華々しい創業期 大正13年(1924)~昭和8年(1933)
大正13年(1924) 創業者・加藤清二郎(せいじろう)が26歳の時、第1号店となる「須田町食堂」を神田に開店。何か商売を始めようと新潟から上京していた加藤は、急激に変化していく日本の生活環境に対して外食する場が少ないことに着目。「帝都復興には、安くて気軽に入れる食堂が必要だ」という信念のもと、食堂ビジネスに狙いを絞ったのだった。「須田町食堂」の人気メニューはカレーライスにコロッケ、ハヤシライス、そして牛カツレツ。女性や子供が入りにくい非衛生的な店とも高級店とも異なり、庶民でも入りやすく清潔。他店より安く、珍しかった洋食を提供し、瞬く間に人気店になる。開業からわずか8カ月後、京橋店を開店。
大正14年(1925) 日本橋、銀座、上野、浅草に開店。
大正15年(1926) 駿河台、水天宮に開店。
昭和2年(1927) 本郷、神保町、亀沢、神楽坂に開店。急速に店舗展開するなか、店舗を統括する本部であり、一括して仕入れと仕込みを行える“セントラルキッチン”を設ける。原材料費の削減と大量生産が可能となり、さらなる利益を上げる。以降も、店舗を増やしていく。
昭和6年(1931) 初めて旅館業に参入し、伊東温泉「辰太(たつた)旅館」開業。
昭和7年(1932) 上野駅に「上野地下食堂」を開店。都内の超一流ホテルや著名な店が出店応募をするなか、文章と写真による型破りな嘆願書を提出し、チェーン組織の新鮮さと経営理念を決め手に採用される。この出店によって「須田町食堂」の地位が飛躍的に上がり、後年、新潟・長岡・山形・福島各駅の食堂や上越線列車食堂参入の素因となる。
昭和8年(1933) 新宿に進出するべく念願の土地を購入し地鎮祭を執り行う。その計画は実に3年半に及んだ。銀座をしのぐ大商店街になることを見越し、綿密な調査とプランを練っての決断だった。
創業者にして食堂王、加藤清二郎 「じゅらく」成功の秘訣
明治31年(1898)、新潟生まれの加藤は、秀才ながら進学はせず、商売で一旗揚げるべく上京。食堂事業の快進撃はまぐれなどではなく、実は開業前に綿密な計画があった。「須田町食堂」開業前に書かれた“準備と決意のノート”には、50以上におよぶ項目が記されている。「使用人の待遇法に就いて」には、「蓄音機を買い求め、昼はお客の興味を誘い、夜は店員に自由に使わせて労を慰める」といった仕事と遊びを分ける指導教育が書かれている。多店舗展開のみならず、アメリカ式のチェーン展開の可能性も、開業前から見据えていたのだった。
開店時の東京は、急速に都会化し、洋装階級が増えてきた時代。だが、彼らは非衛生的な「めし屋」に入ることをよしとしない風潮があった。それまでも洋食店はあったものの1品に5~60銭もかかるうえに、チップも取られるものだった。そこで、清二郎は20銭以内でおなかいっぱいになり、チップは絶対に受け取らないことを方針とした。
給食事業に躍進 昭和9年(1934)~昭和14年(1939)
昭和9年(1934) 「株式会社 聚楽」設立。「聚楽」は、従業員700人から公募し、応募総数1400件から選ばれた新名称で、「人々が集まって楽しむこと」という意味がある。次点には「千石」が、続いて「豊国」「美鶴」が最終候補に選出されていた。
新宿駅前に土地を買い、5階建ての本邦初となる食堂デパート「新宿聚楽」開店。驚異的な評判が巻き起こり、開店前から交通巡査が整理に駆けつける事態となるほどの長蛇の列ができる。同店舗は太平洋戦争中に空襲で被災したものの、3年後には3階まで営業再開した。
昭和11年(1936) 上野・京成聚楽(食堂デパート)開業。
昭和12年(1937) 映画や演劇といった娯楽の中心地・浅草に「浅草聚楽」開店。寿司コーナーや料亭風の客席などもあり、上流階級と呼ばれる客も迎え、多彩なニーズにも対応していた。
昭和14年(1939) 浅草花やしきを買収し、創業15周年記念事業として「浅草楽天地」を開園。浅草地区での“大作戦”なる事業展開の最後を飾る。
食堂店舗数ピークに! 昭和15年(1940)~昭和20年(1945)
昭和16年(1941) 太平洋戦争勃発。さらに前進しようとしていた矢先、世の中が一変してしまう。
昭和18年(1943) 戦時中でありながら、綿密な計画と独自の商法のもと、食堂店舗数は過去最高の89店舗に拡大。一般的な食堂以外に、軍需工場をはじめ、企業や学校、官公庁などに専用食堂を手掛けたことが大きな理由だった。
昭和20年(1945) 太平洋戦争終結。GHQ占領政策開始。太平洋戦争終結時の残存店舗は5店舗となり、立て直しに取り組む。
戦後立て直しと地方進出 昭和21年(1946)~昭和38年(1963)
昭和29年(1954) 国鉄上野駅聚楽開店。焼け残った店は徐々に営業を再開。昭和7年に開店した「上野駅地下食堂」は戦争の混乱で閉鎖を余儀なくされたが、同店の新装開店は戦後復興の先駆けに。
昭和31年(1956) 水上温泉旅館湯原荘をM&A、「水上聚楽」として開業。本格的なリゾートホテル業界を切り拓いていく第一歩となる。
昭和33年(1958) 新潟県・弥彦山に新潟のテレビ電波塔を作るための資材運搬用ロープウェーを建設し、弥彦観光ロープウェー開業。同年、「新潟駅聚楽」開店(2000年閉店)。
昭和34年(1959) JR上野駅前のシンボル的存在だった「西郷会館(上野百貨店)」2階に、和洋中の料理や寿司を揃えるファミリーレストラン「上野聚楽台」開店。上野動物園や上野公園への行楽と共に思い出に残っている方も多いのでは?(ビルの老朽化による取り壊しに伴い2008年閉店)。
昭和37年(1962) 新潟と上野を結ぶ上越線列車食堂事業へ参入。翌年には、車内販売も開始する。従業員が列車へ入出する際に、お辞儀をして入り、お辞儀をして出ることを初めて取り入れたと伝わる。これには、買い忘れた客がいないか確認する意味があった。従業員たちには「自分たちは単なる食べ物を売っているのではなく、楽しみを売っている」という自負があった。
「水上ホテル聚楽」を本格的リゾートホテルとして開業。従来の大型温泉旅館に、朝食のバイキング方式などホテルシステムを導入。外国人ダンサーによるショーは、業界初の試みとして注目を浴びる。
ホテル人気が爆発! 昭和39年(1964)~平成4年(1992)
昭和42年(1967) 超大型リゾートホテルとして、聚楽で初めて福島市飯坂温泉にホテルを開業。“東北のドアを開く”と注目を浴びる。
昭和45年(1970)ごろ 高度成長期に入り、ホテル事業が絶好調を迎える。水上、飯坂に加え、静岡県伊東温泉にも開業する。昭和50年代後半、マリリン・モンローのそっくりさんが「じゅらくよ〜ん」とセクシーに語る「ホテル聚楽」テレビCMが有名になり、一世を風靡。
昭和57年(1982) 上越新幹線開通。列車内で飲食の営業を行う。看板メニューは、新潟県の郷土食を活かした駅弁「おけさごはん」。温かい弁当を提供するため、新潟駅近郊に自社の工場を構えた。世は安定成長が軌道に乗り、人々は地方へ行き来する活気ある時代だった。
そして次の100年へ 平成5年(1993)~現在
平成5年(1993) 3代目社長・加藤治が就任。世はバブル景気がついに崩壊し、未曾有の不景気に突入。その一方で、1970年代に登場し、80年代には24時間営業が一般化したファミレスが多様化してメジャーになっていったことで受難の時代を迎える。スペイン料理店や居酒屋など業態を変えて事業を新たに展開していく。
平成11年(1999) 本格中華料理店「中國家常菜 亜麺坊(あめんぼう)新潟店」開店。
平成18年(2006) 秋葉原に「須田町食堂 秋葉原UDX店」開店。聚楽創業当時のレトロな下町の洋食店を再現。
令和4年(2022) 上野、新橋で展開する「串揚げじゅらく 新潟店」が新潟初出店。揚げたてアツアツの串揚げ約30種類を特製ブレンドソースで提供。ランチタイム限定の“和風餡かけカツ丼”は、早い、安い、うまい!をかなえた新名物。ボリューム満点のメガサイズを守備。
令和6年(2024) 3月10日で創業100周年を迎える。記念事業として、『レストランじゅらく 上野駅前店』『浅草じゅらく』『須田町食堂 秋葉原UDX店』で創業当時の人気メニューを現代風にアレンジし、期間限定で提供する。創業以来のモットーは「事業は奉仕なり」。金儲けではなく、世間一般の中間層の人々が楽しめる場所を提供し、サービスに注力して会社を守っていくという精神を継ぐ。
100周年記念メニュー~創業期の人気メニューを現代風にアレンジ~
ニク欲満たすボリューム丼!「合い盛り丼」
コロッケ、イカげそフライ、ポテトサラダが楽しめる「合の子皿」をアレンジし、コロッケに加えてハムカツと照り焼きチキンが登板。温泉卵をオンしたぜいたくな合い盛りに。味噌汁、漬物付き。
玉ねぎの甘みと牛肉のコクが融合「ハヤシライス」
たっぷりの野菜と牛肉を赤ワインでとろけるまで煮込んだ奥深い味わい。創業期から幅広い世代に愛される不朽の定番メニュー。フライドオニオンがいいアクセントになる。サラダ、スープ付き。
須田町食堂といえばの看板料理「ビーフカツレツ」
カレーライスと並んで1、2を争った人気メニューで、「まずカツライス」「やはりカツライス」といった文献が見受けられる。この料理だけの専用ソースを仕立てて提供。ライス、スープ付き。
期待通りのサクサクほっくり「コロッケ」
当時のメニュー最安値でありながら、高価だったソースをかけ放題にしたことで話題を呼び、繁盛につながったと言われる。揚げたての衣、じゃがいものほっくりとした素朴なおいしさに満たされる。
『浅草じゅらく』店舗詳細
取材・文=沼 由美子 撮影=三浦孝明 資料提供=じゅらく
『散歩の達人』2024年3月号より