開店直後から続々とお客さんがやってくる憩いのカフェ
「谷」という字が示しているとおり、渋谷区の地形は起伏に富んでいる。その北西部に位置する西原は、閑静な住宅地であると同時に坂道が多い。ゆえに、このエリアで見かける自転車のほとんどは電動アシスト付きだ。
代々木上原駅から幡ヶ谷駅方面へ向かう上り坂の途中に、朝早くからオープンしているパン屋『カタネベーカリー』がある。平日の午前7時にもかかわらず、次から次へとお客さんがやってきては、思い思いのパンを抱えて満足そうに去って行く。
そんな地域で愛されるパン屋の地下に併設されているのが『カタネカフェ』。こちらもベーカリーと同じく、開店直後からなじみのお客さんが顔を出しては席に着く。そのお目当ては、食材にこだわった朝食メニューだ。
笑顔で出迎えてくれたのは、店主の片根智子さん。店内には2人掛けのテーブル席が5つ、6人掛けの大きなテーブルが1つあり、開店後1時間足らずでほぼ満席に。年配の方から若いカップルまで、客層が幅広いという点にも驚かされた。
「コンセプトは、パリのプチホテルの朝食室みたいな感じです。たくさん人がいて、ちょっとガヤガヤ、ワイワイしているほうがいいかな、と。場所が住宅地なので、特別な感じではなく気軽に、日常的に使ってもらえたらいいな、と思っています」。片根さんの語る理想的なお店の形は、すでに出来上がっている。
個性豊かなパンを食べ比べられる、ちょっぴり贅沢な朝食を
『カタネカフェ』では、国産小麦を使用したパンを中心としたモーニングが食べられる。片根さんによると、パリの朝食プラス1210円がおすすめということなので、さっそく用意してもらう。
パリの朝食880円は、クロワッサンorパンオショコラが選べて、さらに2~3種類のパン、バター、ジャム、飲み物、小さなジュースがセットになったメニューだ。パリの朝食プラスの場合、これにミニ朝のサラダorカップスープが付く。
「フランスに行くと、実際にこういう朝食が出てくるんですよ」と片根さん。
「これはちょっと贅沢な感じですけどね。たとえばクロワッサンは、フランスでは“週末のお楽しみ”みたいな特別なものなので、日常だったら付かないんです」
取材時のパンのラインナップは、クロワッサン、田舎パン(パンドカンパーニュ)、長時間発酵のフランスパン、ブリオッシュナンテールの4種類。まずクロワッサンの生地は、表面がパリッと軽く、中はふんわり柔らかい食感。そして上質なバターの香りで口の中が満たされていく。フランスの人々にとってクロワッサンが一種のご褒美なのも納得。
そのほか、かむほどにもちっとしてくる田舎パンは、ほんのり甘い素朴な味わい。香ばしいフランスパンは、ハード系の歯応えと、しっとり&もっちりの食感が楽しめる。卵とバターをふんだんに使った、ブリオッシュのリッチな風味もたまらない。ぜひ各種パンの最初のひと口は、何も付けずに味わってみてほしい。
そのうえで自家製ジャム(取材時は八朔のマーマレード)や、よつ葉乳業の発酵バターを塗れば、満足感がアップ。八朔のまろやかな苦味と酸味、果肉の食感を活かしたマーマレードは、パンに奥深さをプラスしてくれる。ジャムに限らず、小さなジュースのレモネードも自家製だ。
「小さなジュースは、ケフィアっていう自家製の発酵炭酸ジュースをメインで出しているんですが、毎日は出せないので、季節の果物を搾ったジュースになるときもあります。今日は広島のレモンでつくったレモネードです」
また、ミニ朝のサラダが付くのが、パリの朝食プラスのポイント。しっかり野菜をとれるのはもちろん、酸味のあるキャロットラペを含めて、箸休め的な役割も果たしている。
セットの飲み物は、コーヒーや紅茶など。コーヒーには深煎りor浅煎りの2種類があり、それぞれ豆が異なる。豆の種類や産地は度々入れ替わるため、その日の気分や好みに合わせて選べるのはうれしい。
週末のお楽しみとばかりに最後までとっておいたクロワッサンをじっくり味わいながら、コーヒーを啜る。なんて幸せなひとときなんだろう。たとえ並んででも朝食を食べにくる常連さんたちの気持ちがよくわかった。
パンが好きな人々を魅了してやまない人気店の今後は?
2002年にオープンした1階の『カタネベーカリー』は、近隣に住む常連客だけでなく、飛行機に乗ってやってくるパンマニアもいるほどの実力店。その地下に『カタネカフェ』ができたのは2007年のこと。では、片根さんがこの地でパン屋とカフェを始めた理由は何だったのか。
「夫がパン屋で修業していたとき、代々木上原に住んでいて、近所にパン屋さんがほとんどない、と。2002年当時はお茶を飲むようなところも全然なかったですし。それで、朝ごはんを食べられるカフェがあったらいいだろうな~と思って」
パン屋もカフェもほとんどなかった住宅地に、その2つを兼ねたお店がオープンしたのだから、近隣の人々は大喜びだったに違いない。事実、オープン当初からの常連客は多く、中には親子2代、3代で通うファンもいる。
「わたしたちはお客さんにとても恵まれていると思います。ウチはフランスのパンをつくっているので、毎年フランスへ行くために夏休みを5週間とるんです。でも皆さん怒らずに『おかえり。待ってたよ~』みたいな。『ほかのお店に行ってみたけど、やっぱりダメだったわ』っていう人たちも結構いますね」
片根さんは「地域に密着したお店がやりたい」とも語っていたが、それはもう実現していると言っていいだろう。そこで今後の目標を尋ねると「この先は縮小していこうかな」という、まさかの回答が……。
「ただ、カフェはともかくパン屋がなくなったら、この辺の人たちは困ると思うんですよね。だから自分たちができるところまでやって、できなくなったら、できることだけやろうか、っていう。休みが増えたり、営業時間が短くなったりはするけれども、ずっとここでやっていきたいと思っています」
地域を愛し、地域に愛されるベーカリー&カフェは、これからもこの地に欠かせない存在であり続ける。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=上原純