バランスのとれたツユがいいのだ
『花丸そば』があるのは、地下鉄新宿線の西大島駅と住吉駅の中間あたり。大通り沿いで周囲に飲食店は少ないが、この味のある外観を見れば、長く続いてきた店であることは分かるだろう。
長く続くのには理由がある。『花丸そば』にも、ちゃんと理由があった。ツユがいいのだ。
節系の旨味と醤油のコクが前に出た、いわゆる立ち食いそばらしいツユとはだいぶ違う。色こそ濃いめだが、当たりは柔らかく、コクとキレのバランスがいい。軽く揚がった天ぷらがなじんでくると、そのコクはさらに増す。体にしみこんでくるような旨さなのだ。
大手製麺会社『むらめん』の麺は、ツユ絡みがよく、すすり心地もいい。天ぷらは具材の風味良く揚がってツユなじみもよく、ツユを含んでトロッとなった衣もまたうまい。とがったところはないが、ツユを中心にうまくまとめられた、ホッとする味わいの一杯に仕上がっている。
『花丸そば』がオープンしたのは、1986年のこと。ただ、その頃に比べると、ツユの味はだいぶ変わっているという。
もともとは『丸八そば』
現在、店を切り盛りしているのは橋本勝己さんと妻の勝子さん。そして娘の弘美さんだ。実は店を始める前、勝己さんはサラリーマンで、実の姉が『丸八そば』という立ち食いそば店をやっていた。『丸八』は現在でも菊川、砂町、船堀にある、こちらも立ち食いそばの老舗で、立ち食いそばらしい濃いめのツユが特徴だ。
当時、勝子さんは義理の姉がやっている『丸八そば』に手伝いに行っていたのだが、「自分でできるんだから、あなたも店をやりなさいよ」と言われ、自分でも始めることになった。現在『花丸そば』は親子3人で営んでいるが、最初は勝子さんが始めた店なのだ。
見様見真似で始めた『花丸そば』。しかし『丸八そば』仕込みの味は受けてすぐに評判の店に。さらにすぐ近くでトステム(現LIXIL)の本社移転工事が始まっていたこともあり(現在はさらに移転)、オープン当時は工事の関係者が押し寄せて、昼どきには店前に行列ができていたそうだ。
その後、定年退職した勝己さんも店を手伝うように。さらに娘の弘美さんも、20年ほど前に亀戸駅前で支店をオープンさせた。家族で『花丸そば』を支えてきたのだ。
ちなみに亀戸の支店は3年ほどで閉店し、弘美さんは西大島の『花丸そば』を手伝うように。そのとき使わなくなった椅子をこちらに持ってきて、今も置かれている。客席の背後にズラッと椅子が並んでいるのがそれだ。混んでいるときに店内待ちしてもらうための椅子に見えるが、その用途で使われることはあまりなく、荷物置きに使われるのがほとんどとか。
ツユにいろいろ手を入れて……。
さて、ツユの味が変わるのは、勝己さんが店に入ってから。もともとは『丸八』譲りの濃いめツユだったが、勝己さんの好みとは、ちょっと違っていた。元来、凝り性の勝己さん。このツユではもの足りないと、さまざまな製品を試し、試行錯誤を始める。そして行き着いたのが、カツオのダシパックをベースに昆布を追加。さらに顆粒だしで整えるというやりかた。これが、現在の柔らかくもコクキレのあるツユだ。
しかし、それでも勝己さんは納得できないところがあるようで、かえし(タレ)にも手を加えている。現在、店をメインでまわしているのは娘の弘美さんだが、ツユの仕込みだけは勝己さん担当。すごい、とこちらが感心していると、妻の勝子さんに「あまりほめないでよ」と注意されてしまった。夫の凝り性には、ちょっと困っているようだ。
おすすめなのはそばだけではなくサイドメニューも。定番のカレーは、業務用ではなく家庭用のルーが使われていて、まさにおうちカレー。具材もしっかり入っていて、愛情が伝わってくる。場所柄、ドライバー客が多いようだが、近隣の住民も多くやってくる。仕事の合間の食事だけでなく、町の食堂としても機能しているのだ。
現在、勝己さんは81歳(勝子さんには聞いていません)。弘美さんもいるしドライバーや近隣の常連に支えられているが、「そろそろ……」という思いもあるという。店舗を借りている不動産屋にそのことを言ったのだが、「おたくは老舗なんだから、やめることないよ」と返されてしまったのだとか。
家族の協力、そして常連の支えでこれまで続いてきた『花丸そば』。客の勝手ながら、この味と雰囲気が失われるのは、寂しいものがある。無理することなく、できるだけ長く続けてほしいものである。
取材・撮影・本文=本橋隆司