「漂着物と幻燈機と壁」から浮かび上がるもの
まず今回の作品の概要をざっと説明しよう。
「日本列島は大平洋、東シナ海、日本海、オホーツク海に周囲を包まれている。その海には、黒潮、親潮、対馬海流、リマン海流などの暖流や寒流が流れ、潮流に乗って様々なものが漂流してくる。海岸線に流れ着いて漂流物を拾い、それを幻灯機を使って現場の壁に投影させ、映し出される光の像を撮影したシリーズ」(会場の説明ボードより)とのこと。
幻燈機とはランプとレンズを使って、被写体を適当な幕に投影するという、映写機の原型にあたる機械のこと。中里さんは、3年半かけて全国の海岸線を歩いて、異国からの漂着物を集め、この幻燈機を使ってコンクリや鉄などの壁に漂着物の影を投影したものをデジカメで撮影。それらをドイツ製の特殊な印画紙に焼き付けたのが今回の作品群である。
被写体を想像できない独特の作品たち
何をどこに投影するとどうなるのか?……ということは本人にも想像がつかないそうだが、例えばこの写真、被写体は何だろう?
答は「電機系の部品」を投影したもの。投影した壁は「防波堤」だそうだ。
お次はこの写真。
こちらの被写体は「車の部品」で、投影したのは「廃屋の壁」。
とはいえ、そういう種明かしにほとんど意味はない。
ある人は人の顔のように見えるだろうし、ある人は微生物の一種とみる、はたまた深海魚が口を開けたところと見る人もいるだろう。そんな見る人の想像力を書きたてずにいられない。
「海流は我々の祖先が舟でこの島に渡ってきた海道でもある。日本列島に住み着いた人は、その後長い間、海のハテに懐かしさとカミが訪れるかもしれない予兆を感じながら暮らしてきた。」(前出の説明ボード)
とすれば、ここに朧気に浮かび上がっているのは「来迎神」のようなものだろうか。
「時間と空間が溶け出すような撮影でした」
中里さんは言う。
「拾い集めたものは幻燈機の暗箱に入る手のひらサイズの小さいもので、現代の地球の暮らしを反映させる人工物に限りました。漂着物は波や太陽光にさらされ、本来の名前や形を失くしかけていました」
「でもそれが闇の中に投影されると、スクリーンになったコンクリや鉄など壁面と漂着物の素材がまじりあって、時間と空間が溶け出したようでした」
「われわれはどこから来たのか? 北海道から沖縄まで移動しながら、列島の夜の海岸を巡り、この島に流れ込む4つの海流に問いかけながら、潮流が運んできた手のひらサイズの祈りのシグナルを受信しました。何千年、何万年という大気や潮流の流れと、自分の体が連なっていくような感覚でしたね」
22日からは、3階の会場もオープン。これまでの14点に、さらに12点の作品が加わり、ボリュームのある展示となっている。
「来てくれた人で、コロナで欝々としていたけれど、これを見て救われましたという人もいました」と中里さん。
なるほど人の心を一番開放するのは想像力に違いない。
文・写真=武田憲人
開場:12:00~19:00(最終日17時まで)
会場:巷房(3階+地下) 入場無料
東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル
03-3567-8727
2000年から東京向島、青梅、富士吉田、那覇などの長屋、町工場、空き店舗、市場など、オルタナティブな空間で写真展、写真インスタレーション、ワークショップを多数開催。写真表現を中心にしながら、街や地域との社会的な相互交流を実践している。2012年、体験作家の中野純とサイハテ学会を立ち上げる。
著書に「小屋の肖像」「Nighrt in Earth」、著書に「東京サイハテ観光」ほか多数。