シンプルな調理法と味付けで野菜の個性を光らせる
渋谷フクラスや東急プラザ渋谷、渋谷マークシティの裏手にあたる渋谷中央街の坂道沿いに、2024年6月に開店した『渋谷ニッカ』。“あふれる野菜”がキャッチフレーズと聞き、野菜好きの筆者は早速飲みに行ってみることにした。
この店の看板メニューのひとつである“おばんざい”とは、京都で日常的に食されているおかずのようなもの。オーナーの池上善史さんのご両親が営む秋田県の青果店『保坂青果』から新鮮な野菜を仕入れ、そのまま食べても十分おいしい野菜を主役に、さまざまな酒の肴を創作している。
池上さんは「野菜のおいしさを伝えたい」、その一心で厨房に立ち、これまでさまざまな調理や味付けのアレンジを試みてきた。その結果、多種多様な野菜の個性を引き出すには、火の入れ方が肝であることに気がついた。
野菜から水分が出すぎないように調理法に応じて火加減を調節し、「シンプルに食べるのが一番」だという池上さん。「力のある野菜は、あれこれ手を加えたり味をつけたりしなくても、ただ煮る・焼く・蒸す・揚げるだけで十分おいしいんです」。
それは思えばご両親に教わったことで、池上さんの母親は「野菜はとにかく水分が大事」だとよく言っていたという。「母は特に味付けにこだわるでもなく、野菜を煮たり炒めたりしているだけなんですが、それを父がすごくおいしそうに食べていて。僕も今になって実感しているのですが、秋田の野菜って掛け値なしに、本当においしいんですよ」。
『渋谷ニッカ』では、そんな両親が目利きした秋田の伝統野菜や旬の野菜で、おばんざいや季節物のメニューを構成している。「野菜料理で居酒屋をブランディングしていきたい」と意気込みを語る池上さんだ。
野菜のポテンシャルを引き出す、つくり手の技と愛情
今回いただくのは“あふれる野菜”と命名された、おばんざいの数々。食事が運ばれてきてまず感動したのは、1品1品の美しさ。野菜の彩り、器や皿の選択、盛り付けのバランスなど、つくり手の丁寧な仕事ぶりに、野菜にかける愛情を垣間見た。
早速、濃い黄みが特徴的な高級ジャガイモのインカのめざめと、糖度が高いサツマイモのすずほっくりのポテトサラダをひと口。
とってもクリーミーで、やさしい甘みが口の中にふわっと広がる。粒マスタードの食感と酸味のアクセントがまたいい。ポテサラなのにマヨネーズは使わずに、ジャガイモを牛乳で炊くことでまろやかに仕上げているのだとか。
続いて秋田県の特産品のひとつ、じゅんさいを使ったおばんざいをいただく。
生のじゅんさいは一般的に、ポン酢やわさび醤油などにつけて食べることが多いが、この店では出汁の効いたほんのり甘めのつゆに生姜をプラス。秋田県民が親しんでいる調味料の味をベースに仕上げているそうで、東北ならではの濃いめの味付けかと思いきや、なんともやさしい味わい。
また、ゼリーのような膜に覆われていてチュルリとのどごしが良く、筆者は初めて口にしたのだが、めちゃくちゃ好みだった。これは日本酒のアテにしたいところ。
冷やしトマト、蓮根の甘酢漬けもまた絶品! 調理法や味付けはいたってシンプルだが、どれも手の込んだものばかり。やさしい味わいだからといって物足りないわけではなく、どれも酒がすすむ味なのが新鮮に感じた。
おいしい野菜はシンプルに出汁でいただくのが正解!
もう1品、この店の名物をいただくとしよう。合鴨とお野菜のしゃぶしゃぶは、ネギや葉物中心の野菜と国産の合鴨肉を、鰹と昆布の合わせ出汁でいただく贅沢な一品。
「鍋料理でも“野菜が主役”」という池上さん。厳選した野菜はどれも「出汁にくぐらせるだけで旨い」と自信をもっている。この日の野菜は、秋田美人ねぎと九条ねぎ、空心菜の3種。
シャキッとした食感になるようカットされた秋田美人ねぎは、普通のネギよりもやわらかく、スッキリとした甘さでとても美味。
葉物は少ししんなりしてきたら食べ頃。葉っぱがジューシーなのには驚いた。こりゃいくらでも食べられそう。
鍋の締めに、野菜と肉の旨味が溶け出した出汁でそばやラーメンをいただくもよし。酒を飲んだ後の締めに、汁物代わりに出汁を飲むもよし。とにかく、この出汁もまた旨いのだ。
東西の食の魅力を融合させた“野菜料理のメッカ”
飲食業界に身を置いて10年、36歳で独立した池上さん。1店舗目からおばんざいをはじめ野菜料理中心のメニューを打ち出すも、肉や魚に比べると野菜をアピールしていくのはなかなか難しかった。
ちょうどその頃、京の食文化にひかれて、京都に足を運ぶようになっていた池上さんは、京都市内で複数の飲食店を展開し自社農園も持つグループの代表に出会った。そこで、彼の店で提供されている野菜のおいしさに感銘を受けたという。
野菜の調理法や味付け、提供方法だけでなく、優美な店構えや京都特有の「もてなしの心」にも感化され、良いと思ったところはすべて自身の店に取り入れた。京料理のように出汁にこだわり、従来のおばんざいをブラッシュアップ。一方、京風の上品な薄味ではなく、居酒屋で万人においしいと思ってもらえるよう、濃すぎず薄すぎず“いい塩梅”に仕上げた。
こうして野菜料理の和食居酒屋は女性客を中心に人気を集め、池上さんは「方向性は間違っていなかった」と確信した。東は秋田の味、西は京都の味。池上さんは自身の食のルーツを見事に融合させ、さまざまな食文化が集まる渋谷の街で、“野菜料理のメッカ”となるような店をつくったのだ。
「スタッフたちにも野菜がおいしいってことを知ってもらい、野菜の良さをみんなで共有してもらうことが大事」と池上さんは話す。「今、彼らは自信をもってお客さまに料理をお出ししています。野菜の魅力がわかる同志が増えてすごくうれしいですし、もっと多くの人においしい野菜を届けていきたいと思います」。
京都の高貴な和室をイメージしたという店内は、ゆっくり晩酌をしたい大人にピッタリの空間。若者の街だった渋谷に大人の通い場ができて、筆者も足しげく通うことになりそうだ。さて今宵の酒の肴は、肉より魚より、野菜だな!
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=コバヤシヒロミ