- 大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた
- 月刊『散歩の達人』の人気連載「失われた東京を求めて」のバックナンバーを配信。東京に生まれ育ち暮らしてきた"昭和40年代男子"樋口毅宏が綴る、あのとき思い出。
2013年、『タモリ論』が売れていた頃、BSの新番組「久米書店」からお呼びがかかった。声が悪くて早口なくせに、ラジオにはほいほい出る僕は、一方でテレビからのオファーには頑なだ。幾つかの人気番組から出演依頼があったが、共演者にまったく興味が湧かなかったため、丁重にお断りしたこともある。
しかし久米書店のMCは久米宏さんである。出ない理由が見当たらなかった。
久米さんの所属事務所であり、番組制作のオフィス・トゥー・ワンと打ち合わせをした。そこで僕は、子供の頃から久米さんのことが大好きなんです。影響を受けまくっていますと、一方的に熱くまくしたてた。
〈『タモリ論』にも書きましたが、久米さんとタモリさんには、歳もひとつしか違わないし、共通項が多いんです。
①早稲田大学 ②サユリスト③ 帯の生放送番組の司会をしている(していた)。しかも長寿番組 ④既婚者だが子供はいない ⑤乾いた笑い声。〉
〈僕は「ザ・ベストテン」世代ですからね。「ぴったしカン・カン」も毎回テレビに釘付けでした。特に、日テレの日曜8時に放送していた「 TVスクランブル」を異常な集中力で観ていました。「今週も生放送です!」って言うんだけど、番組の大半がVTR笑)。
横山やすしが隣にいて、ひとことも喋らない回とか、子供の頃お母さんに橋の上から心中を持ちかけられた過去を泣きながら話す回とか、忘れられません。〉
〈日本全国美人妻ってコーナーがあって、やっさんがVを観て最後に、◯とか×とか出すんですけど、コーナー募集の際に久米さんが、「応募の際には必ず写真を添付して下さい。番組スタッフがお家に行ってひっくり返ったことがあります」。子供だから本気にしていました。久米さんの魅力って、ああいう茶目っ気なんですよね。稚気と悪意のない交ぜというか。〉
〈所謂ロス疑惑が世間を騒がしていた頃で、民放各局がお昼3時のワイドショーで毎日飽きもせず、三浦和義を取り上げていました。現地にも取材班がたくさん訪れていて、久米さんが、「この番組でもロスに行ってきました。現地の映像です。どうぞ」ってVを流したら、走る車の中から、車に付いてる小旗が風に揺らめいている映像で。10秒ぐらいで終わり。やっさんが「これで終わりかいな!」。あれは馬鹿騒ぎをしているワイドショーに対しての、久米さん的クリティークなんですよね。視聴者からしても、ほんとにLAに行ったかなんてどうでもよくて。〉
〈TVスクランブルはNHKの大河ドラマと丸かぶりだったんですけど、久米さんが「これを観れば来年の大河を観たも同然です」って、5分程度のあらすじVを流して、「どうですか?こんな短いVTRでもわかる話を、あなたは来年1年間かけて観る気ですか!」ってアジって。めちゃくちゃ面白かった。実際、そのときの大河の視聴率は悪かったはずです(確か川上貞奴の半生を描いた「春の波涛」)。〉
〈やっさんが降板してからは毎週コメンテーターが代わって、広島が優勝した年、衣笠がゲストで、久米さんが「好きな食べ物は何ですか?」って訊いたんです。本来なら子供の手本となることを言うべきでしょう?「ポパイみたいにほうれん草とか野菜を毎食欠かしません」みたいな。そしたら衣笠、「肉以外食べません」。子供ながらテレビにツッコみました。〉
〈TVスクランブルの最終回に「新コーナーです!」ってやって(笑)。僕の悪ノリは間違いなく久米さんのせいです。〉
〈「アッコにおまかせ!」の前番組は、和田アキ子とフリーになったばかりの古舘伊知郎が司会で、第1回は久米さんがゲストだったんです。ふたりが月夜の写真1枚を見ながらレポートする企画があって、久米さんが情感たっぷりの語りに対して、古舘さんはおなじみの速射砲で。ふたりのキャラの違いが楽しめました。〉
〈当然「ニュースステーション」は第1回を観ています。地方中継のレポーターが思い切り空回りして。こりゃ大変だなーと思ったのを覚えています。〉
〈よく言われることですが、ニュースステーションは本当に画期的なテレビ番組でした。それまで視聴率とは関係ないと思われていたニュース番組をプライムタイムでしかも帯で放送。机の上に政治家に似せた人形を置いて解説。フリップボードで肝心な箇所をめくる。デスクの下は女子アナの脚線美など、ニュースの見せ方を抜本的に変えた。テレビはニュースステーション以降、新しいモデルを生み出せていない。〉
〈報道番組の司会者になったら大家とか権威になってもおかしくないのに、久米さんは軽さ――ポップを失わなかった。あのバランス感覚は絶妙。昨日と見分けが付かない日常に疲れて、毎年夏休みを2ヶ月取ってリフレッシュを図っていたけど、ニュースステーションを18年間で降板する。一方、タモリは『いいとも!』を32年間続けた。まともな神経ではない。久米さんのほうが人間としてまとも。〉
〈僕、コサキンのラジオが大好きで、むかし、リスナーが――リスナーなんて呼称もない時代でしたけど――送ってきたハガキで、久米さんを喩えて“床屋の見本”。〉
立て板に水のごとく、久米愛が迸った。2時間に及ぶ独擅場の果てに、プロデューサーが唸った。
「樋口さんの前に、別の方の収録があるのですが、こうなったら樋口さんを久米書店の第1回にしましょう」
僕は文字通り、胸を叩いた。
しかし――。
その当日、子供の頃から憧れてきた人を目の当たりにして緊張しすぎた僕は、借りてきた猫のようにおとなしく、何にも喋れなくなってしまった。誓って言えるが、あんな失態は後にも先にも「久米書店」一度きりだ。
収録終了後、スタジオとして使われた下北沢の書店からうなだれて出ると、失望の色を隠せないプロデューサーがこう吐き捨てた。
「全然ダメじゃないですか」
ちなみにノーギャラだった。
それから5年の歳月が流れた。架空の旅客機事故にまつわる証言集、『アクシデント・レポート』(新潮社)を上梓した。2段組で600ページ超という浩瀚(こうかん)の書である。そのオビラー(書籍の帯に煽(あお)り文を書く人)を久米さんにお願いした。久米さんならば、昭和、平成、マスコミ、宗教、沖縄、原発を幾重にも重ねたこの小説の本意をわかって下さると思ったのだ。久米さんは快く引き受けて下さった。
「慌てて読むと、転びます。じっくり腰を据えて読みましょう。無事読了すると、しばし放心状態に陥ります」
「歴史は記憶の集積です。誰が、どこから眺めたかによって、その記憶は違っています。だから:僕は歴史をあまり信用していません。そして:隠された歴史は無限に発掘することが出来ます」
久米さん、ありがとうございました。感慨無量です。
『散歩の達人』2018年1月号