「仁丹」のマークのついた琺瑯の表示板

われわれがよく目にするのは、電柱などに取りつけられた縦長の街区表示板や、家の玄関などに取り付けられた「〇〇町〇丁目」などの町名板と「〇番〇号」などの住居番号表示板の組み合わせである。しかし街をよく見てみると、現行の表示板よりも古いデザインの板を発見することがよくある。今回はこうした「レトロ町名表示板」とも呼ぶべき板を見ていきたい。

「レトロ町名表示板」と聞いてまず思い浮かべるのは、京都のあちらこちらに設置されている「仁丹」のマークのついた琺瑯(ほうろう)の表示板である。

京都でよく見られる仁丹町名表示板。古いものだけかと思いきや、平成年代に作られたものもあるという。
京都でよく見られる仁丹町名表示板。古いものだけかと思いきや、平成年代に作られたものもあるという。

この仁丹表示板の歴史は古く、明治40年代に既に設置が進められ、大正~昭和初期にかけて、仁丹の広告を兼ねて各地に設置が進められたようだ(※注1)。京都では特に、この町名表示板の多くが現役で残されているので、ぜひ見つけてみてもらいたい。

一方、東京近辺でもレトロ町名表示板は多く存在する。中には旧町名と現行の街区表示板が並べて設置されているケースもある。

現在も千駄ヶ谷二丁目は存在するが、場所は少し異なる。
現在も千駄ヶ谷二丁目は存在するが、場所は少し異なる。

よく見られるのが、この千駄ヶ谷の例のように住所のみを記した小さな縦型の板と、下に広告スペースが設けられた大きめの横長の板である。

同じ場所に2種類の表示板が存在する。広告付きの方は寄贈と書かれている。
同じ場所に2種類の表示板が存在する。広告付きの方は寄贈と書かれている。
川越のものとほぼ同じデザイン。
川越のものとほぼ同じデザイン。

この表示板の多くは濃い青色だが、中には緑色のものもある。

市内局番が3ケタなので、1990年以前の設置だろうか。
市内局番が3ケタなので、1990年以前の設置だろうか。
「ここは〇〇」という表現も、レトロ町名表示板ではよく見られる。
「ここは〇〇」という表現も、レトロ町名表示板ではよく見られる。

見ていると、この町名表示板が広告看板の役割を長らく担っていたことがわかる。

サビて読めない看板も味わい深い

こうした町名表示板のうち、琺瑯加工がなされているものは比較的良好な状態に保たれているように思う。一方で金属板のみの場合、時間の経過とともに劣化が進んでいく。仙川の表示板のように塗装がはげてしまうだけならまだしも、

町名表示がほぼ消えてしまい、動物病院の広告としての機能のみ残されている。
町名表示がほぼ消えてしまい、動物病院の広告としての機能のみ残されている。

志茂の表示板は全面をサビに覆われて、もはや判読が不可能である。

番地はほぼ読み取ることができない。広告主は上に挙げた赤羽台の広告と同じようである。
番地はほぼ読み取ることができない。広告主は上に挙げた赤羽台の広告と同じようである。

とはいえ、よくよく目を凝らして見てみれば、うっすらと郵便番号が書かれていたり、広告が掲示されているのが見えたりと、サビ看板ならではの味わいも生まれている。

広尾には古い建物も多く残されており、こうした町名表示板も発見することができる。よく見れば、郵便局のキャラクターや東急の広告が見える。
広尾には古い建物も多く残されており、こうした町名表示板も発見することができる。よく見れば、郵便局のキャラクターや東急の広告が見える。

レトロ町名表示板の一番の魅力とは?

これらレトロ町名表示板の一番の味わい深さ、それは「今はなくなってしまった旧町名が残っている」ことではないだろうか。最初に述べた住居表示制度が導入される過程で、統合などにより消えてしまった町名が数多く存在する。

町名表示板とは別に、旧町名を記した板が設置されることもある(彦根)。
町名表示板とは別に、旧町名を記した板が設置されることもある(彦根)。

しかしその町名変更以前に作られた旧町名の表示板が残されているところも、まだまだある。散歩の折に、そうした町名を探してみるのも一つの楽しみではないかと思う。

イラスト・文・写真=オギリマサホ
※注1:京都仁丹樂會( ttps://jintan.kyo2.jp/e316175.html