両国の地が静かに教えてくれる

配置換えし新資料が公開された1階部分。入り口には、震災当日の地震計の波動が展示されている。
配置換えし新資料が公開された1階部分。入り口には、震災当日の地震計の波動が展示されている。
こちらも1階部分。
こちらも1階部分。

関東大震災100年事業の一環として、記念館の展示は細部も含めて2023年9月にリニューアルが完了した。これまでの館内は資料展示とパネル解説が主だったが、タッチパネルや映像など、現代の技術を使った展示が増え、外国人観光客や子供にも分かりやすい工夫が施されている。中でも、当時書かれた小学校児童の作文を、現代の子供たちが朗読した作文朗読コーナーは、子供の目線から見た震災の凄惨な様子をうかがい知ることができる新たな試みだ。映像展示コーナーでは、震災直後に書かれた子供向け戯曲『震災記念おとぎ歌舞伎 閻魔裁判鯰髯抜(えんまさばきなまずのひげぬき)』を動画化した作品が鑑賞できる。漫画家のしりあがり寿がキャラクターデザインを手がけたこの動画は、2023年12月に巖谷 小波(いわや さざなみ)文芸賞特別賞を受賞した。

震災記念文集の朗読アーカイブ。
震災記念文集の朗読アーカイブ。
『震災記念おとぎ歌舞伎 閻魔裁判鯰髯抜』をアニメーションとして鑑賞できるコーナー。
『震災記念おとぎ歌舞伎 閻魔裁判鯰髯抜』をアニメーションとして鑑賞できるコーナー。
ディスプレイの地図上から、その場所の当時の写真が検索できる震災写真マップ。本所区(現在の墨田区)の被害は甚大だった。
ディスプレイの地図上から、その場所の当時の写真が検索できる震災写真マップ。本所区(現在の墨田区)の被害は甚大だった。

2階部分では、絵画や第2次大戦の戦災にまつわる常設展示のほか、特別展「関東大震災の被災者実態について」を開催中(2023年3月ごろまでを予定)。大震災での死亡者の住所や年齢などを記した当時の資料を、データベース化した集計の成果を見ることができる。「100年経った今でも、まだ新しい資料は出てきます」と、同館調査研究員の森田さん。語り部のいない現在だからこそ、この地で起こったことを知る機会は貴重だ。

特別展に展示されている、震災死亡者調査表。
特別展に展示されている、震災死亡者調査表。
火災の発生時刻や風向などを記した系統地図。記念館のある被服廠(ひふくしょう)跡の数字が、死者の多さを物語る。こちらも特別展のもの。
火災の発生時刻や風向などを記した系統地図。記念館のある被服廠(ひふくしょう)跡の数字が、死者の多さを物語る。こちらも特別展のもの。

2024年、元日を襲った能登半島での大地震。自然災害の容赦のなさを、誰もが思い知らされる一年の幕開けとなってしまった。大震災からほどなくして戦争へと移り変わっていく激動の時代を映した記念館の展示をたどれば、わたしたちが今置かれている状況との共通点を見出してしまうはずだ。過去の出来事を風化させず保存し、振り返ることの意義を、両国の地が静かに教えてくれる。

住所:東京都墨田区横網町2-3-25/営業時間:9:00〜17:00(最終入館は16:30)/定休日:月(祝の場合は翌)/アクセス:地下鉄大江戸線両国駅から徒歩2分、またはJR総武線両国駅から徒歩10分

取材・文・撮影=吉岡百合子(『散歩の達人』編集部)
『散歩の達人』2024年2月号より

大正12年(1923)に起こった関東大震災から、今年(2023年)9月1日で100年を迎える。10万人以上もの犠牲者を出した未曽有の大災害のあとに始まった「帝都復興」の足跡は、現代の東京でもまだたどることができる。当時のまま残されたものは数少ないけれど、修繕を経て今も大切にされている場所からは、そのころ込められた祈りの形が垣間見えるはずだ。過去と現在を往来するように、かつての人々が見た光景を想像しながら街を歩こう。これからの東京の100年にも、その祈りが継承されることを願って。
未曽有の大災害は、文化や娯楽をも容赦なく破壊した。落語もしかり。江戸の昔より各々わが道をゆく噺家たちが「協会」を作るまでに至る物語を、長年寄席の歴史を研究する橘右樂さんが話してくれた。