光源氏の娘、明石の姫君の物語
とくに有名なのは、明石の姫君の物語。
そもそも、明石の姫君の母・明石の君というのは、光源氏がスキャンダルを起こして向かった先で出会った女性。田舎にいる女性かと思いきや、実はお金持ちの娘で、彼女は光源氏の娘を産むことになる。
光源氏の子供は案外多くないのだが、そのなかでも唯一娘を産んだのが、明石の君だったのだ。
この「娘」というのが重要なポイントである。たとえば江戸時代や明治時代は世継ぎとして「男子を産め」と言われるイメージがあるかもしれない。しかし平安時代の貴族は、「女子を産んでほしい」と思われていた。なぜなら生まれた子供が女子であれば、天皇に入内(じゅだい)させることもできるし、あるいは他の有望な家に嫁がせることもできる。
実際、明石の姫君も、最終的には天皇の母となる。大出世だ。こうして光源氏の家は繁栄することになるのだが、その前に、明石の姫君は——実母である明石の君に育てられず、紫の上に育てられることになる。
なぜ紫の上に育てられることになったのか?
紫の上とは、都にいる光源氏の正妻である。もちろん明石の姫君とは血のつながりはない。ならばなぜ紫の上に育てられることになったのか? それは光源氏が、明石の姫君に貴族の英才教育をしてほしい、と紫の上に頼んだからである。要は、明石の君は田舎にいた女性。都会にいる紫の上に育てられたほうが、明石の姫君も出世できるだろう、と光源氏は考えたのだ。
……なんとも嫌な考えである。もちろん、明石の君も、そして紫の上も、嫌な気持ちになったのだろう。紫の上は自分の子を生涯もたなかったし、その状態で明石の姫君を世話することがどれほど残酷なことか、光源氏には分かっていなかった。
しかしこのふたりの間には、奇妙なシスターフッドともいうべき仲の良さが最終的に生まれている。それが、明石の姫君の裳着(もぎ=成人の儀式)の場面、はじめて明石の君と紫の上が出会う場面にあらわれている。
「なんて素敵な方なのかしら」
紫の上が明石の君の娘を育て始めた数年後、紫の上と明石の君のふたりは初めて対面する。その際、お人形のようにかわいらしく育った娘を見て、明石の君は涙する。そしてお互いを初めて見て、「こんなに優れた方だったのか」とハッとする。
〈原文〉
「かくおとなびたまふけぢめになむ、年月のほども知られはべれば、疎々しき隔ては、残るまじくや」
と、なつかしうのたまひて、物語などしたまふ。これもうちとけぬる初めなめり。ものなどうち言ひたるけはひなど、「むべこそは」と、めざましう見たまふ。
また、いと気高う盛りなる御けしきを、かたみにめでたしと見て、「そこらの御中にもすぐれたる御心ざしにて、並びなきさまに定まりたまひけるも、いとことわり」と思ひ知らるるに、「かうまで、立ち並びきこゆる契り、おろかなりやは」と思ふものから、出でたまふ儀式の、いとことによそほしく、御輦車など聴されたまひて、女御の御ありさまに異ならぬを、思ひ比ぶるに、さすがなる身のほどなり。
いとうつくしげに、雛のやうなる御ありさまを、夢の心地して見たてまつるにも、涙のみとどまらぬは、 一つものとぞ見えざりける。年ごろよろづに嘆き沈み、さまざま憂き身と思ひ屈しつる命も延べまほしう、はればれしきにつけて、まことに住吉の神もおろかならず思ひ知らる。
〈訳〉
「明石の姫君も、こんなに美しく成長して……私たちもずっとずっとつながっていたのですわ。もう、みずくさいことは言わないようにしましょう」
と、紫の上が親しみをこめて、言った。
この発言を機にふたりは仲良くなっていった。
紫の上は、しゃべる明石の君をまじまじ眺めつつ「なるほどねえ、なんて素敵な方なのかしら」とほうっと感動していた。
一方で明石の君も、紫の上の上品な可憐さをはじめて間近で見て、驚いていた。「この方が、大勢いる源氏の君の恋人のなかでも、特別な地位があって、特別な愛情を注がれているというのも……そらそうだわ」と心底納得したのだ。そしてなによりも「私はこんな方と肩を並べることができているのか」と震える思いがした。
紫の上が退出する動作もなんといっても美しい。輦車(れんしゃ)に乗るときなんかも、女御と同じ扱いゆえに、自分との身分差を明石の君は感じていた。
しかし、その日見た明石の姫君は、まるでお人形のようなかわいさだった。明石の君は、母として夢のような気持ちで彼女を見つめている。涙が止まらない。それは決して悲しみの涙ではない。ずっとさまざまなことに苦しみ悩んできて、死にたい時もあったけれど、それでも今日は「もっと長生きしなければ」と思うほど晴れ晴れとした気持ちになった。これが住吉の神の御利益かしら、なんて明石の君は思ったのだった。
(原文は新潮社『源氏物語 新潮日本古典集成』より引用、現代語訳は筆者意訳)
奇妙なシスターフッドともいうべきふたりの関係
明石の君の親心と、紫の上との積年の複雑な関係が解けていくような、良い場面だと私は思う。
紫の上は明石の君をはじめてみて、納得する。「こんなに素敵な方だったら、身分が低くても源氏は気に入るよなあ」と。当初、紫の上は明石の君と光源氏の関係に嫉妬しショックを受けたものだったが、そんな苦しみをここで流していったのだ。一方で、明石の君もまた「ああこんなに身分も容姿もなにもかも非の打ちどころのない方だったのか」と紫の上に感嘆する。そして明石の姫君をこんなに素晴らしく育ててくれたことに感謝する。
——ひとりの光源氏という男性をめぐってお互い苦労してきた、しかしここまでたしかにやってこれたのだと確かめ合う、不思議な連帯感が見える場面だと私は思っている。
紫式部は、紫の上と明石の君の初対面を、決してどろどろとしたいがみ合いにはしない。お互いを嫉妬させ合うような、安易な女性同士のキャットファイト場面にしない。そこに私は紫式部の上品さを感じる。しかも光源氏がそのふたりの感慨を何も分かってないところがまた、趣深さを増している……。
親心と、女性たちの関係。それは、『源氏物語』のさまざまな箇所に見える主題なのである。
文=三宅香帆 写真=PhotoAC
※写真はイメージです。