黒そば捜査官・K
二日酔い後の朝定(あさてい)とネギ増しを愛する、立ち食イスト。美女とかき揚げに弱い。
駅前から張り込みをはじめると、濃厚なつゆの匂い。発生源の看板には『ひさご』とある。扉の張り紙には「浅草橋は事件が少なく住みよい商売しやすい町です」だと……。逆に怪しい。調査すると、黒い丼とつゆの境目が分からん!
「ヒゲタの濃い口醤油のカエシを、1〜2カ月寝かせてるんだ」とは78歳の店主・八(はっ)ちゃん。この辛口つゆと自家製麺のコシが非常に合う。製麺機奥の、階段の上には何があるか問い詰めると「俺がオンナと寝る場所、なんてな(笑)」。ジョークまでブラックか。
かなり黒い、というタレコミを聞き、次に立ち入り捜査をしたのは『そば千』。注文後最速7秒の提供に、スピード違反でしょっぴきたくなる。1cm下のそばが見えない圧巻濃度の理由を店主に問うと「22時間近く炊きっぱなしのつゆを、新しいつゆで割って、コクと風味のバランスを取ってるんです」。奥深いつゆとあみ天そばの香ばしさは、中毒性高し。
続いて、駅南口から徒歩4分ほどにある某立ち食いFに突撃捜査をかけていたところ、ボスからスマホに着信が。「清洲橋通りに、かなり黒い立ちそばがあるらしい」。
指令を受け、清洲橋通り向かうと、巨大ビルの1階に『スタンドそば 野むら』の文字が。スタンド、なんて横文字がカッコいいじゃないか。そばを頼むと……驚愕の漆黒! 老店主いわく「つゆは三十数年の継ぎ足し。湯せんじゃなく直火でつゆを煮続けるからこの色になるの」。太めの田舎そばにつゆが沁みて、そばまで黒くなるほど。
ボスへの捜査報告をまとめよう。“一番のクロは『野むら』。ただ、各店の黒つゆは店の歴史やこだわりが重なった、思いの濃さナリ”。
『ひさご』
1960年から続く、浅草橋随一の老舗立ち食いそば屋。店舗奥に置かれた製麺機は40年近く使われており、大将の八ちゃんいわく「製麺機はいくら働かせても文句は言わないからサ」。数人前ごとにまとめて茹で、水を切る八ちゃんの所作が豪快で、それもひとつの味。
他店と一線を画すこの自家製麺のコシを愛する、『ひさご』ファンも多い。何より、終戦年生まれのご高齢ながらパワフルでやさしい(特に女性に)八ちゃんのトークが、小腹だけでなく心も満たしてくれるのだ。
『そば千』
毛筆体の看板と紺地白抜きの看板を掲げる、THE立ち食いそばの老舗を継いだのは、IT業界出身の前田浩成さん(本人希望で写真の顔はボカシ)。「最初はバイトで手伝ってた母が20年近く店を継いでたんです。もう継ぐ人がいないよって話を聞き、じゃあ僕がと」。
監視カメラのシステムも売上管理もバリバリのIT技術を駆使しつつ、つゆ自体は昔ながらのホッとする味。麺も立ち食イストにはうれしい、興和物産のふわふわそばである。大海老天やあじ天、ゲソ天など天ぷらの種類が豊富なのもGOOD。
『スタンドそば 野むら』
「20代から来てるけど、味も女将の雰囲気も変わらないよ」と常連の中年男性。1992年の開業以来、継ぎ足してきたつゆは宇宙空間のようにまっ黒。大将の野村尊一さんによると「全国で立ち食いそばを食べているトラックの運ちゃんが『日本で三本の指に入る黒さ』って言ってたよ」。
一番人気の春菊天のほか、ちくわやソーセージ、ナスなど、揚げ物は女将の洋子さんが担当。心優しいおふたりで作り上げる夫婦(めおと)そばは、チェーン店では出合えない濃厚さが丼からあふれ出ている。
聞き込み・張り込み=K
『散歩の達人』2024年2月号より(一部加筆)