分すぎる量。しかし味付けがくどくなく、するする食べられてしまう。
かけそばのツユもダシの旨みと香りがしっかり出ていて、かなりうまい。ズルズルパクパクと、休みを挟まずに一気に食べてしまった。聞けば、天ぷらのタレも豚肉の味つけも、パンチがありながら濃すぎないようにしているのだという。
ツユは開店してからいろいろとダシを調整して、今のものに落ち着いたのだそうだ。ガッツリ系ではあるものの、細かな工夫がちゃんとされているのだ。客の中には丼セットのそばに天ぷらを2、3個のせる人もいるというが、その気持ちは分かる。
コンビニよりも立ち食いそば
『伊藤松吉商店』が始まったのは、2014年のこと。店主の伊藤一正さんは、それまでいろいろな仕事をしていたのだが、先輩や知人と飲食店などを営む会社「レブロン」を始めた。そこで展開している店のひとつが、『伊藤松吉商店』なのだ。
実はレブロンの親会社は、ビルなどの空調設備を手掛ける会社で、現場で働く職人を抱えている。そこで「朝、現場に行く前にしっかり食べられる店があればいいのに」という声があがり、それに応える形で伊藤さんたちが『伊藤松吉商店』を始めたのである。
伊藤さんはそれまで立ち食いそばにはさほど関心がなかったが、開店のために各店を食べ歩いて研究し、メニューを決めていったそうだ。その中で昔ながらの立ち食いそばが持つ魅力に気づいた。なるほど、天ぷらなどのタネを見ても、立ち食いそば好きのツボを抑えたメニューとなっている。
減りつつあるロードサイド立ち食いそばには、まだまだ需要がある。その読みは見事に当たった。『伊藤松吉商店』の“しっかり食える”そばや丼は開店当初から評判を呼び、その勢いは今も衰えていない。やっぱりコンビニのおにぎりじゃ、汗水垂らして働く力が出ないよね。
そばツユに中華麺を合わせたラーメンも人気
そんな『伊藤松吉商店』で、私が最近、気に入っているのが松吉ラーメンだ。これはそばツユに中華麺を合わせた、いわゆる黄(きぃ)そば。一見、マッチしなさそうだが、具である豚肉の油感が、うまくツユと麺の橋渡しとなって、けっこううまいのだ。
今回は人気の天ぷらであるゲソ天をのせたが、これもいい。山形ではゲソ天ラーメンが普及しているが、確かにこれもマッチしている。伊藤さんいわく「いいかなと思ってやってみた」そうで、この自由な感じが良い。
ガッツリで濃くて、なんとも男くさい『伊藤松吉商店』なのだが、最近は職人系だけでなく、女性客や電車に乗って来てくれる客も増えているという。「10年やっていて、ほんとここ最近ですね。すごくうれしいです」と、伊藤さん。最近は、立ち食いそばがメジャーになったからか? テレビ番組で紹介された影響もあるだろう。ゆっくりとだが『伊藤松吉商店』の評判は広がり続けているのだ。
開店から10年を経ての、今後について聞くと、「このスタイルのまま、ずっと続けられればって思いますね」という言葉が返ってきた。ロードサイド店の灯火は消えない。これからもたくさんの働く人たちのおなかを満たしてほしい。
『伊藤松吉商店』店舗詳細
取材・撮影・文=本橋隆司