宮本武蔵生誕の地に伝わる伝統茶「美作番茶」

「美作番茶(みまさか ばんちゃ)」をご存知でしょうか。宮本武蔵生誕の地として知られる岡山県美作市に古くから伝わる番茶で、甘味に富み、やさしい香味とスッキリとしたのど越しが味わえることから、雨天の日が少ない「晴れの国」岡山県で長く愛されてきました。

写真提供:お茶の芳香園。
写真提供:お茶の芳香園。

「番茶」と聞くと、煎茶などの正規品になれなかった「番外のお茶=安価な二級品」だと思われている方も多いかもしれません。しかし実はさまざまな意味を持ち、「おばんざい(お番菜)」と同意の「日常のお茶」、つまりその地域で暮らす人々に独自に根付くご当地のお茶という側面もあります。

「このような番茶を『地方番茶』と呼びます。美作番茶は、安定した岡山の真夏の太陽の力を借りてつくるお茶です」

そう語るのは、文久2年(1862)から160年以上にわたり美作番茶の製造を続けてきた「お茶の芳香園」の6代目・小林将則さん。2024年時点で33歳を迎えるこのひとりの青年が今、美作番茶や地方番茶の可能性を大きく広げようとしています。

創業160年の老舗を継ぐことを決めた、“日本茶初心者”の心優しい20歳の青年

写真提供:お茶の芳香園。
写真提供:お茶の芳香園。

美作番茶の製法は、煎茶のそれとは大きく異なります。

まず、茶摘みが始まるのは梅雨明けから。夏まで大きく育った茶葉を枝ごと刈り取り、鉄釜で1時間ほどじっくり煮たら、真夏の炎天下で天日干しにしていきます。乾燥ムラが出ないよう途中で何度も混ぜながら、その合間に、茶葉を煮た時の煮汁をまんべんなくかけて再び乾燥させるという工程を繰り返すのが最大の特徴です。もっとも気温が上がる日中に高温の煮汁をかけて一気に乾燥させることで茶葉がコーティングされ、出来上がった茶葉は輝くあめ色に。

写真提供:お茶の芳香園。
写真提供:お茶の芳香園。

長時間茶葉を煮出しているため苦味や渋味、カフェインの含有量が少なく、ほうじ茶をまろやかにしたような軽やかな味わいは、まさに日常的にゴクゴクと飲むのにもってこいといえるでしょう。

写真提供:お茶の芳香園。
写真提供:お茶の芳香園。

3人兄弟の次男である小林さんがこの美作番茶づくりを継ぐことを決めたのは、大学3年生の頃でした。きっかけは、何気ない兄弟同士の会話。

「てっきり長男である兄が継ぐと思っていたんですが、聞いてみると『俺は、いいかな』って(笑)。弟は自動車の専門学校に通っていましたし、まあ、じゃあ、自分が……と。早く決めた方が親も祖父も安心するだろうと思ったこともあって、家族会議や兄弟喧嘩をすることもなく、今思えば不思議なほどすんなりとやる気になりましたね」

そうはいいながら、これまで跡継ぎとは無縁の生活を送ってきた小林さん。先代からお茶について詳しく学んだこともなければ、自分でお茶を淹れたこともなかったという彼にとって、お茶はまさに“未知の存在”だったといいます。何から手を付けてよいのかわからず、とりあえずインターネットで検索をかけ、“検索結果”に出てきた日本茶インストラクターの教材を買うためにお金を貯めるところからスタート。

「同時に、まずはお茶を淹れてみようと急須と茶葉を買いました。ただ、知識ゼロのまま初めて淹れたお茶は、急須になみなみと茶葉を入れて、アツアツの熱湯を注いで5分くらい浸けたもので(笑)。そりゃあもう苦いわ渋いわで、文字通りの苦い思い出です」

大学卒業後は単身、3年間の茶修業へ。東京・日暮里の日本茶専門喫茶『茶遊亭』で1年、福岡・八女の『星野製茶園』で1年半の現場研修を経たのち、最後の半年は全国各地の日本茶カフェや喫茶、販売店へ飛び込みのお茶巡りをしていたといいます。持ち前の勉強熱心さと素直な性格からどんどんと知識を吸収しながら、一歩一歩ステップアップを続けてきました。

年間20本以上のイベントに参加。ストーリーが価値になる今こそがチャンス

そんな小林さんが、25歳で本格的に家業に就いた頃からとにかく注力し続けているのが、表に立ち美作番茶を知ってもらうこと。

特にコロナ明けのスタートダッシュとなった2023年は、全国を飛び回り、大小さまざまなイベントに精力的に参加してきました。地元の小さなマルシェはもちろん、大阪・梅田で行われた「阪神日本茶フェス」、東京・銀座の「番茶フェスティバル」などでの出店販売をはじめ、渋谷の「TOKYO TEA PARTY 2023」、御茶ノ水の「1899ティーカレッジ」ではセミナー講師として登壇。美作番茶や地方番茶の歴史、時には生産人口の減少や生産農家の高齢化などの課題にも触れながら、その土地の文化に密接した、ユニークなお茶の魅力を発信しています。

「本当は、対面レジすら避けたいほど話すのは苦手なんですけど(苦笑)」と謙遜して見せるあたりにも、彼の温厚な人柄が。
「本当は、対面レジすら避けたいほど話すのは苦手なんですけど(苦笑)」と謙遜して見せるあたりにも、彼の温厚な人柄が。

それは「美作番茶は知ってはいるけど、見たことも飲んだこともない」という声をこれまで幾度となく聞いてきたから。東京・福岡での修業期間中や、その後のお茶屋巡業でも、お茶に詳しい人にさえ知られていない現状を目の当たりにしてきたというのです。

「だったらまずは飲んでもらおうと、常に美作番茶を手にして訪れた先々で紹介していました。美作番茶の生産者は今や2、3軒しかいないこともあって、自分の茶人としてのアイデンティティはここにあることも初めからぼんやり気付いていたんでしょうね。

特に昨今は、地方創生への取り組みや、コロナ禍が明けてインバウンドが拡大したことで、日本のローカルなエリアに根づく知られざる文化、そこでものづくりをする人々への注目がより高まっています。ストーリーが価値になる現代だからこそ、地方番茶の可能性を広げていけるチャンスだと思うんです」

「これといった決め手があったわけではないけど、江戸から続く伝統を途絶えさせるのはもったいないという気持ちはあった」。写真提供:お茶の芳香園
「これといった決め手があったわけではないけど、江戸から続く伝統を途絶えさせるのはもったいないという気持ちはあった」。写真提供:お茶の芳香園

そう話す小林さんの表情は、常に穏やかでありながらも、目的のためには臆することなく淡々と課題に取り組んできたことにもつながる、確かなバイタリティを感じさせるものが。

一般客向けのイベントでは、やかん抽出の味が再現できるサイフォン式コーヒーメーカーを使用したり、番茶をわかりやすく解説したりと、「番茶」のイメージをポジティブなものに変えるための工夫を取り入れるほか、近年のカフェインレスドリンクの需要の高まりにも着目。誰もが安心して飲めるお茶として、多様な客層や海外からのニーズも感じているといいます。

仲間と手を組み「瀬戸内茶業青年団」を発足。小さな産地でもできることはある

一方で、「僕らのような、特定の地域に独自に根付く茶生産者であっても、大産地や全国的なお茶のトレンド・品質を知らないと、ただ取り残されていく」とも小林さんは語りました。茶処と呼ばれる一大産地では行政や生産者が一体となって研究や生産を進めているため茶の品質が非常に高く、小さな産地とは差が生じているといいます。

小林さんは現在、自らが発起人となり2018年に立ち上げた「瀬戸内茶業青年団」の団長としても活動しています。岡山県・広島県・四国4県の青年茶業者と協同し、情報交換や生産・鑑定技術の向上を図りながら、茶の鑑定技術を競う「全国茶審査技術競技大会」にも出場。自園に限らず仲間と共に活躍できる場を広げようと奮闘中です。

そしてこうした彼の活動の中には、少しずつ実を結び始めているものも。2024年夏には、小林さんが茶のシーンの監修を務めた、美作を舞台にピアニストと茶葉屋の物語を描いた映画「風の奏の君へ」が公開予定。これを絶好の機会だと捉え、美作番茶や地方番茶をより広く知ってもらうフックにしたいと、映画と連動したイベントや商品づくりなどを青年団員と計画していると話してくれました。

写真提供:お茶の芳香園。
写真提供:お茶の芳香園。

最後に「今後は、企業やセミナーでの講師業の拡大や飲食店のメニュー監修などにチャレンジしたい」と語った小林さん。岡山の山奥の小さな茶産地で育った自分の活動が、他の地方番茶のつくり手たちが立ち上がる起爆剤になればと意気込みます。

2024年は、美作番茶にとって転機の年になるかもしれません。宮本武蔵に縁ある岡山県の“お番茶”が、令和時代の暮らしにどのような風を吹かせてくれるのか、若き継承者の手腕に注目です。

お茶の芳香園

岡山県美作市美作市巨勢2156-1
0868-72-0350

『風の奏の君へ』(2024年夏公開予定)
監督・脚本:大谷健太郎
原案: あさのあつこ

写真=佐山順丸 文=山本愛理(Re:leaf Record)