微妙な古さが楽しい、13年前の地図

我が家にあったのは、2007年の『文庫版 東京 都市図』(昭文社)。13年前、ライターとして駆け出しの時期に買ったもので、常にバッグに入れて持ち歩いていた。買ったときは「これで地図をいちいちプリントアウトする必要がなくなる!」と喜んだものだ。

『散歩の達人』の取材で色々な街に行くときも大活躍だった。パラパラ眺めると、「この地図を持ち歩いてた頃、京成曳舟駅と曳舟駅を間違えて盛大に遅刻したな……」など苦い思い出も蘇る。
『散歩の達人』の取材で色々な街に行くときも大活躍だった。パラパラ眺めると、「この地図を持ち歩いてた頃、京成曳舟駅と曳舟駅を間違えて盛大に遅刻したな……」など苦い思い出も蘇る。
奥付を見ると発行は2007年5版10刷だった。当時は文庫サイズの地図もよく売れていたのだろう。
奥付を見ると発行は2007年5版10刷だった。当時は文庫サイズの地図もよく売れていたのだろう。

……と表紙や奥付だけでも思い出に浸れるのだが、実際に地図を眺めても面白い。

この地図が出版された2007年は、今から13年前。「昔」とも「最近」とも言えない微妙な古さで、地図を眺めても、街の骨格は今とそう違わない。それゆえ、この13年間の街の変化は、まだ歴史として回顧されることもなく、語られること・書かれることも少ない。いわば、「まだ歴史化されていない街の歴史」がこの文庫地図には詰まってるのだ。

そして、よくよく地図を見ていくと、街には微妙な変化がある。「渋谷にヒカリエがない」「秋葉原に石丸電気がまだある」などは想定の範囲内だったが、副都心線が「建設中」と書かれていたことには「え、開通ってそんなに最近だっけ?」と驚いてしまった(2008年開通で、この地図の発売の1年後だった)。

ちなみに表紙にはQRコードが付いているが、小さすぎてiPhoneでは読み取れなかった。2007年はまだガラケーの時代だった(日本でiPhoneが発売されるのは2008年)。
ちなみに表紙にはQRコードが付いているが、小さすぎてiPhoneでは読み取れなかった。2007年はまだガラケーの時代だった(日本でiPhoneが発売されるのは2008年)。
ページ内の案内もガラケー時代のものだった。
ページ内の案内もガラケー時代のものだった。

そして、この地図の中には存在していて、今の街からは消えている店や場所の中には、自分が見たことのあるところ・訪れたことのあるところも多い。数十年前の古地図を眺めたときとは違い、リアルな記憶も蘇ってくる点も、読み込みがいがある。街中で増えた業種・減った業種、消えたチェーン店、新登場したチェーン店を見ると、時代の変化も分かったりするのも楽しいのだ。

文庫地図の「新宿東口」のページ。著作権の関係で中身お見せできませんのでご想像を!
文庫地図の「新宿東口」のページ。著作権の関係で中身お見せできませんのでご想像を!

全ページを読み込んで紹介すると膨大な量になりそうなので、今回の記事は対象を「新宿東口」に限定。「2007年の地図にはあったけど、今は消えてしまった店や建物」を10件紹介する。それぞれ現地の写真を先に紹介し、クイズ形式で考えられる形としたので、みなさんも記憶を掘り起こして考えてみてください!

第1問 「ビックロ」の場所、2007年には何があった?

まずは初級編的な場所から。現在の「ビックロ」の場所には、2007年は「新宿三越アルコット店」があった。その「新宿三越アルコット店」は、2012年に閉店。三越が新宿に出店した1929年(昭和4年)から数えて、83年の歴史に幕を閉じたことは一大ニュースとなった。なお店内には三越時代の大理石階段が今も残っている。

ちなみに「新宿三越アルコット店」には「ジュンク堂書店」も入っていて、広くて品揃えもよかったことから筆者もよく利用していた。そして驚くのは、この「ジュンク堂書店」のみならず、2007年の地図にあった書店は多くが閉店していること。「ルミネエスト」にあった「有隣堂」、「ルミネ2」にあった「ブックファースト」、「小田急百貨店」にあった「三省堂書店」、「京王百貨店」にあった「有隣堂」、新宿2丁目にあった「あおい書店」などが姿を消してしまった。大型店の「ブックファースト新宿店」の新規開業(2008年)はあったが、全体数は減少している。

第2問 「ドン・キホーテ 新宿東南口店」の場所、2007年には何があった?

こちらも新宿東口界隈に詳しい人には分かりやすい場所かも。2007年のこの場所にあったのは、「新宿国際会館ビル」。成人映画を中心に公開する映画館「新宿国際劇場」などが入居しており、その看板には見覚えがある方も多いはずだ。歴史通の人には、ここは1931年(昭和6年)開館の「ムーランルージュ新宿座」があった場所としてもおなじみだろう。

なお新宿国際会館ビルは2014年に解体。ちなみに「ザ・ポリス×70年代浅草線、ビースティズ×新宿・新橋。洋楽MVが映した日本を眺める」の記事で紹介したバックストリート・ボーイズの2009年のMVには、健在だった時代の看板が写っている。

You Tubeでミュージックビデオ(以下、MV)を見てるとき、「あ、ここ渋谷のセンター街だ!」みたいに撮影場所が分かると嬉しい気分になるもの。一昔前のMVの場合は街の変化を読み取るのも一興だし、海外のアーティストのMVだったら「ちょっと日本の認識おかしくねぇ……?」みたいな違和感も含めて楽しかったりするのだ。そこで今回は、海外のアーティストが日本(主に東京)を舞台に撮影したMVを紹介。海外の人達の視点で切り取られた、70年代~現代までの東京の街並みを堪能しよう。

第3問「紀伊國屋書店 新宿本店」の隣、2007年には何があった?

つい先日まで更地になっていた、「紀伊國屋書店 新宿本店」の隣の敷地。2007年には「ビックカメラ新宿東口店」があった。この場所にあった「ビックカメラ新宿東口店」は、現在のビックロに入る「ビックカメラ新宿東口新店」のオープンに伴い閉鎖。その後は長らく空きビルになっていた。西口と東口に巨大な「ヤマダ電機」ができたことも含めて、家電量販店の大型化と競争激化は、この十数年の新宿の変化の一大トピックだ。

第4問 「THE SUIT COMPANY 新宿本店」の場所、2007年に何があった?

第3問の場所の隣にあるこのビル。2007年には「マルイヤング新宿」の建物だった。マルイが新宿に初進出した1962年(昭和37年)から使われてきたこのビルは、「丸井新宿店」→「マルイヤング新宿」→「新宿マルイカレン」とたびたび名称・業態を変更。2012年に閉店している。なお「新宿マルイカレン」にはユニクロが入っており、向かいに「ビックロ」が開業する少し前に閉店した。

ちなみにこの建物の上層階には記念ブックオフが入居していたが、2019年11月に閉店。大型ファッションビルの苦戦、ツープライススーツショップの台頭、ブックオフの駅前大型店の登場~撤退と、様々な業態の栄枯盛衰が感じられる面白いビルだ。なお、2007年の地図ではこの目の前のビルに入っていた「TSUTAYA」が、今はリニューアルでスッカラカンになっているのも感慨深い(レンタル店舗は歌舞伎町に移転して継続中)。

第5問 「ラオックス新宿本店」の場所、2007年は何があった?

新宿三丁目の交差点、伊勢丹の斜向いのこの場所に2007年あったのは「マルイシティ-2」。2009年のマルイの全店舗改装・リニューアルの時期に「マルイワン」になり、同店は2013年に閉店している。この場所はマルイ内での名称・業態変更の歴史がすさまじく、「スポーツ館」→「メンズ館」→「マルイザッカ」→「インザルーム」→「フィールド」→「マルイシティ-2」→「マルイワン」という変遷を辿っていた。なお「ラオックス新宿本店」は3月1日から一時休業が続いており、5月26日時点で再開未定となっている。

第6問 2019年まで「FOREVER 21」があった場所、2007年は何があった?

新宿駅東南口から「新宿バルト9」方面に向かう途中にあるこのビル。2007年には「マルイ インザルーム」が入居していた。なお、その以前に入居していたのは大型CDショップ「ヴァージンメガストア新宿店」。今や「大型CD店」が懐かしの存在になっているのも感慨深い。

なお近年はここに「FOREVER 21」が入居していたが、2019年10月に日本から撤退。2007年の文庫地図では、様々な街に「ユニクロ」の姿は見えたものの、ファストファッションの店舗の流行はまだだった(2008年~9年頃に日本では拡大)。この10年ほどの間に拡大したファストファッションの勢いに陰りが見える点にも、盛者必衰の理を感じる。

第7問 「H&M SHINJUKU」の建物、2007年は何があった?

「伊勢丹新宿店」の東側で、新宿末廣亭の真裏にあるこのビル。2007年、この場所に建っていたのは、名前の通りレインボーカラーの外壁が特徴だった「レインボービレッジ」だ。そこに入居していたのが映画館「新宿スカラ」。1973年オープンという老舗映画館だったが、近隣に「新宿バルト9」がオープンしたことや、ビルの老朽化が重なったことにより2007年に閉館。なお建て替えられた現在のビルも「レインボービレッジ」の名称を受け継いでいる。

第8問 「伊勢丹新宿店メンズ館」向かいのビルに、2007年は何があった?

現在は「オリエンタルウェーブビル」という名称の靖国通り沿いのこのビル。2007年の地図では、ここに「東京大飯店」の文字がデカデカと記載されていた(2016年に閉店)。「東京大飯店」は渋谷や銀座にも展開した老舗中華料理店で、新宿での開業は1960年 (昭和35年)。このビルに移転開業したのは1974年 10月(昭和49年)で、新宿で長く親しまれた店だった。なお創業者の李合珠は歌舞伎町でキャバレー「リド」、音楽喫茶「ラ・セーヌ」や「エア・ライフル新宿射撃場」「サウナロイヤル」なども経営していた。

第9問 「紀伊国屋書店 新宿本店」近くの猪山第2ビル、2007年には何があった?

現在、「KOMEHYO新宿店ファッション館」(仮称)の開店が控えているこの建物。2019末までは「AZUL by moussy 新宿店」が入居していたが、2007年には「さくらや 新宿東口 パソコン館」があった場所だった。なお新宿に複数店舗を構えていた「さくらや」は2010年2月28日に全店舗を閉店。どデカい看板が東口のランドマークだった「新宿東口駅前店」はその後「ビックカメラ」が継承。「新宿東口ホビー館」は「アニメイト新宿」が受け継いだ(その「アニメイト新宿」も今年5月に新宿西口ハルクに移転)。

記事冒頭の写真。今は「ビックカメラ新宿東口駅前店」があるこの場所は、「さくらや」の看板が街のランドマークになっていた。
記事冒頭の写真。今は「ビックカメラ新宿東口駅前店」があるこの場所は、「さくらや」の看板が街のランドマークになっていた。

第10問 新宿5丁目のヨドバシカメラ 本社の場所、2007年は何があった?

新宿の中心部からかなり外れた場所だが、2007年にここにあったのは「東京厚生年金会館」。その多目的ホールは、1961年の開業当時は都内最大級の大きさで、ライブ会場としておなじみだった。ここではさだまさしが174回の公演を行っており、閉館前の2010年のファイナル公演は、歴代3位の公演数(75回)を誇る松山千春が務めた。

なお2007年の地図を見ると、「○○館」「○○会館」という名前の建物には消滅したものが多く、時代の流れを感じる(第一問の「新宿国際会館ビル」ほか「代々木会館」「九段会館」「岸記念体育会館」「日本青年館」など)。

歩道橋には今も厚生年金会館の文字が。新宿駅からこの近くを通るバスに乗ったときは、おばあさんが「このバスは厚生年金会館には行きます?」と運転手さんに質問していた。
歩道橋には今も厚生年金会館の文字が。新宿駅からこの近くを通るバスに乗ったときは、おばあさんが「このバスは厚生年金会館には行きます?」と運転手さんに質問していた。
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このように新宿東口を見るだけでも十分に楽しめて、近年の様々な業種の栄枯盛衰も分かる、少し昔の文庫地図。まだ家にある方はぜひ読み返して堪能を。メルカリでも数百円で叩き売られているので、遡って集めるのも楽しいはずだ。

筆者はさらに古い文庫地図をメルカリで購入し(300円!)、最新版も書店で購入。これからさらなる研究に励む予定。
筆者はさらに古い文庫地図をメルカリで購入し(300円!)、最新版も書店で購入。これからさらなる研究に励む予定。

取材・文・撮影=古澤誠一郎

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