仏像って何からできているの? 塑像と乾漆像って?
仏像をつくるには、主に、木・土・漆・金属などが使われます。インドや中国では石の仏像も広く作られました。
日本でよく用いられる材料、最初は土について。
木の芯に布や藁(わら)を巻いて、土や粘土を塗り固めてつくる方法を、塑像(そぞう)と言います。形が作りやすい一方、年月が経つと崩れやすいのも特徴。法隆寺の仏像などは塑像が多いですが、何百年と経った今でも見られるのはとてもすごいことなんですね!
同じような作り方で、土の代わりに(または、粘土に混ぜた)漆を塗り固めるのが乾漆像(かんしつぞう)です。仏像界のトップスターと言える興福寺の阿修羅像もそのひとつです。
続いて、金属で作られた仏像。おなじみなのは奈良の大仏や鎌倉の大仏ですね!
金属製といっても内側まで全てというものは多くなく、奈良の大仏で言えば、木で枠の周囲に粘土などで原型を整え、その外側に銅を流して作られました。
金属の中でも銅が用いられることが多いのは、銅の溶ける温度が低いため作りやすいからです。
最後に、木でできているもの。
国宝や重要文化財に指定されている日本の仏像の多くは、木でできているものです。
それだけ日本には材料となる木材が豊かにあり、木を扱う技術が発展したということですね。
ヒノキ・カヤ・クスノキなどがメインになっていて、湿度の変化で割れないため・全体の重さを軽くするために内側がくりぬかれている(「内刳り=うちぐり」といいます)ことが多くあります。
“彫り出し系”と“組み立て系”
日本では木でできた仏像が発展しましたが、制作には大きく分けて2種類の方法があります。まずは、一本の木から仏像を彫り出す「一木造(いちぼくづくり)」という技法。
仏教が日本にやってくる以前から、日本人は山や木などの自然に神様が宿ると考えていました。
そんな神木の力を、そのまま表現するような方法です。
一本から彫り出すということは、失敗が許されません。仏師の大変な技術と集中力がなければ成立しないのが一木造なのです。
一方で、別々に製作したパーツを組み立てるプラモデルのような作り方を「寄木造(よせぎづくり)」と言います。
この技法によって、材料となる木のサイズ以上の大きな仏像も作れるようになりました。
さらに、一木造では表現できないほどの動きも。これは組み立て系の寄木造ならでは。
一木造より後にできた技法であるため「この仏像は寄木造か。ということは、この技法が完成した平安時代中期より後に作られたものだなぁ」なんて予測もできるのです。
重要人物と派閥を知って見てみよう!
日本の仏像においての重要人物トップと言って間違いないのが、平安時代の定朝(じょうちょう)という仏師です。なんとこの方は10円玉の裏に描かれる平等院鳳凰堂の本尊「阿弥陀如来坐像」を作った人物。
そしてなぜ最重要なのかというと、このあと紹介する3つの系譜は全て定朝から派生したからなのです。
さらに、寄木造を発明したのも定朝。それまで日本の仏像は、中国や朝鮮半島を真似るように作られていました。しかし定朝は、新たに「日本風」の仏像スタイルを完成させたのです。
まさに彼なくしては日本の仏像は語れません。
そんな定朝のお膝元から生まれたのが、まずは「院派(いんぱ)」「円派(えんぱ)」という二つの系譜。
これらは、定朝のスタイルを引き継ぎ、穏やかで優しげな雰囲気の仏像を作りました。
それとは対照的だったのが、「慶派(けいは)」。
こちらも定朝の弟子筋から生まれた派閥で、教科書にも出てくるほど有名な運慶・快慶らが牽引しました。
生きている人間のようなリアルな表現を追求しながら、マンガのように誇張されて派手な筋肉表現を特徴としました。
院派と円派が平安貴族に好まれた一方で、慶派の力強さは鎌倉時代の武将たちに愛されました。
今回は仏像の素材、作り方、派閥について解説しました。それでもまだ、博物館などの説明書きには、難しそうな言葉が並びます。
そこで次回の後編では、“超カンタン”をモットーにしながらも、さらに深掘りしてみます!
これを知って仏像を見ると、さらに楽しくなれるはずです!
写真・文=Mr.tsubaking