「猫ちゃ~ん」と寄ってみたら置物だった猫(2020年・飛田給)
「猫ちゃ~ん」と寄ってみたら置物だった猫(2020年・飛田給)

民家の庭や商店の入り口にさまざまな置物や人形が設置されているのを、われわれはよく目にする。その中に「等身大のイヌ・ネコ」像というジャンルがある。これら樹脂や陶器製のイヌ・ネコ像は、「ガーデンオーナメント」という品目で、ホームセンターなどでも販売されている。私とて、まさか白雪姫の七人の小人人形や信楽焼のタヌキに話しかけるほどのトンチキではないが、「等身大のイヌ・ネコ」像はどれもよくできており、本物と見間違えてしまうことが多い。そしてついつい話しかけてしまう。

ニッパー君には話しかけない

とは言っても例外もある。街の電器屋さんの店先などにたまに見かける、ビクターの看板犬・ニッパー君。こちらは等身大のリアルな犬像とはいえ、既にキャラクターとしてその地位を確立している。蓄音機から聞こえてくる亡き主人の声に耳を傾けるその姿を見て、こちらはただ感動し涙するばかりなので、話しかけることはまずない。

「ビクター犬」ニッパー(2015年・水戸)
「ビクター犬」ニッパー(2015年・水戸)

ベンチ形ダックスにも話しかけない

また、リアルに作られているとはいえ、何かの任務を担わされている人形も話しかけ対象からは外れる。とあるカフェの店頭に置かれていたダックスフントの犬像。

こちらは胴長という特性を生かしてベンチとして利用できるようになっており、見かけた場合にまずわれわれが起こす行動は「座る」である。働きものの犬像に敬意を表したい。

ベンチとして働くダックスフント(2020年・稲城)
ベンチとして働くダックスフント(2020年・稲城)

動物病院のまわりは等身大のイヌ・ネコ像だらけ

ところで「等身大のイヌ・ネコ像」にかなりの高確率で出会える場所は、動物病院の入り口だ。冒頭のトラ猫の置物も、動物病院の入り口で発見したものである。

たとえば多摩ニュータウンにある動物病院では、看板下にゴールデンレトリバー、花壇にアヒルやウサギ、待合スペースのフン用ゴミ箱はブルドッグに見張りをさせるなど、院長が動物好きであることや、さまざまな患畜を受け入れてくれそうなことが想像できる。

さまざまな動物がいる動物病院(2020年・若葉台)
さまざまな動物がいる動物病院(2020年・若葉台)
アヒル(2020年・若葉台)
アヒル(2020年・若葉台)
うさぎ(2020年・若葉台)
うさぎ(2020年・若葉台)
猫(2020年・若葉台)
猫(2020年・若葉台)
ブルドッグ(2020年・若葉台)
ブルドッグ(2020年・若葉台)
3種が出迎える玄関(2020年・若葉台)
3種が出迎える玄関(2020年・若葉台)

思わず話しかけたくなるボーダーはここか?

一方、犬の像のみに特化した動物病院もある。もちろん犬しか診てくれないということではなく、置物としての統一性を選んだ結果であろう。稲田堤にある動物病院の入り口には、シェパード・コリー・ドーベルマン・ダルメシアンの4頭の犬像が設置されている。

リアルな犬(2020年・稲田堤)
リアルな犬(2020年・稲田堤)

このうち、ドーベルマンとダルメシアンには「ヨーシャシャシャシャ」とムツゴロウさんの真似の一つもしながら近づきたくなるのだが、

色あせた犬(2020年・稲田堤)
色あせた犬(2020年・稲田堤)

シェパードとコリーは一瞬身構えてしまう。なぜか。この2頭の犬像は経年のせいか色あせているため、リアリティに欠けてしまっているからだ。

これから開業を予定している動物病院は、ぜひ入り口に「等身大イヌ・ネコ」像を置いて欲しい。飼い主に対する訴求力があるばかりでなく、私のような「間違えてヨーシャシャシャと近づいてしまう人」が新たな顧客になってくれるかも知れないからである。

絵・写真・文=オギリマサホ

まんじゅうの表面に焼き印を付ける仕事をしたいと思っていた。真っ白に蒸しあがった薯蕷(じょうよ)まんじゅうの表面にジュ―ッと焼きごてを押し当て、くっきりと印を刻む。その工程がたまらなく魅力的に思えたのだ。言うまでもなく、まんじゅうに焼き印を付けるだけの仕事などどこを探してもなく、また家庭で個人用焼きごてを用意するというのも非現実的であるため、断念して今に至る。