この世の終わりを感じさせた時代
平安時代の終わりに、仏教の教えが廃れ世界が混乱に陥るという「末法思想」が広まります。
ノストラダムスが1999年に世界の終わりが来ると予言したことを記憶している人も多いでしょう。
その時でさえ、世界中で不安が広まったことを考えると、まだ科学という概念もない平安時代の人々の不安は察するに余りあるところです。
奇しくも当時、戦乱が各地で勃発し始めており、世界がヤバイ方向に向かっているという感じるには十分な状況も揃っていて、鎌倉仏教が生まれてきたのはそんな時代だったのです。
最澄が開いた比叡山延暦寺を本山とする天台宗は、仏教の総合大学のような存在で、浄土思想や禅などさまざまな種類の仏教を学ぶことができました。
鎌倉仏教の開祖たちは、比叡山の教えの中からそれぞれの信念や時代にあった教えを選びとって、宗派を開いていくことになります。
みんなでGO!GO!HEAVEN【法然】
末法思想で、この世の混乱からは逃れられないと考えた人々は現世の幸福より、死後の安心を求めるようになります。
「地獄に落ちずに極楽浄土に行きたい!」という考える人が増えたのです。
そんな人々から人気を得たのが、浄土宗を開いた法然。
仏教では極楽浄土のオーナーを阿弥陀如来としています。法然は、「この阿弥陀如来を信仰し、それを表明しまくれば極楽浄土に行ける!」と説きました。
表明の方法は「阿弥陀如来を信じます」という意味である念仏(南無阿弥陀仏)をひたすら唱えること。
これは、出家修行ができない一般の人にもできるものだったこともあって、一気に広まりました。法然は、念仏で仏教を一般人にまで広めた重要人物なのです。
こんなダメな私でも!の感謝の言葉【親鸞】
法然と同じく念仏を広めたのが、浄土真宗の宗祖である親鸞です。親鸞は、20年もの期間に渡って苦しい修行に励みますが、それでも、心の底から湧き上がって来る欲求が消えないのです。
しかし、すべての人を救って極楽浄土にいざなってくれるという阿弥陀如来の存在を思い「こんなダメな私でも救われるのか。ということは、すでに救われているのか!」と気がつきます。
すると、「救ってください」ではなく「ありがとうございます!」という思いから「南無阿弥陀仏」という言葉が口からこぼれ落ちたのです。
こうした経験から「自分で修行して救われるというのは驕(おご)りだ」と考え、親鸞はあらゆる修行を否定します。
すでに救われていて修行もしないという考えは、あらゆる誤解を生むことにはなりますが、これにより、修行の時間もない一般の人には仏教がさらに広がりました。
ダンシングオールナイト!【一遍】
同じく「南無阿弥陀仏」の念仏を広めた人物に、時宗の開祖・一遍がいます。鎌倉仏教の開祖の中で唯一、比叡山で修行をしていないお坊さんです。
一遍はアバンギャルドな方法で仏教を広めます。
その方法とは「踊り念仏」。一遍は街中で鉦(かね)や太鼓を打ち鳴らしダンスしながら念仏を唱えたのです。
アーティストのコンサートは会場に入らないと見ることはできませんが、ストリートミュージシャンの歌や演奏は街角で聞くことができます。
一遍はいわば、念仏のストリートミュージシャンだったのです。
しかも、踊りながらの念仏は誰にとってもセンセーショナルで、多くの人の関心を集め念仏を広めて行きました。
また、この踊り念仏は、盆踊りや歌舞伎のルーツになっているとも言われています。
とんちとお茶を日本に広めたのはこの人【栄西】
13歳で出家し、比叡山で修行をしていたのが栄西。
僧侶といえど人間。当時の比叡山では、大きな組織であるがゆえの内部での権力争いや、お金を持った貴族との癒着など腐敗がはびこり始めていたのです。
そこで栄西は比叡山を出て、中国で仏教の修行を続けることに。
中国で栄西が学んだのが「禅」の教えでした。
そうして日本に戻った栄西は臨済宗を開きます。
読経や修行によってではなく、座禅によって悟りを開くという教えです。座禅といっても、多くの方がイメージする黙って心を鎮めるものとは一味違います。
座禅をする弟子に師匠から問いが投げられ、弟子が回答するというスタイル。
この問いは「片手で拍手するにはどうする?」など“とんち”のようなものでした。これを繰り返すことで、論理を超えた悟りを求めたのです。
“とんち”でおなじみの一休さんも臨済宗のお坊さんです。
生活の全てを修行に!【道元】
3歳で父、7歳で母を亡くしたことから、世の「無常」を感じ仏教の道を志したのが、曹洞宗の開祖である道元です。
「比叡山の教えでは、『人は生まれながらにして清浄で、もともと悟りを得ている』という。ではなぜ修行をするのか」という疑問にぶつかります。
そこで別の教えを求めた道元は、「栄西というお坊さんが中国で最新の仏教を学んで帰ってきた」という話を耳にし、中国へ旅立ちました。
道元がそこで気づかされたことは「悟りのために座禅するのではなく、座禅の中に悟りがある」ということ。
多くの人が座禅としてイメージする黙って座るのは、この道元の座禅のものです。
道元の座禅は「何も考えずただ無心で座る」ものですが、同じ気持ちで生活の全てを行うことも必要だと考えました。
食事の時は食べることに、会話の時は相手との話に、掃除の時は綺麗にすることにだけ集中するということです。
すると、食事への感謝や、会話の相手への真摯な姿勢が生まれてきます。
なんでもマルチタスクで効率を求めてしまう私たち現代人に必要な教えかもしれませんね。
原点に立ち返ろう!【日蓮】
比叡山で学んだ中の「浄土思想」の部分を極めていったのが、法然ら浄土系の僧侶たちで、禅の教えに特化したのが道元ら禅宗系の僧侶。
そんな中、「法華経」の教えを追求したのが日蓮でした。
末法思想が広がり、戦乱が繰り返された当時。それを救うように数々の宗派が誕生しますが、世の混乱はなかなか治りません。
日蓮は「こんなに色んな仏教が広がっているのに、なぜまだ混乱が続くのだろう」と悩みます。そして「元は、ひとりのお釈迦様の教えだったはず。そこに立ち返ろう!」と思い立つのです。
日蓮は「法華経」というお経こそが、元々のお釈迦様の教えだと考え、浄土系とも禅宗系とも違う独自の路線で日蓮宗を開いたのです。
他にもたくさんのエピソードと個性が!
混乱の時代に、さまざまな思いをもってそれぞれの宗派を開いた鎌倉仏教の開祖たちをツバキング流に噛み砕いて紹介しました。
ただ、こうした「まとめ」では足りないほど多くのエピソードと個性を持っていますので、気になったお坊さんをさらに深く調べてみるのもきっと面白いですよ!
写真・文=Mr.tsubaking