「理想のまち」は、どのように市民へ示されているのか
そもそも市民憲章とは何なのだろう。三輪真之『日本の市民憲章』(詩歌文学刊行会・2002)によれば、昭和25年(1950)に広島市で制定された「市民道徳」をはじめとして、1960年代後半~1980年代半ば頃に全国の多くの市で市民憲章を制定する動きが起こった。現在では800近い市のうち、9割近くの市で市民憲章が制定されている(一方で千葉市や横浜市、さいたま市など、東京近辺では市民憲章を制定していない市も多い)。内容は理想のまちづくりを示すものが多く、そこに市民が主体的に関わることを促す目的があるようだ。
では、その「理想のまち」はどのような形で市民に示されているのだろう。その傾向を追ってみよう(東京23区や町村などの憲章もあるが、大きく市民憲章ととらえたい)。
市民憲章は「私たちは〇〇しましょう」「私たちは〇〇な街をつくります」というように、市民自らが宣言している体裁をとる文が多い。またその主文は5か条であることが多いが、前掲書によれば、『五箇条の御誓文』を意識して作成されているからではないかとのことだ。
一方で、草津町(群馬県)の町民憲章のように「歩み入る者にやすらぎを 去りゆく人にしあわせを」と、何かの歌詞のようなシンプルな文章もある。
ひっそりとアピールしている市民憲章を見ていこう
こうした市民憲章を、市民たちにどのように周知するのか。たとえば和歌山市のように、市民憲章の文を用いた硬筆競書会を行って、子供のうちから市民憲章を覚えてもらおうとする市もある。しかしほとんどの自治体では、碑や看板といったひっそりとしたアピールを採用している。
碑や看板は、主要駅や役所前、公共施設に設置されていることが多い。
品川区のように、区内に設置されている区民憲章板を広報で紹介してくれる自治体もある( https://www.city.shinagawa.tokyo.jp/ct/pdf/20220909103845_2.pdf )が、大抵は自力で探し出さなければならない。
戸田市では、ほとんどの児童公園に市民憲章の看板が設置されており、和歌山市とは方法こそ違うものの、子供たちに市民憲章を覚えてもらいたいという自治体側の思いが見て取れる。
形を見てみると、石碑や金属板が一般的である。
単なる石碑ではなく、彫刻が施された渋谷区のような例もある。
こうして設置された市民憲章だが、さまざまな事情からその役目を終える場合がある。たとえば市民憲章が改定された場合。狛江市では市制50周年を記念して、2020年10月から新たな市民憲章が制定された。市内には旧市民憲章の看板が数カ所設置されていたが、今はどうなっているのだろう。
また、市町村合併により、自治体自体がなくなってしまう場合もある。2006年に合併して渋川市となった旧伊香保町では、伊香保町民憲章の石碑が現在も遺されており、私はこれを市民憲章遺構と呼びたい。
あなたの街に市民憲章はあるだろうか
ここまで見てきたが、中には「なぜこんなところに市民憲章が」というものもある。富士駅では、バスのりばの小屋壁面に小さなプレートで市民憲章が掲示されていた。ここに市民憲章があることに気づいている人はいるのだろうか。
一番衝撃的だったのは、館林市の市民憲章である。
タヌキの前掛けに市民憲章が筆書きされている。なぜタヌキの前掛けに。しかし見た者にインパクトを与えるという点においては、これが正解なのかもしれない。
あなたの街には市民憲章があるだろうか。それはどのような内容だろうか。そこに興味を持つ住民が増えると、より良い街になっていくような気もする。
イラスト・文・写真=オギリマサホ